夜勤介護マンの日記
この記事は、夜勤介護マンが実際の介護現場で経験した出来事をもとに書いています。個人や施設が特定されないよう配慮しており、確認できていないことは書いていません。特定の利用者さんや職員を批判したり、笑いものにする目的の記事ではありません。現場エピソード
カーテンが少し開いても、閉め過ぎてもコール。男性利用者さんの譲れないこだわり
職員には数センチの違い。本人には、その数センチが違った。介護施設の居室で起きていた話
コールが鳴って部屋へ行き、用事を済ませて出ようとする。その時に、カーテンが少し開いていると指摘された。
位置が少しズレているだけでも同じでした。職員から見れば、閉めたつもりの範囲です。ほんのわずかな差でしかありません。
それなら、きっちり閉め切れば済む話に思えます。ワイも最初はそう考えました。
ところが、そうはなりませんでした。閉め過ぎても、またコールが鳴ったのです。
開いていても駄目。閉め切っても駄目。その間に、本人にとっての「ちょうどよい」がある。けれど、それがどこなのかは、こちらには見えません。
この男性利用者さんは、以前このブログで書いた方と同じ人です。ホールに置かれていた冷蔵庫を荒らしていた出来事で記事にしました。あの記事を読んでいなくても、今回の話は分かるように書きます。
冷蔵庫の件とは別に、ワイの記憶に強く残っているのが、この部屋のカーテンでした。
今回は、その話を書きます。職員には些細に見えることでも、本人にとっては譲れない基準になっている場合がある。介護施設ではそういう場面があります。
この記事で分かること
- カーテンの隙間やズレを気にしていた男性利用者さんの実話
- 開け過ぎても閉め過ぎてもコールが鳴る、という難しさ
- 職員の感覚と本人の感覚が一致しない時に何が起きるか
- 細かなこだわりを「わがまま」だけで片付けられない理由
- 介護職と家族が持ち帰れる、観察・記録・共有の視点
冷蔵庫の記事に登場した男性利用者さん
先に、今回登場する方について書いておきます。
以前、ホールに置かれていた冷蔵庫を荒らしていた男性利用者さんについて記事を書きました。今回のカーテンの話に出てくるのは、その同じ方です。
前回の記事を読んでいない方のために言い添えておくと、今回の話を理解するのに前回の内容は必要ありません。冷蔵庫の件については、ここで詳しく繰り返すつもりもありません。この記事の中心はカーテンだからです。
ただ、同じ人の話だという点だけは書いておきたいと思いました。
一つの出来事だけでは、その人は分からない
介護の仕事をしていると、利用者さんについて職員間で共有される情報は、どうしても印象的な出来事に寄ります。何かトラブルがあれば、その話が真っ先に伝わる。当たり前といえば当たり前です。
けれど、その一つの出来事が、その人のすべてを表しているかというと、そうではありません。
冷蔵庫の件だけを聞けば、この男性について特定の印象を持つ人もいると思います。ワイ自身、あの出来事の時点では、そういう一面のある方だな、という程度の理解でした。
長く関わっていると、同じ人の別の面が見えてきます。今回のカーテンの話は、まさにそれでした。
冷蔵庫とカーテンでは、行動としてはまったく違います。共通点を探して無理につなげるつもりもありません。ただ、同じ人の中に、こちらから見えていなかった別の基準があったということです。
今回の話の輪郭
今回書くのは、この方の居室のカーテンについてです。
職員がコール対応で部屋へ入り、用事を済ませて出る時。カーテンが少しでも開いていたり、位置がズレていたりすると、そこを指摘されました。そして、きっちり閉め切ればよかったのかというと、そうでもありませんでした。閉め過ぎても、またコールが鳴ったのです。
ここから先は、その場面を順番に書いていきます。
コール対応を終えて部屋から出ようとした時
この方のカーテンへのこだわりに気づいたのは、コール対応の場面でした。
介護施設で働いていれば、コール対応は日常です。呼ばれたら部屋へ行く。用件を聞いて、必要な対応をする。済んだら部屋を出て、次の仕事に戻る。基本的にはその繰り返しです。
