怖かった爺さんの笑顔
——人は関わり方次第で、表情が変わる

担当になると聞いて、正直ひるんだ。
それでも時間をかけて向き合ったら、笑ってくれるようになった。
その後、Aさんはいなくなった。
この記事でわかること
- 怒りっぽい利用者さんの担当になって感じた、本音の怖さ
- 関わり続けることで見えてきた、その人の内側
- 笑顔が生まれるまでに、何があったか
- 別れが突然やってくる、介護の現場のリアル
介護の現場には、「担当になりたくない人」がいる。
そう言うと語弊があるかもしれへん。でも正直に書く。どのスタッフも、心のどこかに「あの人の担当は避けたい」という感情を持ってる。それを口に出すかどうかの違いはあっても、現場の人間なら誰でも持ってる感覚や。
Aさんは、俺にとってそういう人やった。
入社した頃から、Aさんの「怖さ」は施設内で共有されてた。怒らせると手がつけられへん。機嫌を損ねたら一日中ピリピリする。廊下ですれ違うだけで、こっちが委縮する。そういう空気がAさんの周りにはあった。
俺が担当になったとき、一瞬だけ、逃げ出したいと思った。
Aさんのことを話しとかなあかん
Aさんは80代の男性やった。左半身に麻痺が残っていて、俺が入社した頃は車椅子で生活してた。お風呂も食事も、車椅子に乗って自分でやってきた。トイレも、部屋の近くのトイレまで自分で向かう。身の回りのことは、ほとんど自分でやれる人やった。
それだけでも「すごい人やな」と思う。麻痺がある状態で、ここまで自立してる高齢者はそう多くない。服を着替えるのも、介助がほぼいらへんかった。リハビリを続けてきた結果や。
独身で、家族は姉か妹かどちらかいたはずやけど、面会には一切来なかった。ずっと一人やった。行事にも参加しない。レクリエーションにも顔を出さない。施設の中で、Aさんはいつも部屋にいた。
面会が来ない、行事にも出ない。
そういう人が「怒りっぽい」と言われるとき、
俺はいつも少し立ち止まる。
怒る人には、怒る理由がある。それは現場で長くやってきて、骨身に染みてることや。でも入社したての頃の俺には、そこまで考える余裕がなかった。Aさんは怖い人で、担当になりたくない人、それだけやった。
担当になると聞いた日
担当割りが変わって、Aさんが俺の受け持ちになったのは、入社して何年か経った頃のことやった。
上司から告げられたとき、「はい、わかりました」と答えながら、内心は全然わかってへんかった。覚悟みたいなもんが必要やった。Aさんの担当になるというのは、それくらいのことやった。
最初の関わりは、やっぱりぎこちなかった。
部屋に入るたびに、Aさんの目が俺を測るような動きをした。「こいつは何者か」「信用できるのか」という空気が、部屋の中にあった。声をかけても返事が短い。こちらの動きに目を光らせてる。
ちょっとしたことで怒声が飛んできた。タオルの置き場所が違う。カーテンの開け方が気に食わない。その度に俺は「すみません」と言いながら、内側では「なんでや」と思ってた。
でも辞めへんかった。逃げへんかった。それは根性とか使命感とかやなくて、単純に仕事やから、という部分が大きかった。担当になった以上、やるしかない。そういう感覚や。
怒りの正体が、少しだけ見えてきた
担当になって少し経った頃、俺はAさんがエレベーターの前で怒鳴ってるのを見た。
乗り込むのに時間がかかってる高齢の入居者さんに向かって、「早よせえ」と。声のトーンが、普段の倍くらいの圧があった。周りのスタッフがあわててなだめに入って、その場はおさまった。
でもそれを見て、俺は不思議と「怖い」より先に「Aさんはどこかに急ぎたいんやろか」と思った。
後から考えると、あれが転換点やったかもしれへん。Aさんを「怒る人」として見るのをやめて、「何かを抱えてる人」として見はじめたのは、あのエレベーターの場面がきっかけやったと思う。
