夜勤介護マンの日記

介護現場で感じたことを、体験ベースで書いています

【執念の水分】洗面台の水まで飲む利用者さん|水中毒との壮絶な戦いと「習慣」が止められない現実

 

この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。

夜勤介護マン / 現場の記録

水を飲み続けた爺さんと、
止められへん習慣の話。

20年現役介護士が見た、水中毒という現実

 
この記事でわかること
  • 水中毒とは何か、介護現場でどう起きるか
  • 習慣化した行動を「止める」ことがなぜこれほど難しいのか
  • 職員がとった対応と、その限界
  • 精神科入院・退院後に何が起きたか
  • バルーンカテーテルという選択が意味するもの
  • 20年現場にいる人間が、この出来事をどう受け止めたか
第1陣:水を飲み続けた爺さんの話
第2陣:習慣と脳——止められへん理由の構造
第3陣:職員が消耗していく現実
第4陣:20年分の答えと、それでも続ける理由

20年この仕事をやっとる。 老健、特養、住宅型——いくつかの施設を経て、 今も現役で現場に立っとる。 その20年で、「忘れられへん利用者さん」が何人かいる。

Aさん——仮にそう呼ぶ——は、80代の男性やった。 小柄で、口数が少なくて、笑うと目が細くなる人やった。 認知症の診断はついていたけど、会話はそれなりにできた。 「今日は天気がええな」「飯はまだか」くらいのことは、ちゃんと言えた。

ただ一つだけ、Aさんには困った習慣があった。 水を、際限なく飲む。

コップに注いだ水を飲む、というレベルやない。 テーブルに置いてあるほかの利用者さんの水も飲む。 食事の汁物を先に全部飲み干して、器を舐める。 花瓶の水に手を伸ばしたこともあった。 最初にその報告を聞いたとき、正直「大げさやないか」と思った。 でも実際に現場で見て、それが大げさやないとわかった。 Aさんの水への執着は、普通の「水が好き」とは次元がちがった。

最初は「水が好きな人」やと思っていた

介護施設では、水分摂取の管理が仕事の一部になっている。 高齢者は脱水になりやすいから、「今日は何cc飲んだか」を記録する。 だからAさんが水をよく飲む、という最初の報告を聞いたとき、 現場的には「むしろいいことやないか」という空気があった。

でも数字を見て、空気が変わった。 1日の水分摂取量が、3リットルを超えていた。 記録ミスかと思った。でも翌日も、翌々日も、同じだった。 食事の水分も入れると、もっと多い。

問題はそれだけやなかった。 Aさんは施設の水だけでは足りなくなっていた。 洗面台に顔を近づけて、蛇口から直接飲んでいた。 職員が止めに行っても、また飲む。 少し目を離すと、洗面所に向かっている。 廊下の掃除用のバケツから飲もうとしているのを、 見つけた職員が青ざめた場面もあった。

水中毒という病態

「水中毒」という言葉を知っているか。 水の飲みすぎで、体内のナトリウム濃度が急激に下がる状態のことや。 低ナトリウム血症と呼ばれる。 症状は、頭痛、吐き気、けいれん、意識障害—— 重症になると死に至ることもある。

水は体にいい、という常識が通じへん状態がある。 Aさんはまさにそれやった。 飲めば飲むほど体の中のバランスが崩れていく。 でもAさんにはそれがわからへん。 飲みたいから飲む。それだけや。

医師に相談した。制限をかける指示が出た。 「1日1,500ccまで」という上限が設定された。 職員は記録をつけながら、Aさんが飲もうとするたびに声をかけた。

「Aさん、さっき飲みましたよ。少し待ちましょうか。」
「わかった。」

Aさんは素直に頷く。でも5分後にはまた洗面台の前にいる。 「わかった」という言葉を、本当に理解しているわけやない。 認知症の記憶の問題だけやない。 「水を飲む」という行動が、もはや意志とは別のところで動いている。 習慣が、体に染みついてしまっとる。

