
胃瘻の爺さんに金的をくらった話
——リハビリ現場の予想外すぎる一撃
痛かった。ほんまに、洒落にならんくらい痛かった。
介護の仕事20年やっとって、骨折りそうになったこともあるし、噛まれたことも、爪で引っかかれたことも、もう数え切れんくらいある。それが現場ってもんや。体張ってなんぼ、そういう仕事やと腹くくってここまでやってきた。
せやけどあの日の一撃だけは、忘れようにも忘れられへん。歩行訓練中の、あの一瞬。胃瘻の爺さんが放った渾身のアッパーが、ワイの急所にクリーンヒットしたあの瞬間のことを。
この記事でわかること
- 胃瘻利用者さんのリハビリ中に起きた「予想外の一撃」の一部始終
- 経口摂取ゼロの利用者さんが食事の声かけに反応した理由とその背景
- 介護現場でのリハビリ介助にひそむ「油断」のリアル
- 20年現役が語る、ヒヤリハットにならへんかった笑えない話
- 利用者さんの「生きる力」についてワイが感じたこと
目次
胃瘻ってなんや?知らん人のためにざっくり解説
まず「胃瘻(いろう)」をご存知やない方のために、さらっと説明しとく。
胃瘻っていうんは、口からもの食べられへん人のために、おなかの表面から直接胃に穴あけて、そこからチューブ使って栄養補給するやり方や。病院でいうと「PEGカテーテル」って呼ばれる。脳卒中の後遺症で嚥下機能(飲み込む力)が落ちた人とか、誤嚥性肺炎を繰り返してもう経口摂取が危険やと判断された人が多い。
施設によっては、利用者さんの半分近くが胃瘻やったりもする。ワイが今まで勤めてきた施設でもそうやった。口からご飯食べへん、それが当たり前の世界が、ここにはある。
チューブに栄養剤を流し込む。1日に2〜3回。白っぽい液体が、透明なチューブを通っておなかの中に消えていく。食事っていうより、機械のメンテナンスに近い感覚がして、最初のころはワイもなんとも言えん気持ちになっとった。けど今は違う。それでも生きてはる、それだけのことや、とわかってきた。
Tさんのこと——歩くことだけが残された楽しみ
今日話す爺さん、仮にTさんとしとこ。
80代後半。脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺が残っとって、嚥下機能もかなり低下。施設に入ってきた時点でもう胃瘻やった。経口摂取はゼロ。口から入るんは水分補給の少量のゼリーだけ、それも状態次第で中止になることがある。
ただ、足の力だけは残っとった。
リハビリで歩行訓練を続けてきたおかげで、杖と介助があれば20〜30メートルは歩ける。施設の廊下をゆっくりゆっくり、一歩一歩踏みしめるように歩くのが、Tさんの楽しみやった。週に数回のリハビリの時間が、Tさんにとっての「生きてる感覚」やったんやと思う。
言葉もあんまり出えへん。右手は麻痺しとるから意図した動作はほぼでけへん。せやけど左手だけはしっかりしとって、杖をつかむ握力は年齢のわりにまだある。ワイが手を差し伸べると、ぐっと握り返してくれる。それだけで十分やと、ずっと思ってた。
歩くことが、Tさんにとっての
「今日も生きてる」の証やった。
ワイはTさんの歩行訓練に何度も付き合ってきた。特別なことはない。ただ隣について、転倒しないように見守る。ペースはTさんに合わせる。急かさへん、先走らへん。ベテランになればなるほど、こういう「何もしない介助」の大事さがわかってくる。
介助者が焦ったら、利用者さんに伝わる。体が硬くなる。そうなったら転倒リスクが上がる。静かに、自然に、ただそこにいるだけでええ。それがワイの歩行介助のスタンスやった。
あの朝の歩行訓練——匂いと音と、不穏な空気
あれは午前中のこと。確か10時過ぎやったと思う。
