この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。
介護職の働き方
断れない先輩の電話——
介護職の縦社会をなめたらあかん

あの夜のことを、ワイは今でも思い出す。
仕事終わりに同期3人でやっと飯行けるってなって、ロッカーで着替えながらどこ行くか話してた。その瞬間、ワイのスマホが鳴った。画面に出た名前を見た瞬間に、胃の底が冷えた。
先輩やった。
「二次会してるから来い」——それだけや。問いかけでもない。誘いでもない。命令や。介護職の縦社会っていうのは、そういうもんや。断れない空気が、電話越しにでもちゃんと伝わってくる。
この記事でわかること
- 「断れない先輩」が生まれる、介護職特有の縦社会の構造
- 仕事終わりの同期との時間が、一本の電話で消えた夜のリアル
- 気が進まない二次会に参加するときの、あの独特の感覚
- 若い頃の現場の人間関係が、なぜあそこまで息苦しかったのか
- 同期という存在が、縦社会の中でいかに「生命線」やったか
- 20年経った今、あの縦社会をどう評価するかのワイの本音
胃が冷えた瞬間——先輩からの電話
夜勤明けやなかった。その日は日勤で、珍しく定時に上がれた日やった。施設の更衣室で着替えながら、同期のタナカとヨシダ——仮名やけど——と、「今日は絶対飯行こうや」って話してた。
定時に上がれる日がどれだけ貴重か、介護やってる人間にはわかるはずや。何かが起きたら帰れない。申し送りが長引いたら帰れない。急変があったら当然帰れない。それが普通の日常やから、「今日は上がれた」という事実だけで、もうちょっとした奇跡みたいな気分になる。
3人で「どこ行く?」ってなって、ヨシダが「駅前の定食屋でいいやん、安いし」って言って、タナカが「ええな」って言って、ワイも「ええな」って言った。それだけの話や。なんでもない夜になるはずやった。
更衣室は夕方の匂いがした。汗と消毒液が混ざったような、施設特有のあの匂い。着替えの途中で、窓の外の空がオレンジから紺に変わっていくのが見えた。ロッカーの扉がガチャガチャ鳴る音。タナカが何か笑いながら話してた。ヨシダがスニーカーの紐を結んでた。
ワイはその瞬間、スマホを手に取った。何の気なしに。通知でも確認しようと思ってただけや。
画面に名前が出た。
イノウエさん——入職した頃から3年上の先輩や。
反射的に「出なあかん」と思った。出ないという選択肢が、そもそも頭に浮かばなかった。それが当時のワイの「普通」やった。介護職の縦社会の中で3年生きてきたら、先輩からの着信は「取るもの」という刷り込みが完成してる。
「もしもし」と言うたら、向こうはもう酔っとった。
「二次会してるから来い。今どこや」
それだけや。「暇か?」も「来れそうか?」もない。「来い」の一言。しかも「今どこや」って、もう来る前提で場所を聞いてくる。断る余地を最初から設計してない。
ワイはタナカとヨシダの顔を見た。ふたりはもうわかってた。ワイの顔と、スマホを持つ手の角度で、全部読んでた。
ヨシダが小声で「誰?」と聞いた。
ワイが「イノウエさん」と言ったら、ヨシダの顔から笑いが消えた。タナカは天井を見た。
介護職の縦社会は、外から見るより10倍きつい
介護職の縦社会、という言葉は外からもよく言われる。でも外から想像するのと、実際に中にいるのとでは、密度が全然違う。
まず、逃げ場がない。
施設の職員は少ない。大きい施設でも、同じシフトで動く人間は限られてる。営業職みたいに「取引先が別にある」とか、「他の部署と交流できる」とかがない。毎日同じ顔と、閉じた空間で働く。人間関係が詰まったら、本当に詰まる。
次に、夜勤という密室がある。
夜勤は2人とか、場合によっては1人で施設を回す。その相手が誰かによって、8時間の重さが全然違う。気の合う人間と組んだ夜は普通に終わる。苦手な先輩と組んだ夜は、8時間が20時間くらいに感じる。そしてその「組み合わせ」は、自分では選べない。
そしてもうひとつ。「ケアの質」に人間関係が直結するという構造や。
先輩に嫌われたら、業務で詰められる。「なんでこのアセスメント書き方知らんの」「この体位変換、ちゃんと習ったやろ」——技術指導という名目で、いくらでも圧をかけられる。その先輩が評価者でもあるなら、なおさらや。機嫌を損ねることは、働き続けることへのリスクに直結する。
断れない、というのは性格の問題やない。構造の問題や。
イノウエさんは、悪い先輩やなかった。ワイはそこは正直に言う。仕事はちゃんとできる人やったし、新人のワイに技術を丁寧に教えてくれた場面もあった。ただ、「自分の都合を他人に乗せること」に、無自覚な人やった。