施設の中に、においが変わる場所があった

Aさんの部屋の近くを通ると、わかった。 湿った空気のにおいがした。 水を大量に飲んで、大量に排泄している人間がいる部屋のにおい。 おむつの交換頻度が上がって、スタッフの動きが増えた。

洗面台の周りは、いつも濡れていた。 Aさんが蛇口に顔を近づけるとき、水が飛び散るから。 床も滑りやすくなって、転倒のリスクが上がった。 洗面所に滑り止めマットを追加した。 でもAさんは構わず向かっていく。

その動きには迷いがない。 認知症でふらつきがあるはずなのに、洗面台に向かうときだけは早い。 廊下をゆっくり歩いていたAさんが、洗面所の扉を見た瞬間に、 足が急いた。 それを何度も見た。 体が、目的地を覚えている。 頭が忘れていても、足は覚えている。 習慣とは、そういうものやと思い知らされた。

声かけが「仕事」になっていった

Aさんへの水分制限は、現場の負荷を確実に上げた。 他の利用者さんのケアをしながら、Aさんの動きを目の端で追い続ける。 洗面所の扉が開く音がするたびに、誰かが立ち上がる。 それが1日に何十回も続く。

職員の疲弊は、じわじわと広がった。 「また行ってる」という声に、怒りはない。でも疲れがある。 Aさんが悪いわけやない。 でもその「悪くない人」の行動に、こっちの体力が削られていく。 介護の現場にある、言語化しにくい消耗のひとつがこれや。

ある日の申し送りで、先輩がこう言った。

「Aさん、今日は洗面台に8回行ってる。全部記録してあるから。」

8回。それだけで1日のかなりの時間が、Aさんの対応に使われた計算になる。 記録の数字が、現場の消耗を静かに物語っていた。

Aさんへの声かけは、時間が経つにつれて変化していった。 最初のころは「Aさん、お水はさっき飲みましたよ」と丁寧に伝えていた。 でも何十回も繰り返すうちに、言葉が短くなる。 「Aさん、戻りましょう」。それだけになっていく。 丁寧さを失いたいわけやない。でも体が省エネモードに入っていく。 それが、現場のリアルや。

「なぜ水を飲みたいのか」は、誰にもわからなかった

Aさんがなぜここまで水にこだわるのか、 医師も、看護師も、介護職員も、明確な答えを出せなかった。

認知症の症状として「異食」や「過食」が出ることはある。 口寂しさ、感覚の異常、不安からくる行動化—— いくつかの仮説は出た。でも決定的な理由はわからへんかった。 Aさん本人に聞いても、「喉が渇くから」と言う。 それ以上の言葉は出てこない。

「喉が渇く」という感覚が、実際に異常に亢進しているのか。 それとも「水を飲む」という行動自体が目的になっていて、 渇きはもはや関係ないのか。 どちらにしても、Aさんにとっては「飲まなければならない」という感覚が、 おそらく本物としてそこにある。 苦しいから飲む。飲んだら楽になる。その回路が、体に刻まれてしまっとる。

その回路を、外から止めることがどれだけ難しいか。 たばこをやめられない人、アルコールをやめられない人、 そういった依存の問題と、本質的には同じ構造やと僕は思っとる。 意志の問題やない。脳と体が作り上げたパターンの問題や。 それが「習慣」の怖さやと、Aさんを通して初めて腑に落ちた。

施設全体が、Aさンのペースに引っ張られていた

Aさんの水分管理が始まってから、 フロア全体の空気が少し変わった気がした。 何かが「張りつめている」感じ、とでも言えばいいか。 職員同士の会話に「Aさん今どこにいる?」が増えた。 目配りが増えた分、他の利用者さんへの関わりが薄くなる瞬間があった。

それは誰のせいでもない。 でも現場では確実に起きていたことや。 一人の利用者さんの状態が、フロア全体のバランスを変える。 介護施設というのは、そういう場所や。 個別ケアと集団ケアの間で、常に綱渡りをしている。 Aさんはその綱を、毎日少しずつ揺らし続けていた。 揺らすつもりなんて、もちろんない。それでも揺れる。 それが現場の現実や。

