夜勤介護マンの日記
この記事は、夜勤介護マンが実際の介護現場で経験した出来事をもとに書いています。個人や施設が特定されないよう配慮しており、確認できていないことは書いていません。特定の利用者さんや職員を批判したり、笑いものにする目的の記事ではありません。現場エピソード
便が出ても陰部洗浄を嫌がる利用者さん|清潔にしたい介護職と拒否する本人の間で迷ったオムツ交換
良かれと思うケアが、本人には嫌な介助になる。答えが出ないまま繰り返したオムツ交換の話
オムツを使っている男性の利用者さんがいました。普段のオムツ交換でも手のかかる人やったけど、いちばん難しかったのは便が出た時です。
便が出ていると、拭き取るだけでは落としきれないことがあります。だからワイは、陰部洗浄をしようとしていました。きちんと落として清潔な状態にしたかったし、感染予防のことも頭にあった。
ところが、洗おうとすると本人は怒りました。
怒られたからといって、便で汚れたままにしておくわけにもいきません。かといって、嫌がっている人に無理やり手を進めるのが正しいとも思えない。オムツを開けて便を確認したその瞬間から、どうするかで足が止まります。
しかも、これは一度きりの話やありません。便が出るたびに、同じところで同じように迷いました。
この記事は、その繰り返しの中でワイが何を考えていたのかを書いたものです。先に断っておくと、うまくいった方法は出てきません。こうすれば拒否がなくなる、という話でもない。書けるのは、答えが出ないまま毎回考え直していた、その中身だけです。
この記事で分かること
- 陰部洗浄を拒否されたオムツ交換で実際に起きていたこと
- 清潔保持と本人の拒否の間で介護職が迷う理由
- 良かれと思うケアが本人には嫌な介助になる現実
- 拒否の理由を決めつけてはいけない理由
- 同じ場面で考えたい判断軸
便が出たオムツ交換で陰部洗浄をすると怒る男性利用者さん
オムツ交換そのものにも手がかかる人だった
その方はオムツを使っていました。普段のオムツ交換でも、こちらが思うようには進まないことが多く、手のかかる人という感覚が残っています。
どこがどう大変やったのか、細かいところまでは正直覚えていません。何年も前のことやし、当時の記録を見返せる立場でもない。だから、ここで具体的な動作や場面を書き足すことはしません。はっきりしているのは、普段の交換でも手がかかったということと、便が出た時はそれがさらに難しくなったということです。
介護の仕事をしていると、こういう覚え方をしている出来事がけっこうあります。全体の手ざわりだけが残っていて、細部は抜け落ちている。抜けたところを埋めて書き始めると、たいてい自分で作った話が混ざるので、覚えている線で止めておきます。
便が出た時がいちばん難しかった
尿だけの交換と、便が出ている交換とでは、必要な手間がまるで違います。拭き取りで済むかどうかも違うし、皮膚に残るものの量も違う。かかる時間も長くなります。
その方の場合、便が出た時の介助が特に難しかった。ここは、はっきり覚えています。
排泄の介助は、体を動かしてもらう場面が多く、身体的な負担がかかりやすいケアです。それに加えて、下半身を人に見られて、触られて、拭かれる。一般的に言っても、これはかなりプライベートな介助にあたります。介護職からすれば業務のうちの一つでも、受ける側にとっては毎回それなりのことが起きている。
この非対称は、どの利用者さんにも当てはまる話やと思います。ただ、その方の場合は、それがはっきり反応として返ってきました。
洗おうとすると怒られる
陰部洗浄をしようとすると、その方は怒りました。
どんなふうに怒ったのか、何を言われたのかは書きません。覚えていないからです。台詞や動きを思い出せないのに、それらしい場面を書けば、それはもう記事のための演出になります。ここで確かなのは、洗おうとすると怒られた、という一点だけです。
その一点だけで、オムツ交換の性質が変わります。汚れを落とすという作業が、相手にとって嫌なことをする作業になる。手を進めれば進めるほど相手を怒らせる、という状態に入っていくわけです。