この方の部屋でも、そこまでは同じでした。
違ったのは、その後です。
用事は済んだのに、まだ終わらない
用件を済ませて、さあ出よう、という段階になります。ここで、カーテンについて指摘を受けました。
少し開いている。あるいは、位置がズレている。
職員の感覚からすると、それはほとんど「閉まっている」状態です。部屋に入った時と比べて何かを大きく変えたつもりもありません。介助のために動いた拍子に、少し触れたのかもしれない。あるいは、もともとその位置だったのかもしれない。
そのくらいの差でした。
けれど、本人はそこに気づきます。そして、指摘されます。
コール対応は、呼ばれた用件だけで終わらないことがある
これは一般的な話になりますが、コール対応というのは、呼ばれた用件を済ませたら終わり、とは限りません。
部屋へ入るという行為自体が、その人の生活空間に変化を持ち込みます。ベッド周りの物の位置、掛け布団の具合、照明、そしてカーテン。職員が動けば、何かしらは動きます。
多くの場合、それは問題になりません。誰も気にしないまま、次の日常に流れていきます。
ただ、気になる人にとっては、そこが元に戻っていないことが分かる。入室前と退室後の違いに、こちらより先に気づく人がいるということです。
この方の場合、それがカーテンでした。
最初は「閉めればいいのか」と思った
指摘を受けた時点でのワイの理解は、単純でした。開いているのが気になるのなら、閉めればいい。
実際、そう考えるのが自然だと思います。開いているか、閉まっているか。カーテンについて職員が持っている選択肢は、だいたいこの二つです。
だから、次からはしっかり閉めるようにすればいい。そう思っていました。
この理解が違っていたことは、そのあと分かります。
きっちり閉めれば正解ではなかった
閉め切りました。
隙間がないように、しっかりと。これで指摘されることはないだろう、という状態です。
それでも、コールが鳴りました。
閉め過ぎても駄目だった
ここが、今回の出来事でいちばん印象に残っている部分です。
開いていると指摘される。それは分かる。ならば閉めればいい。閉めた。今度は、閉め過ぎだと言われる。
職員の頭の中では、カーテンの状態は「開いている」か「閉まっている」かの二択でした。だから、閉めれば解決すると考えます。ところが、その二択の中に答えがない。
本人の中では、開いているのと閉め切っているのとの間に、別の状態があったということになります。
その位置がどこだったのかは分からない
正直に書いておくと、ワイは本人が望んでいた正確な位置を知りません。
どのくらい開いていればよかったのか。何センチだったのか。そこは確認できていません。だからこの記事にも書けません。
また、この方がなぜその位置にこだわっていたのかも、聞いていません。光なのか、外からの見え方なのか、別の理由があったのか。分からないものは分からないままです。
推測して書くことはできます。それらしい理由をつければ、記事としては座りがよくなるでしょう。けれど、それは体験談ではなく作り話になります。
「開ける」と「閉める」の外側にある基準
この出来事から言えるのは、次のことです。
職員が持っている尺度と、本人が持っている尺度は、同じ目盛りではなかった。
こちらは大きく二つに分けて見ている。本人はもっと細かいところを見ている。同じカーテンを見ていても、見ている単位が違うわけです。
だから、こちらが「閉めた」と判断した状態でも、本人の基準では合っていない。逆に「開けすぎないように少し残した」つもりでも、やはり合っていない。
介護職から見ればほんの少しの違いでも、本人にとっては同じ状態ではなかった、ということになります。
職員の「ほんの少し」と本人の「ほんの少し」
ここからは、この出来事が何を意味していたのかを整理していきます。
同じ言葉でも、指している幅が違う
「ちょっと開いている」という言葉を、職員と本人の両方が使ったとします。同じ日本語です。けれど、指している幅が同じとは限りません。
職員にとっての「ちょっと」は、業務の中で許容できる範囲を含んでいます。だいたい閉まっていれば閉まっている。日々何十という作業をこなす中で、そこまで細かく見ていられないという事情もあります。