左麻痺がある。でも自分で動ける。動けるからこそ、動けない人にいらだつ。自分が苦労してできることを、他の人がもたついてるのが許せへん。そういう感情やったんやないか、と今は思う。
怒りっぽい人の後ろには、たいてい、
誰かに話せてへん何かが積み重なってる。
面会が来ない人は、特に。
Aさんに家族が来ない。行事にも出ない。施設の中で、Aさんの「今日よかったこと」を聞いてくれる人間が、どこにもいない。そのことに、俺はようやく気がついた。遅かったけど。
折り紙と、エレベーターと、俺
Aさんの部屋には、いつも折り紙があった。
色とりどりの正方形の紙が、小さな籠に入って机の上に置いてある。最初は気にしてへんかったけど、ある日、折り鶴が窓際に並んでるのに気づいた。きれいに折られてた。左手だけで、あれを折ってたんや。
俺は思わず「上手ですね」と言うた。
Aさんは返事をしなかった。でもちらっとこっちを見た。その一瞬だけ、怒った顔やなかった。
それからは、部屋に入るたびに折り紙の話を少しだけするようにした。新しい作品ができてたら「また増えましたね」と言う。それだけや。長い会話やない。Aさんも特に何か話してくれるわけやない。でも、怒声が飛んでくることが、少しずつ減っていった。
そして何年かが経つうちに、Aさんは車椅子から杖歩行になった。さらに杖なしでも歩けるようになった。お風呂も食事も、自分の足で来るようになった。
あの折り紙は、リハビリやったんや。誰かに言われてやってたわけやない。自分で考えて、自分でやってた。そのことに気づいたとき、俺はAさんのことを、怖い人やなくて、すごい人やと思った。
笑顔を見た日のことを、覚えてる
Aさんが初めて笑ったのは、何でもない日のことやった。
特別なことは何もなかった。俺が部屋に入って、いつもみたいに「折り紙、また増えましたね」と言うた。Aさんは机の上の作品をちらっと見て、それからふっと口の端を上げた。
それだけやった。
声を出して笑うわけやない。豪快に喜ぶわけでもない。ほんの少しだけ、表情が緩んだ。でも俺には、それがはっきりわかった。Aさんの顔が、怒った顔やなかった。それだけで、十分すぎるくらいやった。
廊下に出てから、俺は少しだけ立ち止まった。胸の奥に、何か小さいものが灯った感じがした。うまく言葉にできひんけど、「ああ、よかった」という感覚やった。達成感とはちょっと違う。もっと静かな、じわっとくるものや。
利用者さんの笑顔が「正解」なわけやない。
でも、怖かった人が笑ってくれた瞬間は、
何年たっても忘れられへん。
Aさんとの関係が変わったのは、劇的な出来事があったわけやない。特別な言葉をかけたわけでもない。ただ、逃げんと部屋に入り続けた。それだけやと思う。
「怒りっぽい人」の周りに何があったか
Aさんのことを振り返ると、20年のキャリアの中で似たような人が何人か浮かんでくる。
怒りっぽい利用者さんには、パターンがある。全員がそうやとは言わへん。でも、面会が少ない、行事に出ない、施設の中で「その人のための時間」がほとんどない——そういう人が、怒りっぽくなりやすい。
人間は、誰かに関心を持ってもらうことで落ち着く。「あなたのことを見てますよ」という関わりが、人の感情を安定させる。それが日常的にない状態が続いたら、感情の出口が「怒り」になってしまうことがある。
Aさんは独身で、家族の面会もなかった。行事には参加しない。つまり、施設の中でAさんに関心を向けてくれる人間は、担当スタッフだけやった。その担当スタッフが「あの人は怖い」と思って距離を置いたら、Aさんはどうなるか。
怒りはもっと強くなる。距離は広がる。スタッフはさらに近づかへんくなる。その悪循環を、俺は担当になる前に目の前で見てた。