介助を止めれば、その場は静かになります。でも便は残っている。続ければ、汚れは落ちるけれど、相手は怒っている。どちらを選んでも、選ばなかったほうの問題が手元に残る。
では、怒られると分かっていながら、なぜ洗おうとしたのか。次はそこを書きます。
介護職としては便の汚れをきちんと落としたかった
拭き取るだけでは落ちきらないことがある
理由は単純です。便をきちんと落として、清潔な状態にしたかった。
一般的な話として、便が皮膚に残ったままになれば、その部分への刺激は続くことになります。オムツの中は湿気がこもりやすく、こすれも起きやすい環境です。だから、拭き取りだけで終わらせず、洗い流すという方法が選ばれることがあります。
もちろん、これは「洗浄しなければ必ずこうなる」という話ではありません。皮膚の状態も、便の付き方も、その人の状況によって変わります。ただ、汚れが残っている状態を良しとする理由は、介護する側にはなかなか見つかりません。
感染予防に努めたいという意識があった
もう一つ、感染予防のことも頭にありました。
排泄物を扱う場面は、感染対策の面から注意が向けられるところです。本人の皮膚を清潔に保つという意味でも、周囲へ広げないという意味でも、汚れを残さないほうがいいという判断になります。
ここで気をつけたいのは、便が付いたら必ず何かが起こる、という言い方をしないことです。そこまで断定できる根拠をワイは持っていません。ただ、下げられるリスクなら下げておきたい、という程度の意識は、現場で働いていれば自然に身についてきます。
実際にその方へ皮膚のトラブルや感染症が起きたかどうかは、ワイは確認していません。だから、そういう結果があったとも、なかったとも書けない。この記事で書けるのは、清潔にしたいという意図があった、というところまでです。
ただし「しっかり洗えば正しい」とも限らない
一方で、洗えば洗うほど良い、というものでもないはずです。
一般論として、強くこすることや、必要以上に洗いすぎることが皮膚の負担になる場合があります。清潔にしたいという目的が、やり方によっては別の負担を生むこともある。目的が正しいことと、方法が適切であることは、やっぱり別の話です。
この記事では、どんな洗い方が正しいのかという手順には踏み込みません。ワイ自身、当時どんな物品を使って、どういう手順で行っていたのかを正確に覚えていないからです。覚えていないことを、それらしく書くつもりはありません。
陰部洗浄ボトルの扱い方や、こすりすぎを避けて便の汚れを落とす考え方は、陰部洗浄ボトルの使い方と便処理・おしりケアで整理しています。
そして、清潔にしたいという目的があったからといって、本人がそれを望んでいたわけではない。ここからが本題です。
良かれと思うケアでも本人にとっては嫌な介助になる
目的が正しくても、受け止め方は別
介護職の側には、清潔にしたいという目的がありました。本人には、洗われるのが嫌だという反応がありました。この二つは、どちらかが間違っているという関係ではありません。同時に成り立ってしまいます。
ケアの目的が妥当であることと、その方法が本人に受け入れられることは、別々の話です。目的が正しければ相手も分かってくれるはずや、という前提を置いていると、拒否された時に行き場がなくなります。
実際、その場で説得が通じるなら、こんなに長く覚えてはいません。通じないまま、手だけが進んでいく感じがあった。
善意は同意の代わりにならない
本人のためにやっている、という気持ちはありました。ただ、その気持ちがあるからといって、本人の同意が要らなくなるわけではない。
ここは、頭では分かっていても手が先に動く場面です。目の前に汚れがあって、落とせる手段があって、時間も限られている。その状況で「嫌がっているから一度止まろう」と考えるのは、思っているより難しい。
逆に言えば、善意で押し切れてしまうケアほど、あとから自分の中に引っかかりが残ります。ワイの場合、この件がまさにそれでした。
「本人のため」という言葉の使い方