一方、居室で過ごしている本人にとっては、その部屋の状態が生活そのものです。ずっとそこにいるのだから、細かい違いにも気づきます。
同じ物を見ていても、見る立場によって解像度が違う。これは、どちらが正しいという話ではありません。
人には落ち着く位置がある
一般的に考えれば、人にはそれぞれ落ち着く物の位置や、空間の整え方があります。
自分の家のことを思い出せば分かりやすいと思います。リモコンを置く場所、枕の向き、電気の明るさ。家族が良かれと思って動かした物の位置が、なんとなく落ち着かない。そういう経験は多くの人にあるはずです。
他人から見れば、どちらでもいいことです。けれど自分にとっては、元の位置のほうが落ち着く。
介護施設の居室も、そこで暮らしている本人にとっては生活空間です。落ち着く状態がある、と考えること自体は不自然ではありません。
ただし、今回の男性がその感覚でカーテンを気にしていたと断定はできません。これはあくまで、一般的にはそういうことがある、という話です。
職員の基準を、そのまま本人の基準にはできない
この出来事から実務的に言えることがあるとすれば、ここだと思います。
職員が「これで大丈夫だろう」と判断した状態が、本人にとっての大丈夫と一致するとは限らないということです。
こちらの感覚では十分に整えたつもりでも、本人の基準では整っていない。そこにズレがある限り、こちらがどれだけ丁寧にやったつもりでも、指摘は続きます。
そして、そのズレは、こちらが自分の感覚を基準にしている限り埋まりません。
理解できないことと、存在しないことは違う
もう一つ書いておきたいことがあります。
この方がなぜカーテンにこだわったのか、ワイには分かりませんでした。今も分かりません。
ただ、理由が分からないからといって、本人にとって気になるという事実がなくなるわけではありません。
こちらが理解できないことと、そこに何もないことは、別の話です。理由が説明できないから意味がない、という結論にはなりません。
この区別ができていないと、「よく分からないから気にしなくていい」という方向に流れてしまいます。それは違うと思っています。
介護職が困るのは「正解」が見えないから
ここまで本人の側から見てきましたが、介護職の側の現実も書いておきます。ここを飛ばすと、きれいごとになってしまいます。
基準が共有されていないと、調整のしようがない
介護職が困るのは、本人にこだわりがあること自体ではありません。困るのは、その基準がこちらに分からないことです。
「もう少し開けてほしい」と具体的に言われれば、対応できます。「この位置で」と示してもらえれば、次からその位置にできます。
けれど、開けても閉めても指摘があり、その中間のどこが正解なのかが共有されていない状態では、調整のしようがありません。
こちらとしては真面目に対応しているつもりでも、当たったのか外れたのかが分からない。手探りのまま繰り返すことになります。
同じ対応が、毎回同じ結果になるとは限らない
これも一般論になりますが、環境の希望というのは、その日の状態によって変わることがあります。
時間帯、天気、体調、その時に何をしていたか。同じ位置でも、ある時は問題なく、別の時には気になるということはあり得ます。
そうなると、前回うまくいった対応が今回も通用するとは限りません。「この位置で正解」という答えが一度出たとしても、それが固定されるわけではないということです。
ただし、今回の男性がそうだったかどうかは確認できていません。ワイが書けるのは、開けても閉めてもコールが鳴った、というところまでです。
環境調整が積み重なると、業務としては重くなる
コール対応そのものは、介護職の仕事です。呼ばれたら行く。それは前提です。
ただ、呼ばれた用件を済ませた後に、毎回環境の調整が加わり、それでもまた鳴る、という流れが続けば、業務としては確実に重くなります。一回あたりは数十秒の作業でも、回数が増えれば時間になります。
そして、フロアにいるのはその方だけではありません。ほかの利用者さんへの対応も同時に進んでいます。
