夜勤介護マンの日記

介護現場で感じたことを、体験ベースで書いています

【役職を降りても】老健大会の発表直前、トイレで吐き気に襲われた元主任|消えない責任感の正体

 

この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。

元主任が発表前に吐き気をもよおした日
——肩書きがなくなっても、責任感は残る

発表の順番が来る前に、その人はトイレに消えた。

戻ってきた顔は、少し青かった。「吐き気がした」と、小声で言った。笑えるような、笑えんような顔をしながら。

その人は、もう主任やなかった。肩書きを退いて、一介護士に戻っていた。でもあの日の緊張は、現役の主任やった頃と何も変わらんように見えた。

肩書きは消えた。でも責任感だけは、どこにも行かんかった。ワイはその背中を見ながら、介護職の「プロ」というものについて、ずっと考え続けた。

この記事でわかること

  • 老健大会とは何か——介護の現場で研究発表が行われる理由
  • 元主任がトイレで吐き気をもよおすほど緊張していた、その理由の正体
  • 「肩書き」と「責任感」は、なぜセットで来てセットで消えないのか
  • 介護現場における「プロの矜持」とは何かをワイなりに解剖する
  • 肩書きを失った人間が、それでも本気を出す姿が持つ意味
  • 20年現場にいるワイが、あの日から学んだこと

老健大会とは何か

介護老人保健施設——老健と呼ばれる施設がある。特別養護老人ホームとは違い、在宅復帰を目指すリハビリ寄りの施設や。その老健の職員たちが、日々の実践や研究をまとめて発表する場が「老健大会」や。

学術的な雰囲気のある、いわゆる学会発表に近いもんやと思ってくれたらいい。施設の職員が演題を作って、スライドを用意して、会場の前に立って発表する。他施設の職員や管理職、医療職なんかも見に来る。質疑応答もある。

介護の世界を知らない人には、「介護士が研究発表?」と思われるかもしれない。でも現場では、ケアの質を高めるための研究や事例報告が日常的に行われとる。どうすれば褥瘡が防げるか、認知症の利用者さんのBPSDにどう対応するか——そういう積み重ねを、言葉にして発表する場が老健大会や。

発表するまでの道のりは、簡単やない。演題を決めて、データを集めて、スライドを作って、発表練習をして、当日を迎える。その準備に、数ヶ月かかることもある。施設の顔として立つ場やから、プレッシャーは相当なもんや。

発表前にトイレへ消えた先輩

その日、ワイは先輩と一緒に大会会場にいた。先輩は発表者で、ワイはサポートで帯同しとった。

会場は中規模のホールやった。他施設の職員も大勢いて、発表ブースが並んどった。受付を済ませて、自分たちの発表時間を確認して、待機エリアに座った。

先輩は、ずっと手元のスライド資料を見てた。何度も見返してた。もう内容は頭に入っとるはずやのに、それでも見てた。指先が、微妙に震えとった。

発表の30分ほど前やった。先輩が急に立ち上がって「ちょっとトイレ」と言った。声が少し掠れてた。

戻ってくるまで、10分くらいかかった。ワイは待機エリアで、先輩のスライド資料を膝の上に置いたまま、ぼんやり他の発表を聞いてた。

戻ってきた先輩の顔は、やや青かった。「吐き気がした」と、ワイにだけ聞こえるくらいの声で言った。「大丈夫ですか」とワイが聞いたら、「うん、もう大丈夫」と言った。でも顔色は、完全には戻ってなかった。

ワイは何も言えんかった。「頑張ってください」も違う気がした。「無理しないでください」も違う。ただ「わかりました」とだけ言って、先輩の隣に座り直した。

「元主任」という立場の話

先輩は、その時点ですでに主任を退いていた。

主任という役職は、施設によって定義が違うけど、一般的には現場をまとめるリーダー的な立場や。シフト管理、後輩指導、管理職との橋渡し——そういう役割を担う。現場の最前線と管理側の間に立つ、一番しんどいポジションとも言える。

先輩は何年もそれをやってきた。でも、諸事情があって主任を退いた。肩書きを外れて「一介護士」に戻った人間やった。

老健大会の発表は、主任時代に関わったプロジェクトの延長線上にあった。主任を退いた後も、そのプロジェクトだけは引き続き担当することになっていた。だから発表者として名前が残っていた。