止めても、また向かう。
わかっていても、体が動く。
それが「習慣」というものの、本当の重さや。

Aさんの状態は、その後どうなったか。 精神科病院への入院、退院後の再発、 そして最終的にバルーンカテーテルが入るまでの経緯を、 第2陣で続けて書く。

NEXT / 第2陣

入院、退院、そして再び始まった「習慣」。医療と介護の狭間で、Aさんの体に何が起きたか。


この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。

夜勤介護マン / 現場の記録 ― 第2陣

シーツまで汚染された朝と、
入院が決まった日のこと。

第1陣の続き / 水を飲み続けた体が、限界を超えた

 

第1陣で書いたように、Aさんの水分制限は現場の負荷を確実に上げていた。 でもそれ以上に、職員を追い詰めていたのは排泄の問題やった。

大量に飲めば、大量に出る。 当たり前の話やけど、その「大量」の規模が、 Aさんの場合は普通とはちがった。

一番大きなパッドでも、足りなかった

介護施設で使うおむつには、パッドという吸収体を重ねて使う方法がある。 日中は薄いもの、夜間は厚いものを使い分けるのが基本や。 最大吸収量のパッドは、通常の利用者さんなら一晩ほぼ問題なく持つ。

Aさんには、その最大サイズのパッドを使っていた。 それでも足りなかった。

夜間帯に確認に行くと、パッドがすでに限界を超えている。 交換する。また確認に行く。また限界を超えている。 1回の夜間帯で、複数回の交換が当たり前になっていた。 それでも間に合わない日があった。

パッドを超えて、おむつ本体へ。おむつを超えて、衣類へ。衣類を超えて、シーツへ。 その順番で汚染が広がっていく。 シーツまで到達した朝というのは、現場では「漏れた」どころの話やない。 ベッド全体の交換が必要になる。 マットレスのカバーまで確認する。 Aさん本体の清拭も、全身になる。

その作業が、夜明け前の時間帯に入ることもあった。 一人夜勤のとき、他の利用者さんの朝の対応が始まる時間に、 Aさんのシーツ交換と全身清拭が重なる。 体が二つほしいと、本気で思った。

においの話を、正直に書く

水分を大量に摂取している人の排泄物は、においが薄い、とよく言われる。 それは半分正解で、半分は違う。

量が多いから、においが広がる範囲が広くなる。 シーツまで汚染された状態の部屋に入ると、 扉を開けた瞬間に空気が変わる。 湿度と、体温と、尿の揮発成分が混ざった、 あの重たい空気。 何年やっても、鼻が慣れることはない。慣れたと思っても、慣れてへん。 体が一瞬だけ「ここは違う空間や」と信号を出す。 それを押し込んで、作業に入る。

Aさんは申し訳なさそうな顔をすることもあった。 「すまんな」と言うこともあった。 「すまんな」と言える認知があるのに、飲むことはやめられへん。 そのギャップが、現場では一番しんどかった。 責める気持ちはない。でも「すまんな」という言葉を受け取るたびに、 返す言葉を探す作業が発生する。 「大丈夫ですよ」と言う。それしか言えへん。 でも大丈夫やないことは、お互いわかっている。

シーツ交換の作業そのものは、慣れれば早くできる。 でも慣れても消えへんものがある。 作業中に感じる「また同じことが起きた」という重さや。 これは疲労とはちがう。 疲労は休めば回復する。でもこの重さは、休んでも少し残る。 現場で長く働く人間の体に、じわじわと積み層になっていくものや。 20年やってきて、それが何なのかをうまく言語化できないでいたけど、 Aさんのことを振り返ると、その正体に少し近づける気がする。 「どうにもならへんことに、毎日向き合い続けること」の蓄積、やと思う。

医療との連携が始まった

Aさんの状態が施設内の対応では限界に近づいてきた段階で、 医師と看護師を交えたカンファレンスが開かれた。

血液検査の結果を見ると、ナトリウム値が基準を下回っていた。 水中毒の初期段階として、医療的な介入が必要と判断された。 精神科への入院という選択肢が、テーブルに乗った。