ここで大事なのは、介護職が負担を感じること自体を、冷たい対応と決めつけないことだと思います。
負担を感じるのは、対応を続けているからです。何もしていなければ、そもそも負担も生まれません。しんどいと感じることと、その人を大切にしないことは、別の話です。
その区別をつけずに「そう感じる自分が悪い」と考え始めると、抱え込む方向にしか進みません。
「わがまま」の一言で片付けると見えなくなるもの
では、カーテンの位置まで求めるのは、本人のわがままなのか。
ここを考えてみます。
居室は、その人にとっての生活空間
まず前提として、居室はその方が暮らしている場所です。
職員にとっては、施設は職場です。勤務が終われば帰ります。けれど利用者さんにとっては、そこが生活の場になっています。一日の大半を過ごし、寝起きし、そこで日々が続いていく。
そう考えると、自分の空間を自分の好みの状態にしておきたい、という気持ち自体は、特別なものではないように思います。
むしろ、施設で暮らすということは、自分で決められる範囲がかなり減るということでもあります。食事の時間も、入浴の日も、多くのことは施設の流れの中で決まっていきます。
その中で、カーテンの位置は自分で決められる数少ないことだったのかもしれません。
ただし、これはワイの想像です。本人がそう考えていたという証拠はありません。
関係している可能性がある要素
一般的には、カーテンの開き具合には、いくつかのことが関係し得ます。
- 光の入り方
- 外から見えるかどうか、視線の問題
- 室温や日差し
- 外の音の聞こえ方
- 外の様子が見えることによる安心感、あるいはその逆
- 単純に、その状態が落ち着くという感覚
ただ、繰り返しになりますが、今回の男性にどれが当てはまったのかは分かりません。
光が気になったのかもしれないし、そうではないかもしれない。外からの視線を気にしていたのかもしれないし、まったく別の理由かもしれない。確認していない以上、どれとも書けません。
それらしい理由を一つ選んで書けば、記事としては読みやすくなるでしょう。でも、そうすると事実ではなくなります。
「わがまま」と呼ぶと、そこで思考が止まる
この方の行動を「わがまま」という言葉でまとめてしまうことは、簡単です。
ただ、その言葉を使った瞬間に、こちらの考えることが終わります。わがままだと決めたら、次に考えるのは「どう我慢するか」か「どう受け流すか」になります。何が起きているのかを見ようとする方向には進みません。
逆に、介護職の負担を認めないのも違うと思っています。本人の側を理解しようとすることと、現場がしんどいという事実を打ち消すことは、同じではありません。
どちらか一方を正しいことにして終わらせると、片方が必ず犠牲になります。
「こだわりが強い人」ではなく、起きたことを具体的に見る
ここからは、この出来事を実務にどう戻せるかを書きます。
人物評価は、次の職員の役に立たない
介護の記録や申し送りで、こういう表現を見かけることがあります。
「こだわりが強い」「細かい人」「気難しい」
これらは、書いた本人の感覚としては伝わっている気になります。けれど、受け取った側からすると、実際に何をすればいいのかが分かりません。
こだわりが強い、と言われても、何にどうこだわっているのかが書かれていなければ、次に部屋へ入る職員は同じところでつまずきます。
さらに困るのは、こういう評価が独り歩きすることです。まだ会ったことのない職員が、先に人物像だけを受け取ってしまう。その状態で関わり始めると、見え方が最初から偏ります。
何をした時に、何が起きたか
役に立つのは、観察できた事実のほうです。
どんな対応をした時に、どういう反応があったのか。その組み合わせが分かれば、次の職員は同じところから始められます。
今回の出来事を、そういう形に整理するとどうなるか。参考として書いてみます。
記録の書き方の参考例
「カーテンが少し開いていると本人から指摘あり。閉め切った状態でも再度コールあり。本人が希望する位置は引き続き確認が必要」
※これは今回の事実を整理した参考例であり、実際にこう記録したという意味ではありません。