介護の現場では、本人のため、という言葉がよく出てきます。便利な言葉ですが、便利すぎるところがある。
この言葉を置いた瞬間に、話が終わってしまうことがあるからです。本人のためやから仕方ない、本人のためやから多少嫌がられても、という形で、本人の反応が検討の対象から外れていく。
ただし、逆方向にも同じ危うさがあります。嫌がっているから何もしない、という結論も、本人の状態を置き去りにすることに変わりはない。どちらか一方へ倒せば楽になる、という話ではないんです。
そして、そもそも本人が何を嫌がっていたのかについて、ワイは答えを持っていません。
なぜ陰部洗浄を嫌がったのかは分からない
理由は確認できていない
いちばん大事なところを先に書いておきます。その方が陰部洗浄を嫌がった理由を、ワイは確認できていません。
本人に確かめた記憶もないし、仮に何かやりとりがあったとしても、それを覚えていません。だから、この記事の中で理由を特定することはできない。分からないまま終わっている話です。
体験談としては、ここが物足りなく見えるかもしれません。理由が分かって、対応が決まって、うまくいった、という流れのほうが読みやすいのは確かです。ただ、そうやって埋めた瞬間に、この記事は作り話になります。
一般に挙げられる可能性はいくつもある
そのうえで、一般論として考えられる要素だけ並べておきます。今回の本人の理由ではなく、あくまで拒否の背景として一般に挙げられるものです。
- 陰部を他人に見られること、触れられることへの恥ずかしさ
- 洗われること自体の不快感
- 湯やタオルの温度が本人に合っていない可能性
- 体位を変えられることや、その姿勢による負担
- どこかに痛みがある可能性
- これから何をされるのかが分からない、説明が届いていない
- 介助者との関係、その日の体調や気分
並べてみると分かりますが、どれも「あり得る」だけで決め手にはなりません。しかも、複数が重なっていることもある。ひとつに絞れると考えること自体が、たぶん無理筋です。
背景を探ることと、理由を決めつけることは違う
ここを分けておかないと、良くないほうへ転びます。
背景を探るというのは、確認できることを一つずつ見ていく作業です。表情、体の動き、どの場面で反応が変わるか、声をかけた時とかけない時で違いがあるか。理由が分からないなりに、観察を積むことはできます。
一方、理由を決めつけるというのは、観察を飛ばして結論を置くことです。認知症やから、性格やから、昔なにかあったんやろ。そう片づけた時点で、そこから先の検討は止まります。しかも、その決めつけは記録や申し送りを通じて、他の職員にも引き継がれていく。
ワイ自身、この件で理由を突き止められていません。突き止められていないという事実を、そのまま置いておくしかない。
拒否を単なる「困った行動」で終わらせず、その人が歩んできた人生から背景を考える視点は、別の事例として認知症の入浴拒否と人生に寄り添うケアでも書いています。
一度きりではなく、便が出るたびに同じ問題が起きた
繰り返されるから、記憶に残った
この件が今も残っているのは、印象的な一日があったからではありません。便が出るたびに、同じところで同じ迷いが出てきたからです。
一回だけなら、その場をしのいで終わっていたと思います。繰り返されると、しのぐでは済まなくなる。次も同じことが起きると分かっているのに、次までに答えが用意できていない。その状態が続きました。
何回あったのか、どのくらいの期間続いたのかは書けません。数えていないし、覚えていないからです。
介護職には日常でも、本人には毎回のことになる
介護職にとって、オムツ交換は一日の業務の一つです。何人分もこなすうちの一回。
けれど受ける側からすれば、自分の身に起きることは毎回一回きりです。前回どうだったかとは関係なく、そのたびに下半身を出して、拭かれて、洗われようとする。慣れる人もいれば、慣れない人もいる。慣れているように見えて、実は我慢しているだけということもあり得ます。
繰り返しの介助には、この差がずっとついて回ります。