介護施設から精神科病院への入院、というのは、 現場では珍しくない選択肢ではある。 BPSD(認知症の行動・心理症状)が強くなって、 施設での対応が困難になったとき、一時的に精神科で環境を整える。 投薬の調整、行動の観察、症状の安定を図って、 落ち着いたら施設に戻ってくる——という流れや。

ただ現場の本音を言うと、この「入院」という選択には、 複雑な気持ちが混じることが多い。

「入院になったら、Aさんの環境がガラッと変わる。それがプラスになるかどうか。」
「でもこのまま施設で続けるのも、限界が近い。」
「家族はどう思ってるんやろ。」

カンファレンスの後、職員同士でそういう話をした。 答えは出えへんかった。 でも結果として、家族の同意を得て、Aさんは精神科病院へ入院することになった。

入院前夜に見た、Aさんの顔

入院が決まった翌日の朝、Aさんはいつも通り洗面台に向かっていた。 止めに行くと「わかった」と言って、部屋に戻った。 5分後にはまた向かっていた。

その繰り返しを見ながら、僕は思った。 Aさんにとって、明日から病院に行くという事実は、 どこまで理解されているんやろ、と。 「入院しますよ」と伝えた。「そうか」と言った。 それだけやった。

不安なのか、怖いのか、何も感じていないのか——表情からは読めなかった。 ただ、夕食後に洗面台に向かおうとしたAさんを止めたとき、 いつもより少しだけ抵抗が弱かった気がした。 気のせいやったかもしれへん。 でも僕にはそれが、Aさんの「わかってる」の表れに見えた。

20年前と比べて、何が変わったか

Aさんのような、水分過多の利用者さんに僕が最初に出会ったのは、 20年前の老健やった。 当時は「水中毒」という言葉すら、現場でほとんど使われていなかった。 「水をよく飲む人」として対応していたと思う。 数値管理も今ほど厳密ではなかった。

今は違う。 「多飲水」という概念が現場に浸透して、 水分量の記録、血液データとの照合、医師との連携—— 一定の対応プロトコルができている。 その点は、20年で確実に前進した。

でも変わっていないことがある。 「大量に飲む人の排泄対応を、誰が、どれだけの体力で担うか」 という問題への答えは、20年前も今も、現場任せのままや。 手順が整備されても、シーツを交換するのは人間の手だ。 記録様式が電子化されても、清拭するのは人間の体だ。 そこに使われる時間と体力への、制度的な補填は今もない。

「記録に残らないケアは存在しないものとして扱われる」と第2陣で書いた。 夜明け前のシーツ交換も、深夜の全身清拭も、 介護報酬の計算式の中に、個別の重さとして織り込まれていない。 それが20年変わらない、この仕事の構造的な問題やと思っとる。

シーツを取り替えるのは、
いつも人間の手だ。
それを誰かが担っている事実は、
制度の外に置かれたままや。

Aさんが入院した後、フロアは少し静かになった。 洗面所の扉が開く音を、誰も追いかけなくてよくなった。 その静けさが、安堵なのか、空虚なのか、 うまく言葉にできないまま、次の利用者さんの対応に入った。

職員の間で「Aさんどうしてはるかな」という言葉が出ることはあった。 悪意のある場面では一度もない。 純粋に気になっていた。あの小柄な背中が、病院の廊下を歩いているのを想像した。 施設と病院では、空気がちがう。環境がちがう。人がちがう。 その変化が、Aさんの体と認知にどう影響するか—— 現場にいる人間は、みんな少しずつ心配していた。 言葉にしないだけで。

そしてAさんは、しばらく後に退院してきた。 施設に戻ってきた初日、Aさんが最初に向かったのは—— 洗面台やった。

NEXT / 第3陣

退院後も止まらなかった「習慣」。そして最終的にバルーンカテーテルが入ったとき、職員に走った感情のこと。


この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。

夜勤介護マン / 現場の記録 ― 第3陣

一人夜勤の孤独と、
20年で削られていった体の話。

第2陣の続き / 独身時代の現場、肉体の蓄積、深夜の狂気と平穏

 