この書き方だと、次に読んだ職員は「閉めれば済むわけではないらしい」と分かります。少なくとも、閉め切って解決したつもりになることは避けられます。
そして「引き続き確認が必要」と残しておけば、まだ答えが出ていないことも伝わります。
推測と、確認済みの事実を分ける
記録を書く時に気をつけたいのが、ここです。
「外が見えるのが嫌なようだ」と書けば、それは推測です。本人がそう言ったのなら事実ですが、こちらがそう思っただけなら推測になります。
推測を書いてはいけないという話ではありません。ただ、推測は推測として分かる形にしておく必要があります。そうしないと、次に読んだ人が確認済みの事実として受け取ってしまいます。
一度そう伝わると、後から訂正するのは難しくなります。
以前の対応を、絶対の正解にしない
もう一つ。記録に残った対応が、いつまでも正解であり続けるとは限りません。
状況が変わることもありますし、本人の状態が変わることもあります。「前はこれでうまくいった」という情報は参考になりますが、それを絶対視すると、目の前の様子を見なくなります。
記録は判断の材料であって、判断そのものではない、という距離感が要ると思っています。
本人の「ちょうどよい」を職員間で共有するには
同じことが続く場合、一人の職員だけで抱えても限界があります。チームとしてどう扱えるかを考えてみます。
本人に示してもらう
いちばん確実なのは、本人に希望する状態を示してもらうことです。
言葉で「もう少し」と言われても、その「もう少し」がどれくらいかは伝わりません。実際に位置を示してもらえるなら、そちらのほうが早いということはあります。
本人が示せる状況であれば、職員がそれを見ておく。そういう方法は考えられます。
ただし、これも一般的な話です。今回の施設でそうしたという事実はありません。
目印や写真を使う場合の注意
カーテンの位置に目印を付ける、あるいは写真を撮って共有するという方法を思いつく人もいると思います。
方法としてはあり得ます。ただ、いくつか確認すべきことがあります。
- 本人の同意が得られているか
- 施設のルールとして問題がないか
- 居室の見た目として本人が受け入れられるか
- 写真を扱う場合、個人情報の取り扱いはどうなっているか
- 安全面で支障がないか
職員にとって便利だからという理由だけで進めると、本人の生活空間に勝手に手を加えることになりかねません。
それに、目印を付けたとしても、その日の希望が毎回同じとは限らない、という点も残ります。
カーテン以外の要素も見ておく
もう一つの視点として、気になっているのが本当にカーテンだけなのか、という確認があります。
一般的には、部屋の環境というのは組み合わせで成り立っています。光、温度、音、物の配置。カーテンの位置がそのうちの一つとして働いている可能性もあります。
そう考えると、カーテンだけを見ていても分からないことがあるかもしれません。
これも今回の男性に当てはまったかは分かりませんが、視点としては持っておいて損はないと思います。
対応した職員が抱え込まない
実務的にいちばん大事なのは、ここかもしれません。
こういう場面に何度も当たると、対応した職員は「自分のやり方が悪いのかもしれない」と考えがちです。特に、ほかの職員の時には指摘されていないように見えると、なおさらです。
けれど、これは個人の技術の問題として片付けられる話ではありません。基準が共有されていないのだから、誰がやっても手探りになります。
だからこそ、起きた事実を共有する意味があります。「自分の時だけではない」と分かるだけでも、抱え込み方が変わります。
統一対応を絶対化しない
職員によって対応がばらばらだと、本人がさらに気になる可能性はあります。その意味で、対応をそろえることには意味があります。
ただし、そろえたことを絶対視するのも違います。決めた対応が今日も合っているかは、その時の本人の様子を見て判断するしかありません。
「チームで決めたからこれでいく」となった瞬間に、目の前の人を見なくなることがあります。そこは気をつけたいところです。
家族から見れば「昔からの習慣」かもしれない