そのたびに、どうするか迷った
そしてワイは、そのたびに迷いました。
拒否を尊重したい気持ちはある。汚れたままにはできないという判断もある。両方を同時に立てようとすると、その場でどこまでやるかの線引きが毎回ぶれます。前回はこうしたから今回もこう、という積み上げにもならない。
ここから先は、その迷いの中身を書きます。拒否を尊重するというのは具体的に何をどうすることなのか、汚れを放置しないというのはどこまでを指すのか、そして今のワイなら何を確認するのか。答えが出た話ではありませんが、同じ場面に立っている人には、考える材料にはなると思います。
本人の拒否を尊重したい。それでも汚れたままにはできない
二つの責任が、同時に立っている
この件でワイが抱えていたのは、優先順位の問題というより、二つの責任が同時に立っている状態でした。
一つは、本人が嫌がっていることを無理に進めない責任。もう一つは、便による汚れを放置しない責任。どちらも介護職の仕事に含まれています。どちらかを捨てれば判断は楽になりますが、捨てた側の問題は消えずに残る。
片方だけを見ていれば、話はきれいに整理できます。本人の意思がすべてやと言えば、洗わないという結論になる。清潔がすべてやと言えば、嫌がっても洗うという結論になる。現場でしんどいのは、どちらの結論にも欠けている部分がはっきり見えてしまうことです。
そして、その欠けている部分を引き受けるのは、たいてい利用者さん本人です。
拒否を尊重することと、放置することは同じではない
ここは分けて考えたほうがいい部分やと思っています。
拒否を尊重するというのは、本人が嫌がっている方法を、そのまま押し通さないということです。放置というのは、汚れが残っている状態について何も検討しないということ。この二つは、結果として「洗わなかった」という同じ形に見えることがありますが、中身はまったく別物です。
その場で全部を洗いきれなかったとしても、どこまで落とせたのか、皮膚はどう見えたのか、次の交換までにどうするのか、誰に伝えておくのか。考えられることは残っています。逆に、そこを何も考えずに閉じてしまえば、それは拒否の尊重ではなく、ただの先送りです。
言い方は悪いですが、「本人が嫌がったので」は、そのまま報告の免罪符にもなります。使いやすい言葉ほど、自分でも気づかないうちに検討を止める理由になっている。
必要性だけを理由に意思を無視することの問題
反対側も見ておきます。
必要なケアやから、という理由だけで、嫌がっている人へ手を出し続けることにも問題があります。本人の意思が最初から検討の外に置かれてしまうからです。しかも、必要性というのは介助する側がいくらでも見つけられる。清潔、感染予防、皮膚の保護。どれも間違ってはいないぶん、そこで話を終わらせやすい。
嫌がる人を押さえつけて進めるようなやり方になれば、それはもうケアの形をしていません。ワイがそこまでやったという話ではありませんし、逆にきっぱり中止したという話でもない。当時の自分がその場でどう手を動かしていたのかを、細かく再現できるほど覚えていないからです。覚えているのは、迷いながらやっていたということだけです。
この「どちらとも言い切れない」という状態が、いちばん書きにくい。強行したと書けば反省の記事になるし、やめたと書けば理解のある介護職の記事になる。どちらも、事実ではありません。
尊厳、清潔、安全を分けて考える
整理のために論点を分けておくと、少し扱いやすくなります。
まとめて考えると詰まる三つ
- 尊厳:本人がどう扱われたいか、意思がどこまで確認されているか
- 清潔:汚れがどこにどれだけ残っているか、どうやって落とすか
- 安全:皮膚の状態、体位、無理な力がかかっていないか
この三つをひとまとめにして「どうしたらええんや」と考えると、だいたい詰まります。分けて見ると、いま自分がどこで引っかかっているのかが少しだけ見えてくる。
今回で言えば、清潔の必要性は動きません。便が出ている以上、そこは変えようがない。だとすれば、動かせるとしたら尊厳と安全の側で何ができるか、という話になります。そこを考えないまま、清潔だけを理由に進めていたのが当時のワイやったと思います。