施設の廊下は朝の光が差し込んで、白い壁がぼんやり明るかった。ワックスがかかった床はつるつる光ってて、Tさんの杖が立てるコツ、コツ、という音が廊下に響く。他の利用者さんはまだデイルームに集まってる時間帯やから、廊下はほぼ2人きりや。
消毒液の匂い。微かな尿の匂い。施設っていうのはどこへ行っても同じ匂いがする。20年嗅いできたワイには、もう空気の一部みたいなもんや。
Tさんの歩調は、その日は比較的よかった。足取りが軽い、というほどではないけど、いつもより踏み出しが安定しとった。顔の表情もどこか穏やかで、ワイもこれはええ日やな、と思いながら隣を歩いとった。
廊下の突き当たりまで約15メートル。今日は折り返してもう一往復いけそうや——そんなことを考えながら、ワイはTさんの左斜め後ろに位置取って、転倒しないように気を配っとった。
その時、厨房の方向から、あの匂いが漂ってきた。
昼食の仕込みが始まってたんや。
出汁の匂い。醤油が焦げる甘い匂い。どこか懐かしい、あたたかい、食欲をそそる匂いが廊下にじわじわ広がってきた。ワイは一瞬、ああ昼飯か、と思っただけやった。
せやけどその匂いが、Tさんの何かに火をつけてたんや。
思えばそこが、第一の変化やった。Tさんの歩調がわずかに乱れた。杖をつく位置が少しずれた。表情がかすかに変わった。ただ、その時のワイにはそれが「予兆」やとは気づかなかった。
「ご飯ですよ」のひと言が引き金になった
廊下の折り返し地点に差し掛かったとき、デイルームのスタッフから声がかかった。
「Tさ〜ん、そろそろご飯ですよ〜!」
明るい、よく通る声。悪意のかけらもない、いつもの声かけや。Tさんが胃瘻やっていうのをそのスタッフも当然知っとる。せやけどその声は施設全体に向けたもので、Tさん個人だけに言ったわけでもない。なんとなくの「全体への声かけ」やった。
問題はそこからや。
ワイはTさんの正面に回って、目線を合わせながら言った。
「Tさん、ご飯の時間みたいですよ。一回戻りましょか」
笑顔で、ゆっくりと、ワイの得意な穏やかな声かけや。
Tさんはワイを見た。その目が、なんかいつもと違った。ぼんやりとした、遠くを見るようないつもの目やない。なんというか——飢えた目、とでも言うんか。何十年も前の記憶みたいなもんが、一瞬戻ってきたような、そんな目やった。
ご飯。
Tさんはその言葉に、体ごと反応した。
「食べたい」という感覚が、脳のどこかに残ってたんやと思う。胃瘻になって何年も経っても、消えへんかった本能。出汁の匂いと「ご飯ですよ」のひと言が、その記憶のスイッチを押してしまった。
Tさんの左手が、すっ、と動いた。
ワイはまだ、気づいてなかった。
金的直撃——0.5秒間の出来事
Tさんの左手が動いた、と書いた。
正確に言うと、「動いた」なんてもんやない。「伸びた」んや。ゆっくりやない。反射に近い、ぴゅっとした速さで。
ワイはその瞬間、Tさんの正面に立っとった。目線を合わせて、「戻りましょか」と声をかけた直後やった。Tさんの目が変わった、と気づいた次の瞬間には、もう遅かった。
杖を握ってへん側の手。動くとは思ってへんかった側の手。
狙ってたわけやない、絶対に。せやけど軌道は完璧やった。
アッパーカットの教科書みたいな、綺麗な弧を描いて——
ズドン。
そう表現するしかない衝撃が、ワイの急所を直撃した。
0.5秒間、時間が止まった気がした。
次の瞬間、ワイは廊下の壁に片手をついて、ゆっくりと膝を折ってた。声は出えへんかった。出そうにも、息ができへんかった。目の前がじわじわと白くなって、変な汗が首筋ににじんできた。
Tさんはどうしてたかというと——普通に立っとった。