ここまで、介護職とチームの視点で書いてきました。もう一つ、家族という視点があります。
施設で始まったのか、以前からなのか
ワイたち職員が見ているのは、施設に入られてからのその人です。それより前の生活は知りません。
もし、カーテンの開け方に長年の習慣があったとしたら。家族はそれを知っている可能性があります。
自宅ではいつもこうしていた、この向きで寝ていた、朝はこの時間に開けていた。そういう情報は、一緒に暮らしていた人でなければ分かりません。
そして、それが分かると見え方が変わります。施設で新しく始まった行動なのか、ずっと続いてきた習慣なのかでは、意味が違ってくるからです。
ただし、今回の男性について家族へ確認したという事実はありません。あくまで、一般的にはそういう手掛かりがあり得る、という話です。
家族の情報も絶対ではない
一方で、家族から聞いた話がそのまま正解になるわけでもありません。
人は変わります。以前の習慣が今も続いているとは限りませんし、施設という環境の中で新しく生まれた感覚があるかもしれません。
家族の情報は、今の本人の様子と合わせて考える材料の一つ。そのくらいの位置づけが適切だと思います。
また、家族が何も知らなかったとしても、それで話が終わるわけではありません。同居していなければ知らないことはいくらでもありますし、本人が家族に話していないこともあります。
「家族が知らないから意味がない」と判断しないことです。
家族の側から読んでいる方へ
この記事を、施設に家族がいる立場で読んでいる方もいるかもしれません。
もし、ご本人に昔からの生活習慣で思い当たることがあれば、それは施設にとって有用な情報になり得ます。ささいなことだと思って伝えていないことの中に、手掛かりがある場合があります。
逆に、施設から「こだわりが強い方で」と説明を受けた時に、それだけで不安になる必要もないと思っています。何を気にしているのかが具体的に分かれば、対応の方向が見えることもあるからです。
本人の希望を尊重することと、何でも応じることは同じではない
ここまで書いてきて、一つ整理しておきたいことがあります。
本人が気にしているのなら、毎回すぐに希望どおりにすればいいのか。
そう単純ではありません。
対応できる時は、確認して整える
まず、対応できる状況であれば、本人の希望を確認して環境を整える。これが基本になります。
今回のカーテンで言えば、どの位置がいいのかを確認できる場面があれば、そこを確かめておく。それができれば、次からの対応が変わります。
難しいのは、確認する余裕がない時です。
優先度が変わる場面がある
介護施設では、同時に複数のことが動いています。
転倒があった。体調が急に変わった。排泄の対応が必要な方がいる。そういう場面では、優先度が変わります。
カーテンの位置を細かく調整することよりも、先にやらなければならないことがある。これは現実です。
だから、すべての希望へ即座に応じられるとは限りません。それは職員の怠慢ではなく、限られた人手の中での判断です。
ただし、応じられない時に何も言わないのと、可能な範囲で理由や見通しを伝えるのとでは、意味が違います。伝えられる状況なら、伝えたほうがいいと思います。
「無視しない」と「最優先にする」の間
ここが、いちばん誤解されやすいところだと思っています。
本人の希望を無視しないことと、本人の希望をすべて最優先にすることは、同じではありません。
無視しないというのは、その希望を認識し、可能な範囲で応じ、応じられない時にはそのことを扱う、という意味です。存在しないことにしないということです。
一方、すべてを最優先にするというのは、ほかの利用者さんへの対応や安全確保よりも上に置くということになります。それは現場として成り立ちません。
この二つの間のどこかで、その都度判断していくことになります。
負担が大きい時は、個人の我慢にしない
それでも対応の負担が大きい場合。ここで「自分が我慢すればいい」という方向に行かないことです。
一人の職員が耐えて回している状態は、続きません。その人が抜けた時に、何も残らないからです。
