川本さんの、もうひとつの話

※画像はイメージです(AI生成)

前に、川本さん(仮名)っちゅう利用者さんの話を書いた。夜のあいだの尿量がとにかく多くて、どれだけオムツとパッドを重ねても漏れる夜があった、っちゅう話や。

あの記事の中で、ワイはこう書いた。「なんでそんなに尿量が多かったんか、医学的なとこまでは詳しく分かってへん」と。

それは今も変わらん。ワイは医療職やないから、確かなことは言えん。

で、今日書くのは、その川本さんの昼間の顔の話や。夜勤で漏れと格闘しとったあの人が、昼間、施設の買い物会で何をやっとったか。そして、その川本さんとワイが、食堂の隅で二十分か三十分か、押し問答になった日のことを書く。

きれいな話やない。誰も悪者やない。それでも、ワイの中に十何年、引っかかったままの日や。


とにかく飲む人やった。お茶も、居室の水も

川本さんは、とにかく飲む人やった。

食事のときのお茶。おやつのときのお茶。居室に置いてある水。目に入ったら、飲む。そんな人やったと記憶しとる。

正直に書くと、二十年近く前の話やから、ワイの記憶も完璧やない。「一日にどれだけ飲んどった」みたいな数字は、もう出てこん。そやのに「あの人はとにかく飲む」という印象だけは、はっきり残っとる。

で、飲むだけやのうて、食べる方も止まらん人やった。

そういう人やから、施設としては制限がかかっとった。水分も、食べもんも。買い物会での買いもんも、当然そこに含まれる。

制限の理由は——ワイの記憶が正しければ——心不全やったと思う。ここも、ハッキリせん。二十年近く前やから、断定はできん。そうはいっても、心臓の方で何かあった人やというのは、間違いなかったはずや。


心不全の人に、なぜ水分・塩分の制限がかかるんか

ここからは、ワイの体験やのうて、あとから調べて知ったことや。ハッキリ書き分けとく。現場におった当時のワイは、白状すると「心臓悪いんやから、まあそらアカンわな」くらいの雑な理解しかしてへんかった。

調べて分かったこと|心不全と水分・塩分

心臓は、血液を体じゅうに送り出すポンプの役目をしとる。塩分(ナトリウム)には水を体に溜め込む性質があって、摂りすぎると血液量が増え、心臓の負担が増す。だから心不全の人には、塩分制限がかかることが多いらしい。

水分も同じ理屈で、一度に大量の水分を摂ると体液が一気に増えて、心不全が悪化する原因になるとのこと。ただし、水分制限が必要なんは重症の人や管理が難しい人で、全員に一律で必要なわけやないらしい。ここは主治医の判断や。

で、調べとって、ワイが一番「うわ」となったのが、ここや。

心不全の患者さんは、脳が過剰に水分不足を感じて、渇きを強く感じたり、塩気を求める傾向がある——と。

これ、ほんまやったら、川本さんがあんなに飲んどったんは、わがままとちゃうっちゅうことになる。

体が「足りてへん」と勘違いして、飲め飲めと言うてくる。本人はそれに従っとるだけ。せやのに、周りは「飲みすぎです」と止める。本人からしたら、渇いとるのに飲ませてもらえん。

もちろん、川本さんがその状態やったかどうかは、ワイには分からん。カルテを見てたわけやないし、二十年近く前の話や。そうはいっても、こういう仕組みがあると知った今、あの頃の川本さんの頑固さの意味が、ちょっと変わって見えとる。

※ 制限の判断は、必ず医療職が行います

「水分を何ml までにするか」「何を食べてええか」を決めるんは、医師・看護師の仕事です。介護職が現場の空気で「まあ今日くらいええやろ」と決めてええ話やありません。ここに書いた一般的な知識も、あくまで参考です。個々のケースは必ず主治医・担当看護師にご確認ください。


