ワイは今日も夜勤明けや。
身体はガタガタ、頭はぼんやり、そして——この臭い

作業着を脱ぐ瞬間、毎回思う。
「ああ、また今日も、こういう仕事をしてきたんやな」と。

これは、介護士20年のワイと、同じく介護の現場で働く嫁の話や。
きれいごとなしで、リアルな話をしようと思う。
知らんかった人は、覚悟して読んでくれ。

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夜勤明けの作業着を、あなたは嗅いだことがあるか

介護の現場に関わったことがない人には、想像もつかへんやろうと思う。

夜勤が明けた朝、ロッカーで作業着を脱ぐ。
その瞬間に漂う匂いは、一言で言うなら「現場の業(ごう)」そのものや。

排泄物の匂い。体液の匂い。食事介助でこぼれた栄養補助食品の匂い。
それが混然一体となって、作業着の繊維の奥深くまで染み込んどる。

入浴介助を担当した日は、特にきつい。
蒸気と体温で温まった浴室の中で、長時間密着して介助する。
その間に、ありとあらゆるものが皮膚に触れる。皮脂、角質、垢、そして時には汚れ。
介護の入浴介助とは、そういう仕事や。

「汚い」とか「きつい」とか、そんな言葉で片付けられへん重さがある。
ただ、それが20年間のワイらの日常やった。

ワイがまず気づいたんは、腕やった。
利用者さんの身体を支えながら浴槽に入れる、その動作を何十回も繰り返す。
気づいたら前腕の内側が、常に赤くなってる。
「摩擦やろ」と最初は思ってた。でも、それだけやなかった。

ガサガサになる。粉を吹く。ちょっとした刺激でひりひりする。
夜、布団の中で腕が熱を持ってる感覚で目が覚める夜もあった。

「落ちない汚れ」が、生活を侵食していく

仕事終わり、帰宅してまず向かうのはお風呂や。
これは介護士の習慣、というより義務に近い感覚がある。

でも、シャワーを浴びたからといって、すっきりするかというと——そうでもないんよな。

皮膚に染み付いた感覚、というのがある。
物理的な汚れは落ちても、なんか「まだいる」感じがするんや。
これは清潔観念が過敏になってるせいもあるかもしれんけど、
実際に皮膚がうまくリセットされてへん感覚が続いてた。

そしてもう一つ、落ちない汚れの問題がある。

爪の間に残るもの。指の側面の溝に入り込んだもの。
どれだけ念入りに洗っても、翌日の現場に向かうとき「昨日のなにか」がまだそこにある気がする。
これは介護士あるあるで、同僚と話すとみんな口を揃えて言う。
「なんか、落とし切れへん感じ、分かる」と。

介護士の手が、「普通の手」に戻ることはない。

乾燥、赤み、荒れ——それは勲章でも何でもなく、ただの消耗や。
毎日現場に出て、毎日自分の皮膚を削って、毎日それを洗い流そうとして——
その繰り返しが20年続いたら、どうなるか。答えはもう出とる。

嫁の手が、ある日「おばあちゃんの手」に見えた

ある休日の朝、嫁が台所でお茶を淹れとった。
ワイはソファから、その後ろ姿をぼんやり見てた。

カップを持つ手が、目に入った。

——あれ、いつからこんな手になってたんやろ。

嫁はワイより現場歴が長い。数字で言えば、もう20年を超えとる。
日々、利用者さんの身体に触れ、体を支え、清潔ケアをして、排泄介助をして——
その蓄積が、手に出とった。

指の関節の皮がぶ厚くなってる。
甲の部分はガサつきが目立つ。
爪周りはどれだけケアしても、荒れが戻ってくる。

「痛いとか、かゆいとかはないで」
嫁はそう言ったけど、ワイには何とも言えない気持ちがあった。

この人は20年間、他人の身体の世話をしながら、
自分の手のことを後回しにし続けてきたんや——そう気づいた。

「とりあえず泡立てる」という地獄のルーティン

ワイが現役のころからずっと疑問やったことがある。

お風呂に入って、体を洗う。
それ自体は当たり前のことや。
でも、「何で洗うか」については、ずっと深く考えてこんかった。

とりあえず泡立つもんを手に取って、とりあえず全身に伸ばして、とりあえず流す。
介護の現場で過ごした後の疲れ果てた頭では、そのくらいしかできへん。

でもある時、嫁がこんなことを言い出した。

「なあ、うちら毎日ちゃんと洗ってるのに、なんでこんなに肌の調子が悪いんやろ」

それがすべての始まりやった。

そこから嫁はいろいろ試し始めた。
保湿力が高いと書いてあるもの。敏感肌向けと書いてあるもの。
皮膚科の先生がすすめると書いてあるもの。価格が高ければ良いかと思ったもの。

結果は——どれも、ピンとこんかった。

使い始めはよくても、続けていくと何かが引っかかる。
匂いが強すぎる。洗い上がりがなんかぬるぬるする。翌朝また乾燥してる。
「なんでこんなに難しいんやろ」と、嫁はため息をついとった。