Aさんが入院して、フロアが静かになった日のことを書いた。 でも「静かになった」のは、Aさんがいなくなったからだけやない。 あの時期、僕は一人夜勤の日が続いていた。 誰かに相談する相手もなく、判断をひとりで抱えていた。 今日はその話を書く。

独身時代の一人夜勤は、全部ひとりだった

今でこそ夜勤の組み方も施設によって違いがあるけど、 あのころは一人夜勤が当たり前の施設が多かった。 夜の11時から翌朝まで、フロアに介護士は自分だけ。 看護師は緊急時のオンコール対応で、基本は不在。 利用者さんが急変したら、まず自分が動いて、それから連絡する。

Aさんの対応がある夜は、特に緊張した。 いつ洗面台に向かうかわからへん。 いつシーツが汚染されるかわからへん。 他の利用者さんのナースコールが鳴っている間も、 Aさんの部屋の方が気になっている。 意識が常に二つに割れている感覚が、夜中ずっと続いた。

誰かに「今日しんどかった」と言える相手が、職場にいなかった。 アパートに帰っても一人やった。 夜勤明けのシャワーを浴びて、床に寝転んで、 天井を見ながら「これでよかったんかな」を繰り返す。 答えは出えへんけど、繰り返す。 それが独身時代の、夜勤明けの習慣やった。

判断を間違えたかもしれへんという感覚

ある夜、Aさんが深夜に洗面台から離れなかった。 声をかけても「もう少し」と言って離れへん。 強引に止めるべきか、もう少し様子を見るべきか。 他の部屋でナースコールが鳴り始めた。

そのとき僕は、Aさんに「わかりました、少しだけですよ」と言って、 他の部屋に向かった。 戻ってきたとき、Aさんはまだ洗面台にいた。 どれだけ飲んだかはわからへんかった。

その判断が正しかったかどうか、今でもわからへん。 あの夜に飲んだ量が、翌日の血液データにどう影響したか。 記録には残ってるかもしれへんけど、 「あのとき自分がどう動くべきやったか」への答えは、どこにも残っていない。 一人夜勤のしんどさは、その「答えのなさ」を一人で抱えることや。

手と腰が、覚えていること

Aさんの排泄介助は、通常より体力を使った。 大量に出るから、パッドが重い。 ベッド上での交換は、前傾姿勢が基本になる。 その体勢で、重くなったパッドを丸めて、清拭して、新しいものを当てる。 一回の動作としては大したことない。 でもそれが夜中に何度も重なる。

腰への負荷が、じわじわと積み重なっていった。 Aさんの対応が続いていたころ、明け方になると腰が重くなっていた。 「痛い」というより「重い」。 ずっしりとした重さが、腰の奥に残っている感覚。 それを引きずったまま、朝の申し送りをして、帰宅する。

手も変わっていった。 排泄介助のたびに手袋をはめて、外して、消毒する。 その繰り返しで、指の関節の皮膚が薄くなっていく。 冬場は乾燥してひび割れる。 ハンドクリームを塗っても、翌日の夜勤でまた元に戻る。 20代のころの手と、今の手は、見た目がちがう。 関節の形が変わった。皮膚の質が変わった。 これは介護士の体に、確実に刻まれていく印や。

体が「もう終わり」と言う瞬間

独身のころ、Aさんのシーツ交換が明け方に入った夜があった。 全身清拭、シーツ交換、衣類の交換、記録—— それが終わったとき、廊下に出て壁にもたれた。 立っているのがしんどかった。 座り込みたかったけど、まだ朝の対応が残っていた。

そのとき体が「もう終わりや」と言っている感覚があった。 疲れとはちがう。 「これ以上は無理」という体からの信号が、はっきりと来た。 でも動いた。次の部屋に向かった。 動けるうちは動く。それだけが、あのころの判断基準やった。

今思えば、それは誇れることやない。 限界まで動くことは、ミスのリスクを上げる。 自分の体を壊すリスクを上げる。 でもあの状況で、それ以外の選択肢が見えへんかった。 一人やったから。相談できる人間が、その場にいなかったから。