左手をゆっくり杖の位置に戻して、きょとんとした顔でワイを見おろしとった。何をしたかも、たぶんわかってへん。ご飯、という記憶が脳裏をかすめて、反射的に手が伸びただけやったんやろ。表情には、罪悪感のかけらもない。それが逆に、妙に清々しかった。
狙ったわけやない。
でも、見事なまでにクリーンヒットやった。
30秒ほどして、なんとか息が戻ってきた。壁に手をついたまま、ワイはTさんを転倒させへんことだけを考えとった。自分が死にそうでも、それだけは守らなあかん。それが介護士っていう仕事の性分や。
「Tさん……大丈夫ですよ、ゆっくり行きましょな」
声が震えとったかどうかは覚えてへん。たぶん震えとったと思う。Tさんはゆっくりとうなずいて、また一歩を踏み出した。コツ、という杖の音が廊下に響いた。
ワイは半歩後ろでそれに続きながら、心の中でひとつだけ思った。
「…………ほんまに痛かった」
痛みの中で気づいたこと
笑い話で終わらせるつもりやったけど、そう簡単にもいかへんかった。
ユニットに戻って、Tさんをイスに落ち着かせて、水分補給のゼリーを出して。ようやく一息ついたころ、ワイはこっそりトイレに駆け込んで、便座に腰かけてぼーっとしとった。じんじんした痛みはまだ残ってる。けど頭の中には別のことがぐるぐると渦巻いとった。
胃瘻になってもう何年も経つTさんが、「ご飯」という言葉に反応した。
それだけのことなんやけど、なんかワイには刺さった。
ご飯を食べる、っていうのは人間にとって何やろ。栄養補給、それだけやない。人と食卓を囲む時間であり、今日も生きてる実感であり、幼いころからずっと積み重ねてきた記憶の塊や。Tさんの脳のどこかに、その記憶はまだ生きとった。チューブが繋がれてからも、ずっと。
消えさせたらあかん何か、なんやろか。
それとも消えひんだけで、本人にとっては苦しいだけなんやろか。
ワイには答えが出えへんかった。今も出えへんままや。
ただひとつわかったのは、Tさんの「食べたい」は本物やった、ということや。意識的に動かした手やないかもしれへんけど、体がそう反応した。それはTさんの中に、まだ「生きたい」という根っこがあるっていうことやないか。ワイはそう解釈することにした。
20年で変わったこと、何も変わってないこと
この一件があってから、ワイはしばらくこのことを頭の隅っこで転がし続けた。
20年前、ワイが介護の仕事を始めたころ、胃瘻の利用者さんはもちろんいた。けど今ほど多くはなかった。当時は施設に入るっていうこと自体が「最後の手段」みたいな空気があって、胃瘻になるまで施設で粘る、っていうケースがそこまで多くなかった。
それが今はどうか。
施設の高齢化が進んで、医療依存度の高い利用者さんが当たり前のようにフロアにいる。胃瘻、気管切開、在宅酸素——昔やったら病院にいたような状態の方が、介護施設で生活してはる。医療行為の一部が介護士に任されるようになって、現場の負担は確実に増えた。
現場の変化——20年の体感
ワイが新人やったころ、施設での「看取り」はまだ珍しかった。「状態が悪くなったら病院へ」が基本やった。今は「看取り対応」が売りになる時代や。施設で最期まで、という選択肢が増えたのは、ある意味では進歩や。でも現場の体制が追いついてるかといえば——正直なところ、追いついてへん。
医療的ケアを必要とする利用者さんが増えたのに、介護士の配置基準は基本的に変わってへん。人数は足りない、でも求められる水準は上がる。その歪みが、現場のあちこちに滲み出てくる。
「声かけ」ひとつで起きる事故
今回の件を振り返ると、ひとつ「構造的な落とし穴」があったとワイは思う。
「ご飯ですよ」という声かけは、施設全体に向けたもんやった。胃瘻の利用者さんも当然聞こえる距離やった。悪意はない、配慮不足と言えるかどうかも微妙なところや。でも結果として、経口摂取ゼロの利用者さんを刺激した。