── 20年前と今 ──

20年前のワイは、何も感じてなかった

介護の仕事を始めたころのことを、たまに思い出す。

20代やった。体力もあったし、精神的にも今より鈍かった——悪い意味やなくて、余計なことを考えへんかったという意味で。
夜勤明けで帰ってきて、シャワー浴びて、そのまま布団に倒れ込む。
それで十分やった。

肌の調子が悪いとか、臭いが取れへんとか、そんなことを気にする余裕もなかったし、
気にしなくても支障がなかった。
若さは、ある程度の無茶を帳消しにする。

でも、30代半ばを超えたあたりから、少しずつズレが出始めた。

疲れが翌日に残るようになった。
肌が回復するのに時間がかかるようになった。
夜勤明けのシャワーでリセットできる感覚が、だんだん薄れていった。

20年前は「洗えば終わり」やった。
今は「洗っても、終わらへん」になってしまった。

「業(ごう)」は、年々重くなる

介護の現場で触れるものを、もう少し正直に書く。

排泄介助。入浴介助。体位変換。食事介助。
これらは、利用者さんの身体に直接触れる行為や。
グローブをするとはいえ、長時間の作業の中で皮膚への接触は避けられへん。

入浴介助は特にきつい。
浴室の蒸気の中で、全身を使って利用者さんを支える。
その間、自分の腕や手首、時には顔にまで、現場のあらゆるものが触れる。
皮脂、角質、体液——それが蒸気と混じって、肌に染み込んでいく。

これを毎日繰り返す。
週5日、月20日、年240日、それが20年。

単純計算で4800日以上、ワイらの皮膚は「現場」にさらされ続けてきた。
それだけの蓄積が、身体にないわけがない。

「慣れる」と「蓄積する」は、全然ちがう話や。

感覚が麻痺して気にならへんようになることと、
身体へのダメージが消えることは、イコールやない。
ワイらは「慣れた」と思い込みながら、ただ蓄積し続けてきただけやったんかもしれへん。

20年前と今——変わったこと、変わってへんこと

正直に比べてみる。

項目 20年前(20代) 現在(40代)
夜勤後の回復 当日中には戻る感覚 翌日まで引きずる
肌の状態 多少荒れても数日で元通り 一度荒れると長引く。完全には戻らへん
臭いへの感覚 シャワーでリセットできてた 洗っても「まだいる」感覚が残る
精神的な重さ 仕事終わりに切り替えられた 現場の感覚が、家に帰っても続く
体を洗う目的 汚れを落とすだけで十分やった 「何かを落とし切れてへん」感覚との戦い

変わってへんのは「現場の過酷さ」だけや、ということや。
身体は年々消耗していくのに、現場から要求される負荷は20年前と何も変わってへん。
むしろ人手不足で、一人あたりの担当は増えとる。

嫁が「もう無理かも」と言った夜のこと

嫁が夜勤から帰ってきて、風呂から上がってきた後、ソファに座ったまま動かへんかった。
しばらくして嫁がぽつりと言った。

「なあ、うち、この仕事あと何年続けられるんやろ」

体の話やったのか、気持ちの話やったのか、今でも分からへん。
たぶん、両方やったと思う。

「洗っても洗っても、どこかに残ってる気がする。
これ、一生続くんかな」——そう言った嫁の顔を、ワイは今でも忘れられへん。

肌のトラブルは「不潔」のせいやない、「過剰」のせいや

ある時、嫁が皮膚科に行って言われたことを教えてくれた。
「洗いすぎてる可能性がある」と。

肌には、もともと自分を守るための膜がある。
それを毎日、強い摩擦と刺激で削り続けることで、
外からの刺激に対してどんどん無防備になっていく——そういうことらしかった。

汚いから荒れてるんやない。
洗いすぎてるから、荒れてるんかもしれへん。

20年間、正反対のことをしてきた可能性がある——
その事実は、ワイらにとってかなり重たかった。

「精神的な汚れ」という、もう一つの話

利用者さんの死を、何度も見送る。
家族に怒鳴られることもある。
夜中に一人で緊急対応することもある。
それを翌日には「はい、次」でこなしていかなあかん。

その積み重ねが、じわじわと「現場を家に持ち帰る」という状態を作り出す。
物理的に帰宅しても、頭の中はまだ現場にいる。
身体を洗っても、気持ちがリセットされへん。

お風呂は、介護士にとって単なる「清潔行為」やない。
現場と家庭のあいだに引く、たった一本の境界線や。
その境界線が機能してへんとき、人はじわじわと壊れていく。
── 全部試してきた ──

「敏感肌向け」と書いてあれば安心か、というと——

嫁が最初に手を出したのは、ドラッグストアで「敏感肌」「低刺激」と書かれた系統のものやった。
「肌が弱ってるなら、敏感肌向けを選べばええやろ」という、シンプルな発想で。
ワイも最初そう思ってた。