「拒否されたからやらない」だけでは終われない排泄介助
ここから書くのは、一般的に検討事項として挙げられることです。ワイが当時これを全部やっていた、という意味ではありません。むしろ、あとから振り返って「ここを見ていなかったな」と思う部分のほうが多い。そこは分けて読んでください。
説明の仕方を見直す
何をするのか、どこに触れるのか、どのくらいで終わるのか。伝えているつもりでも、伝わっていないことがあります。
排泄介助は、こちらが手順を分かっているぶん、説明が短くなりがちです。声はかけていても、次の動作の直前に一言添えるだけで終わっていることもある。内容そのものより、タイミングや順番を変えるだけで反応が変わる場合がある、というのは一般的によく言われるところです。
ただ、これも万能ではありません。説明すれば拒否がなくなるなら、現場はもっと単純になっています。
観察できることを見る
拒否そのものを、情報として見るという考え方があります。
どの段階で反応が出るのか。オムツを開ける時なのか、体位を変える時なのか、洗い始める時なのか。毎回同じところなのか、日によって違うのか。表情や体のこわばりに変化はあるか。こうしたことは、理由が分からなくても観察できます。
皮膚の状態も同じです。赤み、傷、乾燥、湿った状態が続いていないか。見えた事実は、理由を決めつけずに残せます。
ワイが当時これをどこまで見ていたかというと、正直あやしい。汚れを落とすことに気が向いていて、反応そのものを情報として扱う発想は薄かったと思います。
方法、タイミング、環境を検討する
同じ方法で拒否が続くなら、方法の側を動かせないかを考える余地があります。
洗い方だけでなく、いつ行うか、誰が行うか、どんな体位で行うか、どこまでを一度に行うか。一般的には、こうした要素が検討の対象になります。ただ、何が適切かは本人の状態や施設の状況によって変わるので、この記事で具体的な手順を示すことはできません。
一人で決めずに共有する
拒否が繰り返されている状況は、その日の担当者だけで処理する話ではなくなっています。
同じ場面には他の職員も当たっているはずですし、皮膚の状態が絡むなら看護職の目も要ります。共有されていなければ、それぞれが自分の判断でやることになり、本人からすれば人によって扱いが変わる状態になる。それはそれで、本人にとって落ち着かない話です。
今回、ワイが誰かに相談したかどうかは、はっきり覚えていません。覚えていない以上、やったとは書けません。
記録に残すのは、確認できた事実
記録に「拒否あり」とだけ書くと、次に読む人には何も分かりません。
どの場面で、どんな反応があって、どこまで実施できて、皮膚はどう見えたか。書けるのは、確認できた事実です。理由の推測を断定形で書いてしまうと、それが既定路線になって、次の人はそこから疑わなくなります。
拒否の記録は、対応できなかった言い訳を残すためのものではなく、次の交換を考える材料にするためのものやと思います。当時のワイがそこまで意識して書けていたかは、また別の話ですが。
記録へ残すだけで終わらせず、必要な相手へ口頭でも届ける理由は、介護で「記録に書いたから大丈夫」が危険な理由で詳しく整理しています。
陰部洗浄を拒否された時に考えたい判断軸
ここまでの内容を、その場で使える形へ並べ直します。順番に確認していくためのもので、この通りにやれば拒否がなくなる、という手順ではありません。実際、ワイはこれで解決していません。
1.今、どの程度の汚れが残っているのか
最初に見るのは、目の前の状態です。拭き取りでどこまで落ちたのか、どの範囲に残っているのか、皮膚に触れ続けている状態なのか。
「洗えていない」と「汚れが残っている」は、同じではありません。洗浄という方法が使えなくても、残っている量や場所によって、次に何を考えるかは変わってきます。全部が同じ緊急度ではない、というところから始めたほうが判断はぶれにくい。
2.本人は何に対して拒否を示しているのか