独身時代の夜勤明けに、先輩や同僚と話せる機会はほとんどなかった。 日勤のスタッフと入れ替わりで帰る。 申し送りを5分でして、あとは一人でアパートに帰る。 施設の外に出た瞬間、張りつめていたものが緩む。 でもどこにも放出できへんから、体の中でそのまま固まっていく。 それが翌週の夜勤に持ち越される。 その繰り返しが、独身時代の何年かで積み重なった。 あのころ自分が抱えていたものの重さを、 今になってようやく少し客観的に見られるようになった気がする。

ナースコールが止まらない夜

Aさんの対応と並行して、他の利用者さんのナースコールが重なる夜がある。 それがどういう状態になるか。

1号室のコールが鳴る。向かう。対応している間に3号室が鳴る。 「少し待ってください」と声をかけて、3号室へ。 終わったら1号室の続きが残っている。 そこに7号室が加わる。 廊下を歩いていると、Aさんの部屋から水音がする。

全部に同時に対応できる人間はいない。 優先順位をつける。緊急度の高い方から動く。 でも優先順位を下げた部屋の人は、待っている。 その事実は変わらへん。

ナースコールの音は、慣れても慣れへん。 鳴るたびに体が反応する。 脳が「行かなあかん」と命令する。 その命令が夜中に何十回も来る。 体は動いているけど、頭が少しずつ追いつかなくなっていく。 「次は何をするんやったか」が、ほんの一瞬だけわからなくなる瞬間が来る。 その「一瞬」が怖い。 ミスが生まれるとしたら、たいていその「一瞬」の後やから。

深夜3時の、重たい静寂

嵐のような時間が終わると、急に静かになる。 深夜3時前後、ナースコールが止んで、フロアから人の気配が消える。 Aさんもその時間帯は眠っていることが多かった。

その静けさが、独身時代は特に重たかった。 喋る相手がいない。確認できる相手がいない。 「今日の自分の動きは正しかったか」を問いかけても、 返ってくる声がない。

廊下を一人で巡回する。 各部屋の扉の前で立ち止まって、呼吸音を確認する。 聞こえる。聞こえる。聞こえる——。 聞こえなかったとき、どう動くか。その手順を頭の中で繰り返す。 それが深夜3時の、一人夜勤の習慣やった。

Aさんの部屋の前を通るとき、少しだけ歩みが遅くなる。 扉の向こうで、規則正しい寝息が聞こえる。 その音を確認するまで、呼吸を止めている自分がいる。 聞こえた瞬間、少しだけ肩の力が抜ける。 それを「安堵」と呼んでいいのかどうか、あのころはわからんかった。 今もまだ、うまく言えへん。

静寂の中で、利用者さんが眠っている。 何人かは、もう目が覚めないかもしれない体で眠っている。 それを知りながら廊下を歩く。 「今夜は何事もなく終わってほしい」という祈りに近い感覚が、 巡回のたびに体の底から湧いてくる。 20年経った今も、その感覚だけは変わっていない。

一人の夜は、全部ひとりだった。
判断も、消耗も、祈りも。
それでも、朝まで動き続けた。

Aさんは退院後も、また水を飲み始めた。 施設に戻った初日に洗面台に向かったことは、第2陣の最後に書いた。 その後、状況はどう動いたか。 バルーンカテーテルという最終的な選択が、どういう経緯でなされたか。 そして職員に走った「安堵」という感情の正体を、 第4陣で書く。

NEXT / 第4陣・完結

退院後も止まらなかった習慣。バルーンカテーテルが入った日、職員が感じた「安堵」とは何だったのか。20年分の答えとともに書く。


この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。

夜勤介護マン / 現場の記録 ― 第4陣・完結

バルーンが入った日に、
職員全員が「よかった」と思った理由。

全4陣の締め / 安堵の正体と、それでも続ける理由

 

退院後、Aさんは施設に戻ってきた初日から洗面台に向かった。 第2陣の最後に書いた通りや。 病院での数週間は、Aさんの「習慣」を何も変えなかった。 変えられなかった、と言う方が正確かもしれへん。