合わんかった ドラッグストア系「敏感肌向け」ボディウォッシュ
使い始めの1週間はよかった。泡立ちも悪くないし、洗い上がりもしっとりしてる感じがあった。
でも2週間目あたりから、背中に細かい吹き出物が出始めた。
「保湿成分」として入ってる何かが、かえって肌に残りすぎとったんかもしれへん。
「しっとり感=良いもの」という思い込みが、最初の落とし穴やった。
合わんかった 某有名メーカーの「泡タイプ」全身用
泡で出てくるから摩擦が少なくて良い、と聞いてた。確かに肌への摩擦は減った気がした。
でも嫁は「なんか、洗えてる感じがしない」と言い続けてた。
現場から帰ってきた後の「落とし切れてへん感覚」が、これを使うとさらに強くなった。
精神的なリセット感が皆無やった、というのが正直なところ。
合わんかった 「医薬部外品」の薬用系ボディソープ
殺菌・消臭効果をうたうやつ。介護士の同僚に「現場帰りにはこれがいい」と聞いて試した。
確かに臭いはすっきりする。でも使い続けたら、腕の内側がガサガサを通り越してひび割れ始めた。
刺激が強すぎた。肌の弱ってる部分にダメージが集中した感じで、1ヶ月で断念。
合わんかった ネットで話題の「高価格帯・天然成分系」
「高いから良いやろ」という、最も単純な理由で買った。
香りは良かった。パッケージも洗練されてた。成分表も見るからに丁寧そうやった。
でも嫁の肌には、何も起きなかった。良くも悪くもならへんかった。
「変化なし」が、ある意味で一番しんどい結果やった。お金だけ出て、何も変わらへん。
どれも「何かを加えて解決しようとしてた」という点やった。
保湿成分、殺菌成分、天然成分——種類は違えど、全部「足し算」の発想やった。

夜勤明け、嫁とした会話

「……ただいま。お風呂先もらうわ」
ワイ 「お疲れ。昨日どうやった?」
「入浴3連チャンやった。腰と腕がもう終わっとる」
ワイ 「今日何使うん?あの新しいやつ?」
「……やめた。腕、また荒れてきてる気がして。なんか合ってへんわ、あれ」
ワイ 「また?何回目やそれ」
「……数えたくない」

この「数えたくない」という一言が、すべてを表してると思う。

何度も試して、何度も諦めて、また試して、また合わなかった。
希望を持って試す体力が、だんだん削れていく。

「合わない」を分解してみたら、見えてきたこと

① すぐ分かる「合わない」
使い始めてすぐに赤みが出たり、かゆみが出たりする。これは分かりやすい。すぐやめられる。

② じわじわ来る「合わない」
最初は悪くない。でも2週間、1ヶ月と続けると、じわじわ荒れてくる。
「あれ?最近肌の調子悪いな」と思った時には、すでに長く使い続けてしまってる。これが一番厄介や。

③ 変化がない「合わない」
悪くもならへんけど、良くもならへん。お金だけかかって、何も変わらへん。
これが一番発見しにくくて、一番無駄にお金を溶かすパターンや。

「成分の多さ」が、判断を難しくしてた

10種類の成分が入ってたとして、どれが原因で荒れてるのか——追いかけようとしても、追いかけられへん。
結局「なんとなく合わへん気がする」で終わって、また次を探し始める。
この繰り返しの中に、何年もいた。

成分が少ないほど、「原因の候補」が絞られる。
シンプルなものの方が、自分の肌との相性を確認しやすい——
これは、長い回り道の末にたどり着いた、地味やけど大事な結論やった。

「違い」が分かったのは、使い続けてからやった

嫁がシャボン玉石けんの浴用石けんに切り替えてから、最初の印象は「普通やな」やった。
劇的に何かが変わるわけやない。使い始めて2日目も「普通」。1週間経っても「まあ普通かな」。

「なんか、肌がしんどくないわ」
ワイ 「しんどくない、って?良くなったんちゃうの」
「良くなった、とはちゃうねん。なんか……何も起きてへん。それが、すごい久しぶりの感覚やわ」

「何も起きてへん」が、正解やった。
これまでずっと「合わないもの」と戦ってきたから、「問題が起きない普通」を忘れてしまってた。

それに気づいたとき、嫁が少しだけ黙った。
ワイも何も言えへんかった。

やきんかいご おすすめ
シャボン玉石けん
浴用石けん

足し算を繰り返した末に、引き算でたどり着いた石けん。派手な効果はない。でも「何も起きない」という、現場帰りの体には何より必要な状態を作ってくれる。顔にも体にも使えて、成分がシンプルやから「何が合わなかったのか」の追跡もしやすい。

  • 無添加・純植物性——成分がシンプルで合否の判断がしやすい
  • 顔・体兼用——洗面台とお風呂を一本で済ませられる
  • 「しっとり感」より「何も起きない」を優先したい人向け
  • 比較的手頃な価格で、試すハードルが低い
  • 嫁が今も使い続けている——継続こそが答えや
 

 

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