肩書きは外れた。でも、自分が関わってきた仕事への責任は、外れなかった。

なぜ肩書きがなくなっても緊張するのか

ワイが最初に感じた違和感は、ここにあった。主任を退いた人間が、なぜあそこまで緊張するのか。もう「施設の顔」としての責任はないはずや。それでも、トイレで吐き気をもよおすほど緊張していた。

ワイはしばらく考えて、こう思い至った。責任感は、肩書きから来てるんやなかった、と。

先輩があのプロジェクトに注いできた時間と労力は、主任やった頃のものや。何度も会議を重ねて、データを集めて、チームをまとめて、形にしてきた。その「自分が作ってきたもの」への責任が、肩書きとは別のところにあった。

肩書きは組織が与えるもんや。でも責任感は、自分がその仕事に向き合ってきた時間の重さから来る。組織が肩書きを外しても、その時間の重さは外せない。

責任感の正体——それはどこから来るのか

責任感とは、「自分がやってきたことへの誠実さ」やとワイは今は思う。

先輩は、あのプロジェクトに誠実やった。主任としての役割が終わった後も、その誠実さだけは続いとった。誰かに言われたからやない。評価されるからやない。ただ、自分がやってきたことを、ちゃんと終わらせたかった。それだけや。

発表の時間が近づいてきた。先輩は一度大きく息を吐いて、資料をまとめて立ち上がった。顔色はまだ完璧やなかった。でも目だけは、落ち着いてた。

「行きます」と言った。それだけで、ワイの後ろについて歩き出した。

その背中を見ながら、ワイは「この人は本物のプロやな」と思った。感情やなく、事実として。

発表本番——あの背中が語ったもの

発表は、うまくいった。トイレで吐き気をもよおした人間の発表やとは、見ていて思わんかった。声は安定してた。スライドの切り替えも流れていた。質疑応答も、きちんと答えていた。

終わったあと、先輩はワイのところに戻ってきた。「終わった」と言った。それだけで、ため息をついた。ワイは「よかったですよ」と言った。先輩は「そう?」と言って、少し笑った。

ワイが見たのは、肩書きを失った人間が、それでも本気を出した瞬間やった。評価のためでも、地位のためでも、誰かに認められるためでもなく——ただ、自分がやってきたことへの誠実さだけで、あの壇上に立った。

肩書きがある人間の本気は、「立場があるから」という理由が混ざる。でも肩書きを失った人間の本気には、それがない。純粋な責任感だけが残る。

主任という役職が、介護現場で何を意味するか

先輩がかつて担っていた「主任」という役職について、もう少し掘り下げたい。介護の現場における主任は、外から想像されるより、はるかに重たいポジションや。

管理職とも違う。現場スタッフとも違う。どちらでもあって、どちらでもない。その曖昧さが、主任というポジションの一番しんどいところや。

介護現場の主任が抱える重さ ── ワイの観察

・後輩の指導と評価を担いながら、自分も現場に入り続ける

・管理職の方針に納得できなくても、現場には伝えなあかん

・現場の不満を聞きながら、自分の不満は飲み込む

・シフトが足りなければ自分が入る、問題が起きれば自分が対応する

・「主任やから」という一言で、多くのことが当たり前になる

先輩は、それを何年もやってきた。「主任やから」という言葉で飲み込んでいたものが、どれだけあったかを、ワイは完全には知らない。でも、相当なものやったと思う。

肩書きを失うとき、何が変わって何が変わらないか

先輩が主任を退いたとき、変わったことと変わらなかったことがある。変わったのは「立場」や。シフトの決定権、後輩への正式な指導責任、管理職との直接的なやりとり——それらが変わった。

でも変わらなかったのは、「この施設の介護をよくしたい」という感覚やった。主任を退いた後も、後輩に声をかけ続けていた。利用者さんへの関わり方が変わらなかった。そして、あの老健大会の発表を引き受け続けた。

肩書きがある間は、責任感と立場がセットで来る。肩書きを失うと、立場だけが消えて、責任感だけが残る。

介護現場における「プロの矜持」とは何か

プロの矜持は、人に見せるもんやない。評価されるためのもんやない。肩書きがある間だけ機能するもんやない。誰も見てなくても、評価されなくても、立場がなくなっても、自分がやってきた仕事に誠実であり続けること——それがプロの矜持の正体やとワイは今は思う。