現場に戻ってきたスタッフ全員が、それを見て何かを悟った。 言葉にはしなかった。でも空気で伝わった。 「また始まる」という、あの感覚。

バルーンカテーテルという選択

水中毒の進行と、排泄汚染の繰り返し。 医師と看護師、施設スタッフ、そして家族を交えたカンファレンスが再び開かれた。 そこで出た選択肢のひとつが、バルーンカテーテルの留置やった。

バルーンカテーテルというのは、尿道から膀胱にチューブを入れて、 尿を体外に排出させる医療的処置や。 施設の現場では「カテーテル」と略して呼ぶことが多い。 これが入ると、排尿は自然にバッグへ流れていく。 おむつの汚染は、大幅に減る。

本人・家族の同意を経て、バルーンが留置されることになった。 処置自体は看護師が行う。介護職員が直接関与する場面ではない。 でもその結果は、現場全体に伝わった。

「Aさん、カテーテル入ったって。」
「……そうか。」
「よかったな。」
「……うん。よかった。」

この会話の「よかった」が、どういう意味やったか。 それを正直に書く。

「安堵」という感情の正体

バルーンが入ったと聞いたとき、僕は確かに「よかった」と思った。 Aさんの健康を心配していたから、というのは本当や。 水中毒が進行すれば、命に関わる。そのリスクが下がる。 それは純粋に、よかった。

でもそれだけやなかった。 シーツを何度も取り替えなくてよくなる。 深夜に全身清拭が重なることが減る。 洗面台に向かうAさんを何十回も止めなくてよくなる。 その現実的な「楽になる」という感覚が、同時に来ていた。

その「楽になる」への安堵を、素直に喜んでいいのかどうか。 あのとき、一瞬だけ迷った。 利用者さんへの医療的処置に対して、 「自分たちが楽になるから」という視点で安堵することは、 介護職として正しいのか、と。

でも20年現場にいて、今はこう思う。 あの安堵は、正直な感情やった。正直な感情を持つことは、間違いやない。 限界まで消耗したスタッフが「楽になりたい」と思うのは、 弱さやない。人間として当たり前のことや。 その感情を持ちながらも、毎日Aさんのそばで動き続けてきた。 それだけで十分やと思っとる。

介護職員が「楽になりたい」と思うことを、 罪悪感と一緒に飲み込んでいる現場を、20年で何度も見てきた。 飲み込んだ罪悪感は消えへん。積み重なる。 やがて「自分はこの仕事に向いていないんやないか」という疑念に変わる。 そうやって現場を離れていく人間を、何人も見てきた。 「楽になりたい」と思うことと、利用者さんへの敬意は、矛盾しない。 その両方を持ちながら動き続けることが、プロの仕事やと僕は思っとる。

41歳の現役として、同じ現場にいる人間へ

この記事を読んでいる人の中に、今まさに「Aさんみたいな利用者さん」を担当している人がいると思う。 毎日同じことが繰り返されて、改善の見込みが見えなくて、 「いつまで続くんやろ」と思いながら出勤している人が。

そういう人に、綺麗事は言わへん。 「やりがいを見つけて」とか「利用者さんの笑顔が支えに」とか、 そういう言葉は、消耗しきった人間には届かへんことを知っとる。

だから一つだけ言う。

「しんどい」という感覚は、正しい。 あなたの感覚がおかしいんやなくて、状況がおかしい。 限界まで追い込まれている人間が「しんどい」と感じるのは、 センサーが正常に機能している証拠や。 そのセンサーを壊すまで続けることが、美徳やない。

明日からできること、一つだけ

具体的な話をする。 「限界を超えたら動く」ではなく、「限界の手前で動く」ことを意識してほしい。

具体的には——記録に一行だけ、本音を書く習慣を作ってみてほしい。 業務記録やない。自分用のメモや。 「今日しんどかった」「Aさんの対応が夜中3回あった」「腰が終わった」—— それだけでいい。残すことで、自分の消耗を客観的に見られるようになる。 「気のせいやない、本当にしんどかった」という証拠が手元に残る。 それが、次の一手を考えるための材料になる。