買い物会と、制限は、相性が最悪やった

ワイがおった施設では、毎週木曜に買い物会があった。1階の食堂に店から商品を持ってきてもらって、机に並べて、値札を貼る。利用者さんが自分の小遣いから買う。

楽しみにしとる人は、ほんまに楽しみにしとった。目に見えて表情が変わる。それは、ええことや。

ただ、制限がかかっとる人にとっては、あれは試練の場でもある。

目の前に、お菓子とジュースがずらっと並ぶ。買える金は、口座にある。周りの人は買うとる。せやのに、自分だけ「アカン」と言われる。

川本さんも、その一人やった。

普段の水分・食事はまだ管理しやすい。決まった量を出す、それで終わる。せやけど買い物会は違う。本人が自分の手で、自分の金で、選んでカゴに入れる。その行為そのものを止めなアカンわけや。

これが、しんどい。


ワイが誘導に回っとった、その隙に

その日、ワイは誘導に回っとった。

買い物会には、自分の足で来れる人もおる。せやけど、車椅子の人や、声をかけんと来れん人もおる。そういう人らを居室から食堂まで連れてくるのが、職員の仕事の一つや。

後輩と一緒やったかもしれん。そこは、もう覚えてへん。ハッキリしとるんは、ワイが食堂を離れとった時間があった、っちゅうことだけや。

で、戻ってきたら。

川本さんが、買い物カゴを一杯にしとった。

ドサッと、盛られとった。何を買うとったか、一個ずつは覚えてへん。そやけど「これは全部は無理や」っちゅうのは、見た瞬間に分かる量やった。

あの瞬間、ワイの頭に浮かんだんは「やってもうた」やった。川本さんに対してやのうて、自分に対してや。離れとる間、誰も見とらんかった。その穴に、川本さんがまっすぐ入ってきた。


買い物カゴ一杯の爺さんを、説得する

「川本さん、ちょっと多いわ。どれか減らそか」

そう言うところから始まった。

で、これが、まあ、納得せんのや。

頑固な爺さんやった。「なんでや」「わしの金やろ」——正確な言葉はもう覚えてへんけど、要するにそういう空気や。理屈で押しても、通らん。

そらそうや。本人からしたら、自分の金で、欲しいもんを買おうとしとるだけや。何が悪いんか、分からん。ましてや、体が「もっと飲め」と言うてきとる状態やったとしたら、なおさらや。

ワイは、一個ずつ手に取って、「これは置いとこか」「これは残そか」と交渉していった。全部取り上げるつもりはない。全部はアカンけど、ゼロにもしとうない。その間を探る作業や。

時間はかかった。何分やったかは覚えてへん。体感では、えらい長かった。

で、ここで一個、現実的な問題が出てくる。他の利用者さんの買い物の邪魔になる。

食堂の真ん中で押し問答しとったら、後ろがつっかえる。買い物会は限られた時間で回さなアカン。それに、他の人の前で「アンタは買いすぎや」とやり合うんは、川本さんの側にも失礼な話や。

だから、場所を移した。事務所の近くまで移動して、そこで続きを話すことにした。


事務所の近くで話しとったら、上長が来た

ここが、この記事を書こうと思った理由や。

事務所の近くで話しとったら、事務課長が出てきた。

で、ワイに、こう言うた。

「別の所で話をしろ」

そして、そのまま立ち去った。

それだけや。手伝いもせん。代わりに説得することもせん。「あとで一緒に考えよか」もない。ひとこと、場所をどけろと言うて、去っていった。

ワイは、川本さんと二人で、また別の場所へ移った。


ワイの現場から — 甘えとったんは、ワイの方かもしれん

― ワイの現場から ―

正直に書く。ワイは、あのとき期待しとった。

事務所の近くを選んだんは、たしかに「食堂の邪魔になるから」やった。それは本当や。せやけど、心のどっかで「ここでやっとったら、誰か出てきて手伝うてくれるんちゃうか」と思っとった。それも、本当や。