「怖い人」と「近づきたくない人」が重なったとき、
その人の周りから、人がいなくなる。
施設の中で、それが起きると何が残るか。
答えは簡単や。もっと怒りっぽくなるだけや。
関わり方が変わると、何が変わるか
担当になってからの俺のやり方は、特別なことは何もなかった。
毎日部屋に入る。短くでもいいから声をかける。折り紙の話をする。タオルの置き場所を覚える。カーテンの開け方を覚える。Aさんが「こうしてほしい」と思ってることを、少しずつ把握していく。それだけや。
介護の教科書に書いてあるような、特別なテクニックを使ったわけやない。ただ、逃げなかっただけや。
そうするうちに、Aさんの方も少しずつ変わってきた。怒声が減った。俺が部屋に入ったとき、すぐ「何や」という顔をしなくなった。たまに、こっちが何も言わんのに折り紙の話を自分からしてくることがあった。
それが、Aさんの「心が開いた」ということやと俺は思てる。
劇的やない。静かな変化や。でも現場で長くやってると、この静かな変化の積み重ねが、実は一番大事なことやとわかってくる。派手な出来事より、地味な積み重ねの方が、利用者さんの日常を支えてる。
自主リハビリの意味を、後から知った
Aさんが折り紙で自主的にリハビリをしてたことは、担当になってからだいぶ経って、ようやく腑に落ちた。
左麻痺がある。左手の細かい動きは、普通の人より何倍も難しい。それでも毎日折り紙を折り続けた。誰かに言われたからやない。誰かに褒められたいわけでもない。自分の手を、自分で取り戻そうとしてた。
その結果が、車椅子から杖歩行、杖なしへの回復やった。施設に入ってくる高齢者の多くは、どんどん機能が落ちていく。それが現実や。でもAさんは逆やった。入所してから、できることが増えた。歩けるようになった。あの折り鶴たちは、Aさんの意志の結晶やった。
怒りっぽくて近づきたくない、と思われてた人が、
部屋の中で毎日ひとり、自分の手を取り戻そうとしてた。
それを知ったとき、俺は少し恥ずかしかった。
担当になる前の俺は、Aさんを「怖い人」としか見てへんかった。その人の部屋に何があるかも、毎日何をしてるかも、知ろうとしてへんかった。見てへんかったのは、Aさんやなくて、俺の方やった。
回復していくAさんを、横で見てた
杖歩行になった頃のAさんは、少し雰囲気が変わった気がする。
車椅子の頃より、目線が上がった。歩いてる姿に、どこか誇らしさがあった。エレベーターの前で怒鳴ることはまだあったけど、頻度は減った。廊下ですれ違うとき、たまに俺の方を見てうなずいた。
それがAさんの挨拶やった。
「おう」でも「よう」でもなく、ただ、うなずく。それだけ。でも俺には、それがAさんの「お前のことは認めてる」という意味に聞こえた。介護の現場で20年やってると、言葉のない会話が読めるようになってくる。それも、この仕事の一部や。
Aさんの部屋の窓際には、折り鶴がどんどん増えていった。色がバラバラで、大きさもまちまちで、でも全部きれいに折られてた。俺はそれを見るたびに、なんか胸のあたりがあたたかくなった。
独身の夜勤と、Aさんの部屋の灯り
Aさんの担当になった頃、俺はまだ独身やった。
夜勤明けに帰っても、部屋には誰もいない。靴を脱いで、そのまましばらく玄関に座り込む。体の疲れやない。「今日あったこと」を誰かに話せへんまま、また明日が来る。その繰り返しが、じわじわと体に積み重なっていく感覚があった。
夜勤の深夜帯、施設の廊下は静かや。巡回で各部屋の前を通るとき、ドアの隙間から漏れてくる灯りがある。眠れへん人が電気をつけたまま天井を見てる。そういう夜がある。