これは「声かけの仕方が悪い」という個人の問題やない。フロア全体で動く人員が少ないから、一括で声をかけざるを得ない構造があるんや。一人ひとりに丁寧に対応する余裕があれば、Tさんには別の言葉をかけるか、声かけのタイミングを工夫できたかもしれへん。
20年前も今も、現場の人手不足という問題は変わってへん。むしろ深刻になっとる。そのしわ寄せが、こういう「小さなひずみ」として現場に積み重なっていく。
リハビリの「意味」を誰が守るか
もうひとつ、ワイが今回あらためて考えさせられたのはリハビリの意味についてや。
Tさんにとっての歩行訓練は、機能回復が目的とは言い切れへんかった。もう劇的に回復するっていう段階やない。それでも続ける理由は、歩くという行為そのものがTさんの「自分らしさ」を保つことに繋がっとるからや。
20年前は、リハビリは「回復するためにするもの」という考え方が主流やった。回復が見込めへん利用者さんへのリハビリは、どこか申し訳なさそうに細々と続けられとった印象がある。
今は「維持・予防のためのリハビリ」という概念が浸透してきた。それ自体は正しい変化やと思う。けど現場の実態はどうかというと、リハビリ職員の数が足りてへんから、介護士が「リハビリの延長」として歩行介助を担うことが多い。専門職とのすり合わせが十分でないまま、なんとなく続けとる、というケースも少なくない。
今回のワイとTさんの歩行訓練も、厳密に言えばそういう側面があった。リハビリ職員が設定した訓練計画に基づきながら、実際に動くのは介護士。その日の状態を細かく観察して判断するのも介護士。
現場の最前線にいるのはいつも介護士や。せやけど、その判断を裏付ける制度的な仕組みはいまだに薄い。
それでも、ワイはこの仕事を続けとる
長々と書いてきたけど、最終的にワイが言いたいのはシンプルなことや。
Tさんに金的をくらったあの瞬間、痛みをこらえながらワイが感じたのは、不思議と怒りやなかった。「食べたい」という本能がまだ体の中に生きとるTさんを、なんかすごいと思ってた。
胃瘻になって、口からものを食べることを奪われても、体の奥底には「食べたい」が残っとる。それって、生きることへの執着やないか。弱った体の中で、まだ燃えてる何かやないか。
介護の仕事をしてると、「生きるってなんやろ」という問いに何度もぶつかる。胃瘻で栄養を補給されて、体を誰かに洗われて、排泄も介助してもらって、それでも生きることに意味があるのか——なんて問いを、外の世界ではよく聞く。
ワイはその問いに対して、理屈で答えを出そうとは思わへん。ただ現場にいると、答えは問いより先にあることが多い。Tさんの手が伸びたあの瞬間みたいに、体が先に「生きてる」を表現することがある。
理屈より先に、体が「生きたい」と言うとる。
介護の現場は、そういう場所や。
急所の痛みは3日くらい続いた。職場では一切言わんかった。言えるか、そんなん。
Tさんはその後も変わらず週に数回、廊下を歩いた。ワイも変わらず隣についた。ただ一点だけ変えた。Tさんの正面に回るとき、一歩だけ距離を置くようにした。
それだけや。
介護の現場の学びというのは、たいていそういうもんや。派手なマニュアル改訂やなく、次の日から黙って変える、小さな一歩。それが20年積み重なって、今のワイがいる。
独身のころ——夜勤明けに帰る場所がなかった
Tさんの話をしながら、ワイはふと独身のころのことを思い出してた。
あのころの夜勤明けは、今とはまったく違う空気やった。
