「可哀想って、何が可哀想なんですか」
その言葉が、ずっと頭の中で鳴り続けています。
胃ろうがある。口を自分から開けることはない。それでも昼だけ、経口摂取を続けている利用者さんがいました。
家族の「口から食べさせてほしい」という強い希望があったから。
職員が「可哀想やな」と言ったその一言が、クレームになって返ってきた日のことを、今も忘れられません。
胃ろうがあっても「口から」という家族の願い

胃ろう(PEG)というのは、お腹に穴を開けて直接胃に栄養を入れる方法です。
嚥下機能が低下して、口から十分に食べられなくなった方に選択されることが多い。
その方は、胃ろうになる前からすでに、自分から口を開けて食べることがなくなっていました。
身体が「食べる」という行為から、少しずつ離れていくような状態。
でも家族の気持ちは違った。
「口から食べさせてあげたい。それが本人の喜びだったから」
その思いは、本当によくわかります。
食べることは、ただの栄養補給じゃない。その人らしさの一部で、家族との記憶がつまった行為です。
ワイも20年、そういう場面を何度も見てきた。
だから施設として、昼食だけ経口摂取を試みることになりました。
昼食の時間に、現場で起きていたこと
実際の昼食場面を、できるだけそのまま書きます。
スプーンを口元に近づける。
反応がない。
もう一度、角度を変えて近づける。
口が開かない。
職員が声をかけながら、唇にそっとスプーンを当てる。少し押し込むようにして、ようやく口が開く。
ごく少量が入る。飲み込んでるのか、そのまま溜まっているのか、判断が難しい。
誤嚥のリスクが頭をよぎる。
のどがゴロゴロ鳴っていないか。顔色が変わっていないか。
職員は食事介助をしながら、ずっとそれを確認し続けています。
これが「無理やりに近い」という感覚の正体です。
本人が「食べたい」というサインを出していない状態で、口に入れ続ける。
それが正しいのかどうか、介助しながら揺れ続ける。
「可哀想」という言葉が、クレームになった日
ある日、職員の一人がつぶやきました。
「この方、可哀想やな……」
悪意はなかった。むしろ、真剣に向き合っているから出てきた言葉だったと思います。
介護の現場では、感情を殺して働けという話じゃない。感じることが、仕事の一部でもある。
でも、その言葉が家族の耳に入りました。
「職員が『可哀想』と言っているそうですが、何が可哀想なんですか」
クレームとして、施設に連絡が来た。
家族からすれば、「口から食べさせてあげたい」という愛情の行為を、否定されたように感じたんだと思います。
「あなたたちは、私たちの気持ちを可哀想と見ているのか」と。
そのクレームは、間違いではありません。
でも職員の感覚も、間違いではなかった。
どちらも本気だったから、ぶつかった。
――この続き、「家族と現場のズレをどう埋めるか」「クレーム後に職員とどう話したか」「ベテランとしてのワイなりの答え」は、以下の有料パートに書いています。