Aさんの部屋も、深夜に灯りがついてることがあった。最初の頃は、近づくのが怖かった。灯りがついてる=起きてる=何か言われる、という図式が頭の中にあったから。でも担当になってからは、灯りがついてたら声をかけるようにした。「眠れへんですか」と。
Aさんはたいてい、短く「ああ」と言うだけやった。でも、それでよかった。俺が来たことを確認して、また自分の時間に戻る。それだけのことやけど、俺にはそれが、Aさんなりの「おる」という意思表示に聞こえた。
深夜の廊下で、灯りのついた部屋の前に立つ。
中に誰かがいて、こっちにも誰かがいる。
独身の夜勤は孤独やったけど、そういう瞬間だけは違った。
Aさんに会いに行くことが、俺にとっても何かを補ってたのかもしれへん。帰っても誰もいない部屋と、眠れへんまま灯りをつけてるAさん。どこかで似てる気がしてた。孤独の種類は違うても、深夜に一人でいるという事実は、同じやった。
夜勤明けに思うこと
独身の夜勤明けというのは、独特の虚脱感がある。
朝の光の中を自転車で帰りながら、頭の中にはまだ施設の空気が残ってる。消毒液の匂い、ナースコールの音、誰かの寝息、Aさんの部屋の灯り。それが全部、まだそこにある感じがする。
帰って、シャワーを浴びて、飯を食って、寝る。起きたらまた夜勤に行く。その間に、誰かと話すことがない。感情の処理が追いつかへんまま、次のシフトが来る。
Aさんの担当になってからは、夜勤明けの帰り道に「今日Aさんはどうやったか」を振り返るようになった。怒声があったか。表情はどうやったか。折り紙は増えてたか。それを考えることが、なんか自分の中を整理する時間になってた気がする。
誰かのことを考えることが、自分の孤独を少し薄めてくれることがある。独身の夜勤がしんどかったのは、仕事の中身やなくて、帰る場所に誰もいないことやった。でもAさんのことを考えてる間だけは、誰かとつながってる感覚があった。
Aさんが俺に教えてくれたこと
介護の仕事を続けてきて、「この人から学んだ」と思える利用者さんが何人かいる。Aさんはその一人や。
怒りっぽくて、近づきにくくて、担当になるのが怖かった人。でも関わり続けたら、笑ってくれた。自主的に折り紙でリハビリをして、車椅子から自分の足で歩けるようになった。誰に頼まれたわけでもなく、誰に褒めてもらいたいわけでもなく、ただ自分の体を取り戻そうとしてた。
「すごい人やな」と思ったのは、笑顔を見た後やった。
人は、見ようとしないと見えへん。
怖いと思ってる間は、その人の「すごさ」には気づかれへん。
Aさんが教えてくれたのは、そういうことやと思う。
ただ、逃げへんことと、逃げたいと思わへんことは、違う。逃げたいと思いながら、それでも部屋に入り続ける。その積み重ねが、Aさんとの間に何かを作った。それだけは確かや。
ナースコールの鳴らない夜に、考えること
深夜の施設が静かな夜、俺はよくAさんのことを考えてた。
ナースコールが鳴り止まへん夜は、走り回るだけで終わる。でも静かな夜は、考える時間がある。巡回しながら、廊下の暗がりの中で、いろんなことが頭の中を通り過ぎる。
ある夜、巡回のついでにAさんに聞いてみた。「行事、来てみたりしませんか」と。Aさんは少し間を置いて、「ああいうのは好かん」と言うた。それだけやった。
それで俺はそれ以上勧めなかった。行事に来ることが目的やない。Aさんが今、自分の部屋で折り紙をして、窓際に鶴を並べて、気が向いたらうなずいて挨拶してくれる。それで十分やと思った。
ケアは、こっちが「してほしいこと」を押しつけるもんやない。その人が「こうありたい」という形を、できる限り支えるものや。Aさんにとっての豊かな時間は、行事やなくて、部屋の中の折り紙やった。それだけのことやった。
ある朝、部屋が空いてた
それは、突然のことやった。
夜勤明けの申し送りで、上司から一言あった。「Aさん、昨日で退所されました」。