拒否をひとつの塊で見ずに、どの部分に出ているのかを見ます。
オムツ交換そのものなのか、体位を変えられることなのか、洗うという行為なのか、触れられる場所なのか。今回の方については、洗おうとすると怒った、というところまでは分かっていますが、その中のどこが引き金だったのかまでは分かりません。分からない場合は、分からないまま観察を続けるしかない。
3.説明の内容やタイミングを変えられないか
説明は、内容よりタイミングで詰まることがあります。
動作に入ってから伝えるのか、入る前に伝えるのか。一度に全部伝えるのか、一つずつ区切るのか。返事や反応を待つ時間をとっているか。方法そのものを変えるより先に試せる部分やと思います。
4.痛み、不快感、温度、姿勢など確認できる要素はないか
理由が分からない中でも、確認できる要素はいくつかあります。
湯やタオルの温度が本人に合っているか。体位に無理がかかっていないか。どこかに痛みがありそうな様子はないか。表情や体の緊張はどうか。これは原因を特定する作業ではなく、潰せる要素を一つずつ潰していく作業です。全部潰しても拒否が残ることは、当然あります。
5.同じ方法を続ける以外の選択肢を検討できないか
毎回同じやり方で毎回怒られているなら、そのやり方が本人に合っていない可能性は考えたほうがいい。
一度に全部を終わらせようとしない、順番を変える、行う時間帯を変える、担当を変えてみる。何が可能かは施設の状況にもよります。ただ、選択肢を検討したうえで同じ方法を続けるのと、他を考えずに続けるのとでは、意味が違ってきます。
6.一人で抱えず、チームで共有すべき状況ではないか
繰り返し拒否がある場面を、個人の力量の問題として処理しないほうがいい。
自分がうまくやれていないだけやと思い始めると、抱え込む方向へ進みます。実際には、同じ人の同じ場面に複数の職員が当たっているはずで、そこを突き合わせるだけでも見え方が変わることがある。皮膚の状態が関わるなら、看護職に見てもらう必要も出てきます。
7.本人の言動だけでなく、観察できた事実をどう残すか
記録は、あとから読む人が判断に使える形にしておくためのものです。
「怒った」だけでは足りません。どの場面で、どんな反応があり、実施できた範囲はどこまでで、皮膚はどう見えたか。事実と、こちらの解釈は分けて書く。解釈を断定で書くと、次に読む人がそこを疑わなくなります。
8.清潔保持と本人の意思の、両方をどう守るか
最後は、この二つを同時に置いたまま考えられるかどうかです。
どちらかを消せば結論は出ます。ただ、消したほうの問題は残ったまま次の交換へ持ち越される。全部は守れなくても、この場面ではどこまで守れたのか、守れなかったのは何か。そこを言葉にしておくと、次に同じ場面へ来た時の出発点ができます。
繰り返しますが、これは手順書ではありません。医療的な処置や具体的な洗い方を指示するものでもない。目の前の人に何が必要かは、その人の状態を実際に見ている人たちが決めることです。
介護職の「してあげたい」が本人の希望と一致するとは限らない
綺麗にしたいというのは、こちらの願いでもある
ワイは、その方を綺麗な状態にしたかった。これは本当です。
ただ、あらためて考えてみると、その「したかった」の中には、本人のためという部分と、こちら側の都合や気持ちが混ざっています。汚れが残っている状態が気持ち悪い。次の勤務者へ渡す時に申し訳ない。仕事として不十分な気がする。そういうものも入っている。
混ざっていること自体が悪いとは思いません。介護職も人間なので、そこは切り離せない。ただ、混ざっているのに全部を「本人のため」と呼ぶと、話が少しずつずれていきます。
「本人のため」で、本人が見えなくなることがある
本人のためという言葉は、反論しにくい。だから、その言葉が出た時点で検討が止まりやすい。
今回で言えば、汚れを落とすことが本人のためであるのは、たぶん間違っていません。それでも、本人は嫌がっていました。嫌がっているという事実は、目的の正しさでは消えません。
