この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。
介護の現実 — 転倒と見守り
見守っていたのに、落ちた。
転倒リスクが極めて高かった92歳の女性と、防ぎきれなかった一瞬の話。
▷ この記事でわかること
- 転倒リスクが極めて高かった、アルコール依存症の既往がある92歳女性の話
- 歩行器でフラフラしながらも「自分で動こう」とする利用者の怖さ
- トイレ誘導での転倒→骨折→入院→車椅子という、現実の経過
- 「誰のせいか」という問いと、防ぎきれない現場の構造
- 車椅子になった後の向き合い方と、命と尊厳の間で揺れ続ける仕事の本質
見守っていたのに、落ちた

20年この仕事をやってきて、ワイが一番しんどいと思う瞬間はどこか分かるか。
事故が起きた瞬間やない。見ていたのに、防げなかった瞬間や。
目が届いていた。距離もそんなに遠くなかった。「さっき確認した」という事実がある。それでも起きる。これが介護の現場の、一番えぐい部分や。
「なんで防げなかったんや」という問いに、答えが出ないまま次の対応に走らなければならない。その「答えが出ないまま走る」という感覚を、ワイは20年分、体に溜め込んでいる。
今日書くのは、そういう話や。ある92歳の女性の、転倒の話や。
その人のことを、最初から書く
その利用者さん——仮に松田さんとしておく——は、入所してきた時から「気をつけなあかん人や」という空気があった。
松田さんには、アルコールの既往があった。
長年飲み続けてきた体というのは、介護の現場では分かる。肌の質感、手の動き、目の動き、言葉の出方——それらが「普通の加齢」とは少し違う質感を持っている。記録を確認したら、やはり長いアルコールの歴史があった。
92歳。数字で書くとただの数字やけど、現場で向き合うと全然違う重さがある。大正の終わりに生まれて、昭和を生き抜いて、平成も令和も見届けて、それでもまだここにいる人や。その人生の厚みが、体全体から滲み出ていた。
そして松田さんには、強い帰宅願望があった。「家に帰る」という言葉を、一日に何度も言う。ただ繰り返すというより、本気で今すぐ帰ろうとしている緊迫感があった。
歩行器でも、足元はフラフラやった
松田さんは、入所してきた時点では、歩行器を使って歩くことができた。
でも——その足元は、フラフラやった。
歩行器を使っていても、体が安定しているわけやない。一歩踏み出すごとに上半身が左右に揺れる。重心が定まらへん。歩行器に体重を預けすぎて、前のめりになる瞬間がある。
「歩ける」と「安全に歩ける」は、まったく別のことや。松田さんは、その典型やった。
アルコールの長い既往は、足腰のふらつきにも、判断力にも影響していたと思う。「自分はまだ歩ける」という感覚と、実際の体のバランスの間に、大きなズレがあった。そのズレが、転倒リスクを極端に高くしていた。
ワイらスタッフは、松田さんが歩行器で移動するときは、必ず誰かがそばにつくようにしていた。
でも——その「必ずそばに」が、現場では常に守れるとは限らへん。ここに、この話のしんどさがある。
「自分で行く」という意志が、一番のリスクやった
松田さんが特に危なかったのは、トイレやった。
松田さんは、トイレに自分で行こうとした。「人の世話にはならへん」という気持ちが、強い人やった。トイレくらい自分で行きたい——その気持ちは、痛いほど分かる。
でも、その「自分で行く」が、一番のリスクやった。
スタッフを呼ばずに、自分で歩行器を掴んで立ち上がろうとする。足元はフラフラ。重心は不安定。そんな状態で一人で動けば、転倒は時間の問題や。
「トイレのときは呼んでくださいね」と何度も伝えた。でも、松田さんは呼ばへん。呼ばずに、自分で動こうとする。
止めれば「自分でできる」と怒る。離れれば、一人で動いて転ぶ。
松田さんは、まさに「止めても怒る、離れたら動く」という、介護現場で一番難しいタイプの利用者さんやった。
そして——ある日、それは起きた。
ワイがその場にいたわけやない。でも、同じ現場で働く人間として、その出来事はワイの中に深く刻まれている。昼間の、トイレの場面やった。