それだけやった。
詳しい説明はなかった。施設の判断で、別の場所に移ることになった、という話やった。俺はその場で「わかりました」と言うた。それ以上聞けへんかった。聞いたところで、何かが変わるわけでもない。そういうことが、介護の現場にはある。
巡回のルートでAさんの部屋の前を通ったら、ドアが開いてた。ベッドが整えられて、窓際に何もなかった。折り鶴が、一羽もなかった。
それを見た瞬間に、初めて「いなくなったんや」と実感した。
施設の現場というのは、そういうところや。
関わりが終わったら、そこで終わる。
続きを知ることは、できへん。
Aさんが今どこにいるか、俺には知る術がない。元気にしてるか、また折り紙を折ってるか、誰かにうなずいて挨拶してるか。何もわからへん。ただ、あの窓際に並んでた折り鶴のことだけは、今でもはっきり覚えてる。
同業者に、正直に話しておきたいこと
「担当になりたくない人」が現れたとき、どうするか。
綺麗事は言わへん。「全員に同じように関われます」なんて、そんな介護士はおらへん。怖い人は怖い。しんどい人はしんどい。それは感情として、あって当然や。
ただ、その感情を持ったまま、それでも部屋に入れるかどうか。そこだけが、分かれ目やと思う。逃げたいと思いながら入る。それでいい。感情と行動は、別もんや。
「怖い」という感情を持つことと、
「怖い人」として扱い続けることは、ちがう。
感情は正直でええ。行動だけ、踏み出せ。
「担当になりたくない人」ほど、実は誰かに関わってほしい人やことが多い。怒りっぽい、近づきたくない、でも面会が来ない、行事にも出ない。スタッフが距離を置くほど孤立して、孤立するほど怒りは強くなる。その悪循環を断ち切れるのは、誰かが逃げずに部屋に入り続けることだけや。
在宅で介護してる人にも、少しだけ
家族を在宅で介護してる人の中にも、「この人の怒りがしんどい」と感じてる人がいると思う。
プロでも、20年やっても、Aさんの担当になるのが怖かった。それが正直なところや。家族やからこそ、もっとしんどいこともある。それは弱さやない。
限界を感じたら、ケアマネジャーに相談してほしい。一人で抱えへんでいい。続けるために、誰かに頼る。それだけのことや。
夜勤明けの俺に、コーヒー一杯
このブログを書いてるのは、現場のリアルをどこかに残しておきたいからや。
Aさんのことも、笑えん話も笑える話も、記録されへんまま流れていく話が多すぎる。現場の人間が、現場のことを書く。それだけのことやけど、誰かに届いてほしいと思って書いてる。
もしこの記事を読んで「夜勤明けの介護士にコーヒー一杯くらい奢ったろか」という気持ちになってくれたなら——ofuseという投げ銭サービスで、サポートを受け付けてる。金額はなんでもいい。気持ちだけでもありがたい。
サポートは、次の記事を書く時間と体力に変わる。現場の話を、もっと書き続けるための燃料になる。
最後に——Aさんへ
担当になると聞いて、一瞬だけ逃げ出したいと思った。それを白状しておきたかった。
でも逃げへんかった。部屋に入り続けた。折り紙の話をし続けた。深夜に灯りがついてたら声をかけた。そうしたら、Aさんは笑ってくれた。うなずいてくれた。窓際に折り鶴を並べてくれた。
あの笑顔は、俺の20年の中で、ずっと残ってる記憶のひとつや。
Aさん、元気にしてますか。
今もどこかで、折り紙、折ってますか。
あの窓際の折り鶴のこと、忘れてへんよ。
読んでくれた人、ありがとう。あなたが同業者なら、今夜も無事に終わることを祈ってる。あなたが介護家族なら、今日もよく頑張ってる。あなたが介護と関係ない人なら——現場はこういうところです。知っといてもらえたら、それで十分や。
明日も、少しだけ戦えたらそれでいい。