制限を決めとるんは、ワイやない。医療職や。施設の方針や。

せやのに、それを本人に伝えて、納得させて、頑固な爺さんとカゴの中身を一個ずつ交渉する——そのしんどい部分だけは、いつも現場の一人が背負うことになる。

そのときに「別の所で話をしろ」と言われて、去られた。あれはこたえた。

ただ——今になって思うんやけど。

事務課長からしたら、事務所の前で押し問答されとるんは、業務の邪魔やったんかもしれん。他の人の目もある。川本さんの体裁を考えたら、あそこは確かに、ええ場所やなかった。そう言われれば、その通りや。

それに、そもそも「上が出てきてくれるはず」と当てにしとったワイの方が、甘かったのかもしれん。誰も、助けに来ると約束したわけやない。

あの人が悪いんか、ワイが甘かったんか。正直、今でもよう分からん。

ただ、一つだけ言えるんは——あの日、あの場面で、ワイは一人やったっちゅうことや。それだけは、事実として、いまだに体に残っとる。


結局、減らせた。それだけの話や

で、結末を書いとく。

最終的には、減らせた。

川本さんは、しぶしぶやったと思うけど、何個か棚に戻すことに同意した。ワイが粘って、粘って、それで折れた。

これを「よかったですね」と書くつもりはない。

だって、何も解決してへんのや。

川本さんは納得したわけやない。ただ折れただけや。「わしの金やのに」という気持ちは、たぶん消えてへん。ワイは、その人の楽しみを削った側の人間として、その場に立っとっただけ。正しいことをやったのに、後味は最悪っちゅう、介護でよくあるやつや。

そして、この構造は変わらんかった。次の木曜も、その次の木曜も、買い物会はある。制限のかかっとる人はおる。誘導に人手を取られたら、また同じ穴が空く。

そのたびに、誰かが一人で説得する。

誰も悪ない。事務課長も、看護師も、施設も、川本さんも。制限は必要やった。それは今も、そう思う。

ただ、「必要な制限」を、生身の人間に呑ませる仕事——あれには、ちゃんと重さがあるんや。それを、あの日のワイは一人で持たされとった。それだけの話や。

― もし今のワイが、あの日に戻れるなら ―

たぶん、説得の仕方は変えん。カゴの中身を一個ずつ交渉する、あのやり方でええと思う。

変えるとしたら、その前や。

誘導で食堂を離れるとき、「川本さん、見といてください」と、誰かに一言かける。それだけで、あの日の押し問答は起きんかったかもしれん。

もう一つ。あとで事務課長に「あのとき、どうすればよかったですか」と聞きにいく。恨み言やのうて、質問として。あの人にも、あの人の言い分があったはずやから。

当時のワイには、どっちもできんかった。悔しかったし、恥ずかしかったし、それで終わってもうた。


よくある質問

Q. 心不全の家族が施設におるけど、飲みたがるのを止めるのは可哀想やないですか?

A. 可哀想や。ワイもそう思う。そやけど、可哀想やからと飲ませて、心不全が悪化したら、もっと可哀想なことになる。だから止める。納得できんかったら、まず担当の看護師か医師に「なんで制限が要るのか」を説明してもらうのがええと思う。理由が腹に落ちたら、家族としても本人に向き合いやすくなる。「ダメだから」だけやと、誰も救われん。

Q. 施設が本人の買い物を止めるのは、権利の侵害にならんの?

A. これ、ホンマにむずかしい問題や。本人の金で、本人が選ぶ。それを止めるんやから、確かに引っかかる。ワイも当時、心の中では引っかかっとった。そうはいっても、医療上の理由がハッキリあって、その説明が本人・家族にちゃんとされとるなら、それは「制限」やのうて「ケア」の範囲やと思う。逆に言うと、説明がないまま一方的に止めとるなら、それは施設側が説明せなアカン。気になるなら聞いてええ。

Q. 本人が絶対に納得せんかったら、どうするん?

A. ワイの場合は、粘った。それしかなかった。そやけど、粘って折れさせるんが正解やとも思ってへん。ホンマは、その場の説得やのうて、買いすぎる状況を作らん段取りの方が大事や。目を離さん、事前に声をかけとく、家族と方針を共有しとく。それでも起きるときは起きる。そのときは、腹くくって向き合うしかない。


この記事、もし「読んでよかった」と思ってもらえたなら——
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