良かれと思ってやることが、相手にとっては嫌な介助になる。この件でワイが感じたのは、そこです。ただ、感じたからといって、次から急にうまくやれるようになったわけでもない。考え方が変わったと書けるほど、きれいな変化はありませんでした。
拒否を理由に、考えるのをやめてもいけない
逆側も書いておきます。
嫌がられたから、この人には洗浄をしない。そう決めてしまえば、その場は静かになります。介助する側も気が楽になる。でも、それはケアの方法を一つ諦めただけで、汚れの問題は残ったままです。
拒否を受け止めることと、必要なことを考えるのをやめることは別です。ここを一緒にしてしまうと、本人の意思を尊重しているつもりで、実際には何も検討していない状態になる。
この二つの間に立ち続けるのがしんどいから、人はどちらかへ寄りたくなるんやと思います。ワイもそうでした。
答えが一つではないから、毎回考え直すしかなかった
同じ人でも、その日によって違う
前回うまくいった方法が、次も通じるとは限りません。体調も、その日の状態も、こちらの余裕も毎回違います。
だから「この人にはこうする」と一つ決めて固定してしまうと、合わない日が必ず出てきます。かといって、毎回ゼロから考えるのも現実的やない。このあたりの折り合いは、今でも答えが出ていません。
固定した対応だけでは間に合わない
方針や取り決めが要らない、という話ではありません。あったほうがいい。共有された方針があれば、担当者ごとのばらつきは減りますし、新しく入った職員も動きやすくなります。
ただ、方針があっても、その日の本人の反応を見る作業はなくなりません。方針は出発点であって、終点ではない。そういう感覚に近いです。
介護職一人の我慢や技量の問題にしない
この手の場面は、担当者の腕の問題として語られることがあります。うまい人ならできる、慣れれば怒らせずにできる、という話です。
技術や関係性で変わる部分は、確かにあると思います。それでも、全部をそこへ寄せてしまうと、うまくいかない職員が自分を責めるだけになる。拒否されるのは自分のやり方が下手やからや、と思い込むと、共有もしにくくなります。
ワイ自身、当時これで答えを出せたわけではありません。うまくやれた話として書けないのは、実際にうまくやれていないからです。何年も経った今でも、あの場面に戻ったら同じところで迷うと思います。
家族介護でも同じ葛藤が起こり得る
家族だからこその抵抗がある
これは施設だけの話やないと思っています。
在宅で家族の排泄介助をしている人は、同じ場面に立つことがあります。しかも家族の場合、関係が近いぶん、お互いに抵抗が出やすい。親子や夫婦で下半身の介助をすること自体に、双方が抵抗を感じても不思議はありません。
介助する側が清潔にしたいと思っていても、本人が嫌がる。その時に、施設のように交代できる相手がいないというのが、在宅の難しさやと思います。断られたら、そのまま自分ひとりで抱えることになる。
一人で抱え込まない
一般的な選択肢として挙げられるのは、担当のケアマネジャー、訪問看護、訪問介護といった専門職へ相談することです。
拒否があること自体を、介助がうまくできていない証拠のように受け取らなくていい。むしろ、繰り返し起きているなら、伝えておいたほうがいい情報です。方法を変える相談ができる場合もありますし、家族以外の人が入ることで状況が変わることもあります。
専門職へ相談したい場面
急に体調が変わった、強い痛みを訴えている、皮膚に赤みや傷が出ているといった時は、家庭の中だけで判断せず、医療や介護の専門職へつなぐ場面になります。
この記事の情報だけで、皮膚の状態や体調を判断することはできません。そこは、実際に見られる人に見てもらってください。
陰部洗浄やオムツ交換の拒否に関するQ&A
Q1.陰部洗浄を拒否されたら、そのまま中止すればよいですか
中止するかどうかだけの二択で考えないほうがいい、というのがワイの考えです。嫌がっている方法を押し通さないことと、汚れが残っている状態について何も検討しないことは別です。