施設を出て、朝の光の中を歩いて、アパートに帰る。誰もいない部屋のドアを開けて、靴を脱いで、そのままベッドに倒れ込む。シャワーを浴びる気力もないことが多かった。手についた消毒液の匂い、微かに残る排泄物の気配、それを感じながらそのまま眠る。
誰とも話さへん。話す相手がおらへん、というより、話す気力が残ってへんかった。夜勤中に何があったか、誰かに言いたいわけでもない。せやけど胸の中に澱のように溜まっていくものがあった。それをどこにも吐き出せへんまま、また次の夜勤に向かっていた。
一人目:トイレ誘導。二人目:体位変換。三人目:「寒い」。四人目:また一人目。五人目:「家に帰りたい」。
全部対応して、ステーションに戻ると、また一人目のコールが鳴っていた。
誰も責められへん。でも誰にも言えへんかった。
20代のころは体力で乗り越えられた。30代になって、体力じゃなくて「慣れ」で乗り越えるようになった。慣れというのは、感覚を鈍らせることで生き延びる技術や。感じすぎたら続かへん。傷つきすぎたら折れる。だから少しずつ、神経の先端に薄い膜を張っていく。
それが正しいことかどうかはわからん。ただ、独身のころのワイにはその薄い膜だけが防具やった。
夜勤明けの食卓——プロ同士にしか漏れない本音
今は違う。
嫁さんも同じく介護士で、別の施設で働いとる。夜勤明けが重なった朝は、2人してくたびれた顔で食卓に向かい合う。コーヒーを淹れて、特に何も言わんまま、しばらく座ってることがある。
その沈黙が、独身のころの孤独とはまったく違う。誰かがそこにいる、という静けさや。
そのうちどちらかが口を開く。たいてい他愛もないことから始まる。
「今日なんかあった?」
「うん。Bさんが夜中に5回コール鳴らした。全部トイレ。最後はもう間に合わんかったけど」
「あー……わかる。うちも似たようなもんやった」
「腰、大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど、まあ」
「…………」
「…………」
この「まあ」のひと言に、全部入ってる。
大丈夫やない。でも仕事は続く。腰は痛い。でも休まれへん。そういうことが全部、「まあ」の二文字に収まっとる。介護士同士やからこそ通じる略語みたいなもんや。
嫁さんがあるとき、コーヒーカップを両手で包みながらぽつりと言った。
「この仕事、自分の死生観変わるよな」
ワイは少し考えてから、うん、と答えた。
看取りを何度も経験して、利用者さんの最期に立ち会って、そのたびに「死ぬってこういうことか」という感覚が積み重なっていく。最初のころは怖かった。今は怖くはない。ただ、静かに重たい。
「怖くなくなったのが、逆に怖いときある」と嫁さんは言った。ワイも同じやった。感覚が鈍くなっていくことへの、かすかな不安。でもそれを言い合える相手がいることで、少しだけ軽くなる。
手と腰が覚えていること
20年という時間は、体に刻まれとる。
おむつを替える手の動きは、もう考えなくてもできる。利用者さんを横向きに体位変換する瞬間の、体幹の使い方。ベッドから車椅子へ移乗するときの、足の踏ん張り方。全部、脳より先に体が動く。それが20年で染み込んだ「介護士の体」や。
ただし代償はある。
腰や。
排泄介助のたびに、腰への負荷がかかる。夜勤中に10回、15回とこなすこともある。一回一回は小さな動作でも、積み重なれば腰椎に相当なダメージが入る。
手も同じや。右手の親指の付け根が、冬になると痛む。これは利用者さんの体を支えるときに、親指に力が集中し続けた結果や。整形外科では「使いすぎ」と言われた。使わんわけにいかへんのに、使いすぎって言われる。それが介護士の体の話や。