起きていることをチームで共有して、方法を考える。それが結果的に、本人にとっても安定した対応につながります。
今振り返ると、カーテンの隙間だけの話ではなかった
この出来事を、今どう捉えているかを書いておきます。
同じカーテンを見ていても、基準が違っていた
当時のワイは、カーテンをどう閉めるかという問題として捉えていました。開いているから指摘される。閉めれば解決する。そういう理解です。
今振り返ると、そうではありませんでした。
職員と本人では、同じカーテンを見ていても基準が違っていた。それだけの話であり、そしてそれは小さい話ではありませんでした。
こちらは「閉まっているかどうか」を見ていた。本人はもっと細かいところを見ていた。だから、こちらの物差しで測っている限り、いつまでも合わなかったわけです。
合理性だけでは測れないものがある
介護の仕事には、効率という側面が確実にあります。限られた人数で、決まった時間の中で、必要なことを回していく。そこに合理性が要るのは当然です。
ただ、その合理性だけで本人の生活を測ると、こぼれるものがあります。
カーテンの数センチは、業務の合理性から見れば、ほぼ意味のない差です。けれど、そこで暮らしている人にとっては、意味のある差だった。
だからといって、本人の希望だけで現場全体を動かせるかというと、それも難しい。ここまで書いてきたとおりです。
答えが一つに決まらない場面
結局、この件について「こうすればよかった」という答えを、ワイは今も持っていません。
本人の望む位置が分かっていれば違ったのかもしれません。けれど、それを確認できていない以上、後から言えることには限りがあります。
介護施設の日常には、こういう場面がいくつもあります。どちらかが間違っているわけではなく、それでも噛み合わない。答えを一つに決められないまま、日々が続いていく。
ただ、理由が分からないままでも、起きた事実を丁寧に見ておくことはできます。何をした時にどうなったか。それを残しておくことはできる。
今のワイに言えるのは、そこまでです。
冷蔵庫の件とは、別の一面だった
最初に書いたとおり、この方は冷蔵庫の記事に登場した男性と同じ人です。
あの出来事と、今回のカーテンの件を並べて、この人はこういう人だ、とまとめるつもりはありません。二つの出来事から人格全体を決められるとは思っていないからです。
言えるのは、冷蔵庫の件だけでは見えていなかった面が、カーテンの件で見えた、ということです。同じ人の中に、こちらの知らない基準があった。それが分かっただけでも、意味はあったと思っています。
細かなこだわりへ対応する時に確認したいこと
同じような場面に出会った時に、確認しておきたいことを整理します。今回の施設で実際にこうしたという話ではなく、この出来事から持ち帰れる一般的な項目です。
本人について確認したいこと
- 本人が気にしているのは、具体的に何か
- 開いていることか、閉まっていることか、位置のズレか、どれが気になるのか
- 本人が希望する状態を、言葉や動作で示せるか
- 毎回同じ条件で気になるのか、状況によって変わるのか
- 光、視線、温度、音など、ほかの要因が関係していないか
- 以前からの生活習慣である可能性はないか
- 家族が知っている情報はないか
チームとして確認したいこと
- 記録が人物評価だけになっていないか
- 何をした時に何が起きたかが、具体的に共有されているか
- 推測と確認済みの事実が区別されているか
- 職員によって対応が大きく変わっていないか
- 安全性や、ほかの利用者さんへの影響はないか
- 職員一人だけが対応を抱え込んでいないか
- 希望へ対応できない時に、どう伝えるかを考えているか
並べると多く見えますが、中心にあるのは二つです。
一つは、本人が何を気にしているのかを、こちらの推測ではなく具体的に掴もうとすること。もう一つは、それを一人で抱え込まずに共有すること。
今回のカーテンの件で言えば、ワイはどちらも十分にはできていませんでした。開けるか閉めるかの二択で考えていたし、その手探りを自分の中で処理していたと思います。
よくある疑問
Q1.カーテンの位置まで気にするのは、わがままですか?