その時点でどこまで落とせたのか、皮膚はどう見えたのか、次の交換までにどうするのか、誰へ伝えるのか。中止する場合でも、残せる情報と考えられることはあります。実際の対応は、その人の状態と施設の手順に沿って判断してください。
Q2.本人が怒る理由をどう考えればよいですか
理由を特定しようとするより、確認できる要素を一つずつ見ていくほうが現実的です。どの段階で反応が出るのか、毎回同じなのか、温度や体位で違いがあるのか。
一般的には、羞恥、不快感、痛み、温度、姿勢、説明不足、介助者との関係など、複数の可能性が挙げられます。ただ、そのどれかに決めてしまうと、そこから先を見なくなります。分からないものは分からないまま、観察を続けるしかない場面もあります。
Q3.清潔を保つことと本人の意思は、どちらを優先すべきですか
どちらか一方を選べば済む問題として整理しないほうがいいと思っています。清潔を捨てれば皮膚の問題が残り、意思を捨てれば本人の尊厳が置き去りになる。
現実には、その場でできる範囲を探ることになります。今どこまで落とせるのか、何なら受け入れてもらえそうか、残った部分をどう共有するか。答えを一つに決めるのではなく、両方を持ったまま考えるところに落ち着くことが多いはずです。
Q4.拒否が繰り返される場合、一人の介護職だけで対応すべきですか
繰り返している時点で、個人で抱える段階を過ぎていると考えたほうがいい。同じ場面に他の職員も当たっているはずやし、皮膚の状態が関わるなら看護職の確認も必要になります。
共有されていないと、担当者ごとに対応がばらつきます。本人からすれば、人によって扱いが変わる状態になる。自分の技量の問題として抱え込むより、起きている事実を出しておくほうが、結果として本人のためになりやすい。
Q5.家族がオムツ交換を拒否された場合はどうすればよいですか
基本的な考え方は施設と変わりません。無理に押し通さないこと、そのうえで汚れをそのままにしない方法を考えること。この二つを同時に置いたまま考えることになります。
ただ、家族の場合は交代できる人がいないことも多いので、担当のケアマネジャーや訪問看護、訪問介護へ早めに相談しておくほうがいいと思います。体調の急な変化や皮膚のトラブルがある時は、家庭内で判断せず専門職へつないでください。
Q6.今回の利用者が怒った理由は分かったのですか
分かっていません。確認できていないので、断定できないというのが正確なところです。
記事としては、ここで理由が判明したほうが締まるのは分かっています。それでも、覚えていないことや確かめていないことを書き足せば、この記事の他の部分まで信用できなくなる。分からないまま終わった話として、そのまま置いておきます。
まとめ|必要だと思うケアほど拒否されることがある
オムツを使っている男性の利用者さんがいて、便が出た時の介助が特に難しい人でした。ワイは便をきちんと落として清潔にしたかったし、感染予防のことも考えていました。それで陰部洗浄をしようとすると、本人は怒りました。
怒られた理由は確認できていません。羞恥なのか、不快感なのか、痛みなのか、説明が届いていなかったのか。可能性はいくつも挙げられますが、どれも今回の答えではない。決めつけずに置いておくしかない部分です。
拒否を尊重したい気持ちと、汚れたままにはできないという判断。この二つは、どちらかを雑に切り捨てれば楽になります。でも、切り捨てたほうの問題は消えずに残って、たいていは本人が引き受けることになる。
そして、この問題は一度きりではありませんでした。便が出るたびに同じところで足が止まって、そのたびに考え直していました。良かれと思ってやることが、本人にとっては嫌な介助になる。それを何度も突きつけられた、という感じに近いです。
結局、答えは出ていません。うまくいった方法も見つかっていないし、この経験で介護観が変わったと言えるほどの区切りもない。ただ、必要だと思うケアほど本人に拒否されることがある、という事実だけは、今も頭の中に残っています。
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