先輩は、トイレで吐き気をもよおすほど緊張していた。それを誰かに見せるつもりはなかったはずや。壇上では、それを一切出さなかった。その落差に、ワイはプロというものを見た。

「頑張り」と「矜持」の違い

頑張ることは、エネルギーを出すことや。外に向かう力や。誰かに見せられる。でも矜持はそうやない。内側にあるものや。「自分はこういう人間や」という、静かな確信に近い。それは誰かに説明するもんやなくて、行動ににじみ出るもんや。

先輩が壇上で発表したのは、「頑張った」結果やない。自分がやってきたことへの矜持が、身体を動かした結果や。吐き気がしながらも立った。ワイにはそう見えた。

「評価されない本気」が持つ力

介護の現場で20年働いて、ワイが一番印象に残っているのは、「評価されない場所での本気」を見た瞬間やと思う。利用者さんが誰もいない夜中に、丁寧に環境整備をしていた先輩。記録に残らない会話を、時間をかけて利用者さんとしていたベテランの職員。そしてあの日、肩書きを失ったあとも、吐き気と戦いながら壇上に立った元主任。

評価される本気は再現できる。でも評価されない本気は、その人の人間性から来る。そっちの方が、ずっと信頼できる。

先輩が老健大会で発表し終えたあと、会場の外に出た。空気を吸うように、大きく息をついた。その息の長さに、今日一日の重さが全部入っとった気がした。

独身時代——先輩の背中を見ながら、ワイは何を考えていたか

あの老健大会の日、ワイは独身やった。帯同という形で先輩についていったけど、会場の中でワイは終始「見る側」やった。発表するのは先輩で、ワイは資料を持って隣に座っているだけや。

先輩がトイレから戻ってきた青い顔を見てから、ワイは妙なことを考え続けとった。

ワイはあの人みたいになれるやろか。

肩書きを失っても、吐き気と戦いながらでも、自分がやってきた仕事のために壇上に立てる人間に。その問いが、会場の空気の中でずっと頭をぐるぐるしてた。

独身の現場職員が抱える「軽さ」の正体

独身時代のワイは、今振り返ると、どこか「軽かった」と思う。身軽やったということや。でもその「軽さ」の裏側に、何かが欠けてた気がする。それは、「積み上げているものへの実感」やった。

夜勤明けにアパートに帰ると、部屋には誰もいない。着替えて、飯を食って、横になる。天井を見ながら「今日も終わった」と思う。

その「終わった」に、達成感と虚しさが同時にあった。利用者さんのために動いた実感はある。でもそれが、自分の何かに積み重なっていく感覚が薄かった。

先輩があの日壇上に立てたのは、「積み上げてきたものの重さ」があったからやとワイは思う。何年もかけて関わってきたプロジェクト、主任として背負ってきた責任、チームをまとめてきた時間——そういうものが積み重なって、あの吐き気と戦えるだけの「理由」になった。独身のワイには、まだその重さがなかった。

先輩から無言で教わったこと

先輩はワイに何も言わなかった。アドバイスもなかった。「こう生きろ」という言葉も、一切なかった。ただ、見せてくれた。吐き気がしても壇上に立つ背中を。発表が終わったあとに外に出て、長い息をつく横顔を。言葉にされなかったから、かえって深く刻まれた。

人間は、言葉より背中から学ぶ。ワイはあの日、先輩の背中から「責任感の重さ」というものを初めて身体で理解した。

積み上げにくいのは、「誰かと共有した時間の重さ」やとワイは思う。先輩が持っていたものは、チームで動いてきた記憶や、後輩が育っていく様子を見てきた時間や、利用者さんとの長い関わりやった。それは、ひとりで積み上げるものやない。誰かと一緒に過ごした時間が、少しずつ積み重なっていくものや。

あの老健大会の帰り道、先輩と施設に戻るバスの中で、ワイはずっと窓の外を見ていた。先輩は目を閉じていた。疲れ果てているように見えた。

でもその疲れ方が、ワイの夜勤明けの疲れと違う種類やった。充実した消耗、とでも言うんか。使い切った感じがした。

ワイの夜勤明けの疲れは、消耗した疲れや。先輩のそれは、注ぎ切った疲れやった。その違いが、何年か経った今になってやっとわかる。

あの老健大会の日を境に、ワイの中で何かが少し変わった。夜勤明けにアパートに帰って天井を見るとき、「今日も終わった」だけやなくて、「今日何が積み上がったか」を少し考えるようになった。先輩があの日見せてくれたのは、「積み上げてきたものが人間を支える」という事実やった。