今回の事実だけで、わがままだと決めることはできません。本人には本人なりの基準があった可能性があります。ただし、その理由は確認できていません。
同時に、介護職が対応に負担を感じることも、否定されるべきではないと思います。本人を理解しようとすることと、現場がしんどいという事実は、両立します。
Q2.認知症が原因だったのですか?
今回、この方の認知症の有無について確認していません。診断名も把握していません。ですので、そう書くことはできません。
一般論として言えば、病名を行動へ当てはめて説明するのは避けたほうがいいと思っています。「認知症だから」で説明がついた気になると、何が起きているのかを見なくなります。
まずは、起きた事実と本人が望んでいる状態を確認する。順番としてはそちらが先です。
Q3.閉める位置へ印を付ければ解決しますか?
方法の一つにはなり得ます。ただ、本人の同意、施設のルール、居室の見た目、安全面を確認する必要があります。
なお、今回の施設で実際に印を付けたという事実はありません。
それから、印を付けたとしても、その日の希望が毎回同じとは限りません。位置が固定できれば解決、という単純な話にならない可能性は残ります。
Q4.何度もコールが鳴る場合、すべて対応する必要がありますか?
安全性、緊急性、ほかの利用者さんへの対応、その時の職員配置によって、優先順位は変わります。すべてに即応できるとは限りません。
ただし、希望を無視することと、すべてを最優先にすることは同じではありません。この二つの間で判断していくことになります。
そして、対応が続いてしんどい時は、個人で抱え込まずにチームで共有してください。
Q5.記録にはどう書けばよいですか?
「こだわりが強い」だけで終わらせないことです。それだけでは、次に読んだ職員が何をすればいいのか分かりません。
何をした時に、本人がどう反応したか。そこを具体的に書くと、次の人が同じところから始められます。
あわせて、推測と確認済みの事実を分けて書くこと。理由を推測で書くなら、推測だと分かる形にしておくことです。
なお、今回この件について実際にどう記録したかは、確認できていません。この記事に書いた記録例は、事実を整理した参考です。
Q6.家族へ確認する意味はありますか?
あり得ます。自宅での生活習慣を家族が知っている場合があり、それが手掛かりになることがあります。
ただし、家族の話だけで今の本人を決めつけないことです。人は変わりますし、施設という環境で新しく生まれた感覚もあり得ます。
なお、今回の男性について家族へ確認した事実はありません。
まとめ
以前、ホールの冷蔵庫を荒らしていた出来事で記事にした男性利用者さんには、カーテンへの強いこだわりもありました。
コール対応で部屋へ入り、用事を済ませて出ようとすると、カーテンが少し開いている、位置が少しズレていると指摘されました。それなら閉め切ればいいのかというと、そうではありませんでした。閉め過ぎても、またコールが鳴りました。
職員から見れば、ほんの少しの差です。本人にとっては、その少しが違いました。
なぜカーテンを気にしていたのか、理由は確認できていません。ですので、この記事にも書いていません。
ただ、理由が分からないからといって、わがままだと決めることも、病気のせいにすることもできません。分からないものを分からないまま扱う、というのが、この件についてワイができることでした。
そして、本人の希望を考えると同時に、介護職側の負担や、ほかの利用者さんへの対応も現実として存在します。どちらか一方だけを正しいことにして解決できる話ではありません。
そのうえで残るのは、観察できた事実を記録し、申し送り、チームで共有していくという地道な部分です。「こだわりが強い」ではなく、何をした時に何が起きたか。そこを残しておけば、次の職員が同じ手探りを一からやり直さずに済みます。
カーテン一枚の話に見えて、実際には、本人の基準と介護職の基準がどれほど違うかを教えられた出来事でした。
介護施設の日常には、こういう小さな場面が積み重なっています。答えが一つに決まらないまま、次の勤務が来て、また部屋のドアを開ける。今回のカーテンも、そのうちの一つでした。