暴れる利用者さんを安全に抑制しようとするとき、腕に一番力が入る。抵抗がある体を「傷つけないように」支えるには、こっちが力をかなりコントロールせなあかん。全力でつかんだら痣ができる。かといって緩めたら転倒する。その絶妙な加減を、体が勝手に計算するようになるまで何年もかかった。
体が正直に、20年を語っとる。
痛みがある限り、ワイはここにいた証拠や。
嫁さんも腰をやっとる。同じ仕事をしとるから当然や。2人して湿布を貼り合うことがある。笑えるようで笑えへん。でも笑う。それしかない。
深夜の狂気と、不気味な平穏
夜勤の現場には、昼間とは別の「リズム」がある。
夕方から消灯にかけてが一番忙しい。入浴介助の残務、夕食、服薬、口腔ケア、就寝介助——これが怒涛のように続く。消灯が終わって、ようやく全員が落ち着いたかと思った瞬間に、ナースコールが鳴り始める。
ひどい夜は、鳴りやまへん。
——行く。対応する。戻る。
ピンポン。
——行く。対応する。戻る。
ピンポン。ピンポン。ピンポン。
3つ同時に鳴っても、行けるのは1人や。残り2人は待たせる。
その2人が、待ってる間にまた何かする。
それがまた次のコールになる。
終わらへん。ループが終わらへん。
あの音は、慣れても慣れない。体は反応するように訓練されとるから、寝てても聞こえたら起き上がれる。夜勤明けで家に帰っても、しばらくはあの「ピンポン」が耳の奥で鳴り続けることがある。幻聴みたいなもんや。職業病の一種やと思う。
午前3時の静寂
せやけど、夜勤にはもう一つの顔がある。
深夜の2時から4時ごろ、ぴたりと静かになる時間がある。利用者さんが全員眠って、コールも鳴らなくて、施設全体がしんと静まり返る瞬間。
その静けさは、昼間のそれとは質が違う。重たい、どこか息をひそめたような静寂や。廊下の非常灯だけが薄く光っていて、自分の足音だけが床に落ちる。
ワイはその時間が、正直なところ少し怖かった。苦手やった。誰かが静かに逝ってしまうのも、たいていこの時間帯やから。巡視で部屋に入るたびに、胸に薄い緊張が走る。胸が上下しとるか、顔色はどうか。息をしてはるか。
何もなかったとき、ほっとする。
その「ほっとする」感覚も、20年経つと変わってきた。最初のころは「よかった」という安堵やった。今は少し違う。「今日はまだここにいてくれた」という、もっと静かな感謝に近い何かや。
深夜の巡視は、ただの確認やない。
今日もいてくれてる、を確かめる時間や。
嫁さんにそれを言ったら、「わかる」とだけ言った。説明もいらへんかった。同じ戦場にいる人間にしか伝わらへん感覚を、ひと言で受け取ってくれた。
独身のころは、そういう感覚を誰にも言えへんまま飲み込んでた。飲み込んで、また次の夜勤に向かってた。それが今は、食卓でコーヒーを飲みながら「わかる」で完結する。
たったそれだけのことが、20年続けてこられた理由のひとつやと、ワイは思っとる。
Tさんに金的をくらった日も、夜勤明けに嫁さんに話した。
嫁さんはひと通り聞いてから、真顔でひと言だけ言った。
「ガードせなあかんとこやん」
そうやな。ほんまにそうやな。
折れそうな同業者へ——綺麗事なしで言う
ここまで読んでくれた人の中に、今まさに現場で消耗しとる人がいると思う。
腰が悲鳴を上げてる人。夜勤明けに誰とも話さへんまま眠る人。「もうやめたい」と思いながら、でもやめられへんでいる人。
ワイもそういう時期があった。何度もあった。
だから綺麗事は言わへん。「この仕事はやりがいがあります」「利用者さんの笑顔が励みです」——そういうことを言いたいわけやない。そういう言葉は、限界まで追い詰められとる人間には届かへん。むしろ「ワイにはそれが感じられへん、だからダメなんや」と自分を責めさせる燃料になる。
ダメなんやない。消耗しとるだけや。