今日の積み上げは、今日の自分を支えない。でも10年後のワイを、今日の積み上げが支える。先輩はそれを、身体で証明してくれた。

同じ現場で積み上げているあなたへ——41歳現役の本音

同じ現場で今日も動いている人間に、ワイが言えることを書く。綺麗事なしで。

  • 今日の積み上げを、小さくても確かめろ 夜勤明けに天井を見るとき、「今日何が積み上がったか」を一つだけ探せ。利用者さんの好みをひとつ覚えた。後輩に一言声をかけた。それだけでいい。積み上げは、自覚してはじめて積み上げになる。自覚しなければ、ただの消耗で終わる。
  • 肩書きに惑わされるな——でも肩書きを軽く見るな 肩書きは立場を作るが、責任感は作らない。責任感は自分で育てるしかない。ただ、肩書きが与えてくれる「視野の広さ」は本物や。役職を経験できる機会があるなら、逃げずに受けろ。しんどくても、必ず何かが積み上がる。
  • 「誰かと共有した時間」を大事にしろ 独身時代のワイが積み上げにくかったのは、技術やなく「誰かと共有した時間の重さ」やった。利用者さんとの長い関わり、後輩と一緒に悩んだ夜、チームで乗り越えた修羅場——それは一人では積み上がらん。面倒くさくても、深く関われ。その時間が、いつか「重さ」になる。
  • プロの矜持は、誰かに見せるもんやない 評価される場所で本気を出すことは誰でもできる。評価されない場所で、誰も見てない時間に、それでも誠実でいられるかどうか——それがプロとアマの分かれ目やとワイは思う。先輩はトイレで一人吐き気と戦った。それを誰にも見せるつもりはなかった。それがプロや。
  • 肩書きを失っても、積み上げたものは誰も奪えない 役職が変わることがある。立場が変わることがある。組織の都合で、ある日肩書きが消えることがある。でも、自分がこれまで積み上げてきたものは、誰にも奪えない。先輩がそれを証明した。肩書きがなくなっても、あの発表を支えたのは積み上げてきたものやった。

やきんかいごへのサポート

元主任が吐き気と戦いながら壇上に立った話を、ワイは今でも鮮明に覚えとる。

あの背中が、独身時代のワイに「積み上げるとはどういうことか」を教えてくれた。言葉じゃなく、身体で。

ワイはこのブログを、顔も名前も出さずに書き続けとる。施設にバレたら困るし、特定されたら終わる。それでも書くのは、現場のリアルを「なかったこと」にしたくないからや。先輩の背中が教えてくれたことも、ここに残しておきたかった。

もしこの記事が「積み上げてきたものには意味がある」という感覚を、少しでも届けられたなら——夜勤明けのワイに、缶コーヒー一本だけ奢ってくれへんか。それがまた次を書く理由になる。あなたの現場の話が、また誰かに届く。押しつけやない。気が向いたときだけでいい。

やきんかいごにコーヒーを奢る → ※ 金額は自由です。缶コーヒー一本分でも、十分すぎるくらいうれしいです。

結び——あの息の長さのことを、ワイは忘れない

発表が終わって、先輩が会場の外に出た。空気を吸うように、大きく息をついた。

その息の長さが、ワイの頭に焼き付いとる。

吐き気と戦って、それでも壇上に立って、言いたいことを言い切って、外に出て息をついた。その一連の流れに、何年分かの重さが全部入っとった。

肩書きは消えた。でも先輩があの日抱えていた重さは、肩書きとは関係なかった。自分がやってきたことへの誠実さが、あの発表を支えた。評価のためでも、誰かに認めてもらうためでもなく、ただ自分が積み上げてきたものへの責任だけで、あの壇上に立った。

それがプロというものや、とワイは思う。

肩書きがある人間は、立場が本気を後押しする。でも肩書きを失った人間の本気には、それがない。残るのは、積み上げてきたものと、それへの誠実さだけや。

あなたが今日積み上げたものが、いつかあなたを支える日が来る。先輩のあの息の長さが、それを証明しとる。ワイはそう信じて、今日も現場に行く。

やきんかいご ── 完