管理職への相談、職種変更の検討、異動、転職—— どの選択も、「自分が本当にしんどかった」という事実を確認してからでないと動けへん。 感覚だけで動こうとすると、「でも自分が弱いだけかも」という自己否定に負ける。 記録は、その自己否定に対抗する武器になる。

家族の介護をしている人にも、同じことを言いたい。 「しんどい」を記録してほしい。 日付と、何があったかだけでいい。 それを持って、地域包括支援センターに行く。 「記録を見てもらえますか」と言えば、相談の入口になる。 感覚だけで「もう限界です」と言うより、記録がある方が動いてもらいやすい。 制度は冷たい。でも記録は正直や。

もう一つだけ言う。 「やめること」を、禁じ手にしないでほしい。 人手不足の現場では「あなたがいないと回らない」という空気が生まれやすい。 でもその空気に飲まれて、体を壊してからやめる人を、 20年で何人も見てきた。 限界を超えてからやめるより、限界の手前でやめる方が、 次の場所に立てる体が残る。 「やめる選択肢を持っている」というだけで、 毎日の消耗のスピードが変わる。逃げ道を持つことは、逃げることやない。 続けるための、体力の温存や。 あなたが倒れた後に施設が困っても、あなたの体は戻らへん。 その順番だけは、間違えないでほしい。

ここまで読んでくれたあなたへ
夜勤明けの俺に、
コーヒー一杯だけ奢ってくれへんか。
10,000文字以上、読んでくれてありがとう。

Aさんのことを書くのは、しんどかった。 あの夜の重さを言葉にするたびに、体の奥から何かが引っ張り出される感覚があった。 でも書いてよかったと思っとる。

「読んでよかった」と思ってくれたなら、それだけで十分や。 でもこの記事が、あなたの明日を少しだけ軽くしてくれたなら—— コーヒー一杯分だけ、背中を押してくれへんか。

100円からできる。押した瞬間に、このブログが続く理由になる。 夜勤明けに書いた文章が、誰かの夜勤明けに届いていると思うと、 また次を書く気持ちが湧いてくる。 それだけが、ここを続けてる理由や。
コーヒー一杯、奢ってみる ※ofuse(オフセ)という投げ銭サービスです。100円から可能です。
押してくれた分だけ、次の記事を書く燃料になります。

Aさんのその後と、この記事の締め

バルーンが入ってから、Aさんの生活は少し変わった。 排泄の面での汚染は大幅に減った。 職員の動きが、少し落ち着いた。

Aさんは相変わらず、水を飲もうとすることがあった。 洗面台に向かう足は、バルーンが入っても止まらなかった。 習慣は、医療処置でも完全には消えなかった。

でも職員に、少しだけ余裕が生まれた。 声をかける言葉に、少しだけ温度が戻った気がした。 「Aさん、またですか」という言葉が、 「Aさん、戻りましょか」に変わっていった。 その変化は小さい。でも現場では大きい。

余裕が生まれると、見えるものが変わる。 Aさんが洗面台に向かうとき、その背中を見ながら、 「この人はなぜこんなに水が飲みたいんやろ」と 純粋に思えるようになった。 以前はそれを考える余裕がなかった。 止めることで精一杯やった。 余裕は、相手を「人」として見る時間を取り戻してくれる。 それは小さいけど、介護の仕事の根っこにある部分やと思う。

介護の現場では、「解決」はほとんどない。 問題は続く。状態は変化する。でも「終わる」ことはなかなかない。 その中で「少しだけ楽になる」瞬間を積み重ねることが、 この仕事を続けることと同じ意味を持っている。 20年かけて、そう思えるようになった。

習慣は、止められへんかった。
でも現場は、少しだけ変わった。
その「少しだけ」が、積み重なっていく。

Aさんはその後、施設で過ごし続けた。 詳しいことは書けへん。でも、最後まで「すまんな」と言える人やった。 その言葉の重さを、今でも覚えとる。

10,000文字以上、読んでくれてありがとう。 同じ現場にいる人、現場を支えている家族、 介護という仕事を遠くから見ている人—— 誰かの何かに、少しでも届いていたら、それで十分や。

また夜勤に行ってきます。