20年やってきたワイが本音で言える「折れない技術」は、格好のええもんやない。地味で、泥臭くて、それでも確かに効くやつや。
現場で折れないための、ワイなりの答え
- 「今日一日だけ」に絞れ。
明日のことも来月のことも考えるな。今夜の夜勤を乗り越えることだけを考えろ。遠い未来を見るほど、今の消耗が重くなる。 - 体のSOSを後回しにするな。
腰痛は我慢するな。整形外科に行け。湿布を惜しむな。体が壊れたら現場に立てへん。自分の体を守ることは利用者さんを守ることと同じや。 - 「吐き出せる相手」を一人だけ作れ。
同僚でも、家族でも、ネットの見知らぬ誰かでもええ。全部を話さんでもええ。「今日しんどかった」のひと言を受け取ってくれる人間が一人いれば、夜勤明けの重さはだいぶ違う。 - 「感じなくなってきた」と気づいたら立ち止まれ。
鈍感になることで生き延びる時期は確かにある。でも完全に感覚が死んだら、それは危険信号や。泣けなくなった、怒れなくなった、何も感じなくなったなら、本気で休め。 - 辞めることは逃げやない。
続けることだけが正解やない。潰れる前に離れて、また戻ってくることもある。ワイの知っとる同僚で、一度辞めて数年後に戻ってきた奴が何人もいる。現場はなくならへん。いつでも戻れる。
きれいにまとめたつもりはない。ワイが20年で身をもって学んだことを、そのまま並べただけや。
正解かどうかはわからん。でも少なくとも、ワイはこれで今日も現場に立ってる。
利用者さんの家族へ——知っておいてほしいこと
同業者だけやなく、施設に家族を預けてはる方にも、少しだけ伝えたいことがある。
介護士は、あなたの大切な人を毎日毎晩ケアしとる。夜中に起き上がって、排泄介助して、体をさすって、「寒い」という声に応えとる。それが当たり前の仕事やけど、当たり前やからって軽いもんやない。
「ありがとう」のひと言が、現場の人間にとってどれだけのエネルギーになるか。面会に来て、スタッフに一言かけてくれるだけで、その日の夜勤がほんの少し軽くなる。
逆もある。クレームや無理な要求が重なると、担当者が精神的に追い詰められる。あなたの家族を一番よくみとる人間が、疲弊していく。それは誰にとっても損やと思う。
完璧なケアはできへん。人手も時間も限られとる中で、できる限りのことをしとる。それだけは信じてほしい。
夜勤明けの俺に、コーヒー一杯だけ
このブログは広告収入だけで運営してる。スポンサーも後ろ盾もない。ワイが現場で体験したことを、そのまま書いとるだけや。
もしこの記事が「読んでよかった」と思えたなら、夜勤明けのワイにコーヒー一杯だけ奢るつもりで、投げ銭してもらえると正直めちゃくちゃ嬉しい。缶コーヒー一本分でもええ。それがワイの次の記事を書く燃料になる。
介護士の現実を、もっと多くの人に届けたい。そのためにこのブログを続けとる。あなたの「ありがとう」が、その力になる。
やきんかいごにコーヒーを奢る胃瘻の爺さんに金的をくらった話、最後まで読んでくれてありがとう。
笑えるようで、笑えへん話やったかもしれん。痛くて、重くて、それでもどこかに温かいものが混じっとる、そういう話やったと思う。それが介護の現場そのものやから。
Tさんはあの日も翌日も、変わらず廊下を歩いた。ワイも変わらず隣を歩いた。ただ一歩だけ距離を置いて。
それが介護や。劇的には何も変わらへん。誰も褒めてくれへん。ニュースにもならへん。でも毎日、誰かの「今日」を支えとる人間がおる。病院でも施設でも、在宅でも。
同じ現場で消耗しとるあなたに言いたいのは、ひとつだけや。
あなたがそこにいることが、
誰かの「今日」を作っとる。
それだけは、本当のことや。
明日の夜勤も、無事に終わりますように。
腰に気をつけて。
——やきんかいご