悪意がないのが、またきつい。悪意があれば「この人はひどい人間や」と割り切れる。でも悪意がない場合、「ワイが狭量なんか」「これくらいの付き合いができんのか」という自己嫌悪に向かってしまう。それが縦社会の一番消耗するところや。
同期3人——あの連帯感の話
タナカとヨシダの話を少ししておきたい。
3人とも同じ年に入職した。最初の研修で顔を合わせて、「お互いしんどいな」という空気から始まった関係や。
タナカは当時から口が悪かった。愚痴をそのまま言葉にする人間で、ワイはそれが好きやった。「ほんまに今日しんどかった」を「ほんまに今日しんどかった」と言える人間の周りには、変な空気が溜まらない。
ヨシダは逆に物静かで、でも観察力がすごかった。施設の人間関係の地図を、入職してすぐに把握してた。「あの先輩とあの主任は仲悪い」「あのパートさんは主任に直接話す」——そういう情報を、誰に教わるでもなく読んでた。
この3人でいる時間だけが、施設の外に出られる感覚があった。
仕事終わりに3人で飯に行くと、最初の5分は誰も何も言わんかった。それでよかった。注文して、水を飲んで、ため息をついて、それから誰かが「今日な」と言い始める。その「今日な」を待つ時間が、ワイにとっての減圧弁やった。
施設の中では言えないことを言える場所が、その3人の飯の時間だけやった。誰の悪口でもない。ただ「しんどかった」「あれはおかしい」「なんでワイがやらなあかんねん」を、声に出せる場所。
それが今夜、消えかけてた。
ワイがスマホを持ったまま黙ってたら、タナカが言った。
「行くしかないやろ、イノウエさんやったら」
断言やった。「行かんでええんちゃう」でも「どうする?」でもない。「行くしかない」という、ワイたちの3人に共有された諦観やった。
ヨシダは何も言わんかった。でもスニーカーの紐を、もう一回結び直した。行く準備をしてた。
ワイは電話口に向かって、「今から行きます」と言った。
声のトーンを、普段より少し明るくした。それが習慣になっとった。気が進まないときほど、声だけ元気にする。そうしないと、電話越しに「なんか嫌そうやな」と読まれる。読まれたら面倒なことになる。だから声だけ元気にする。
その技術を、ワイは誰にも教わらずに習得してた。
二次会の店に入った瞬間——あの空気の話
店は居酒屋やった。駅から少し外れた、常連しか来んような古い店。引き戸を開けた瞬間、煙草と酒と揚げ物が混ざった匂いが顔にかかってきた。その匂いだけで、もうワイの気持ちは半歩引いた。
奥の座敷に先輩たちがいた。イノウエさんを含めて4人。全員3〜5年上の先輩で、全員すでにそこそこ出来上がっとった。ワイらが引き戸を開けた瞬間に、イノウエさんが「おー来た来た」と手を振った。その顔は機嫌がよかった。
機嫌がいい先輩、というのは一見ありがたいように見えて、実は厄介や。機嫌が悪い先輩は「早く帰りたい」という出口が見えてる。でも機嫌がいい先輩は、終わりが見えない。テンションが上がるほど、長引く。
座敷に上がって、靴を脱ぐ。その動作だけで、もう「帰れない」という感覚が確定する。靴を脱いだら終わりや。靴を履いたまま立ち話なら「用事があるんで」と言えるけど、座敷に上がって膝を折ったら、それはもう「参加」を意味する。
タナカとヨシダも座った。ヨシダは隅の方に静かに収まった。タナカはワイの隣に来た。ふたりとも、何も言わんかった。
店員が「ご注文は?」と来た。イノウエさんが「こいつらにも生ビール持ってきて」と言った。ワイらに確認せんと。
ビールが来た。乾杯した。ワイは口をつけた。
うまくなかった。ビール自体の問題やない。状況の問題や。飲みたいと思って飲むビールと、飲まなあかんと思って飲むビールは、同じ液体でも全然違う味がする。これは比喩やなくて、本当にそう感じる。
縦社会の「空気」はどこから来るのか
座敷でビールを飲みながら、ワイはぼんやり考えとった。なんでワイはここにいるんやろ、と。
誰かに脅されたわけやない。「来なかったら評価を下げる」と明言されたわけやない。罰則があるわけでもない。なのにワイはここにいる。靴を脱いで、座敷に上がって、頼んでもないビールを飲んでいる。
この「なんとなく断れない」の正体を、ワイは20年かけてやっと言語化できた。
介護現場の縦社会には、明示的なルールがない。「先輩の誘いは断るな」とは、どこにも書いてない。でも、全員がそのルールを知っている。なぜか。それは「断った人間がどうなったか」を、全員が目撃してきたからや。
縦社会が機能するメカニズム ── ワイの観察
・断った人間が「あいつは付き合いが悪い」とラベルを貼られる現場を見た
・ラベルを貼られた人間が、次第にシフトの端に追いやられるのを見た
・誰も「お前のせいや」と言わない。でも確実に、その人の居場所が狭くなる
・それを見た他の人間が「自分はそうならんようにしよう」と学習する
・明文化されていないルールが、こうして全員の体に染み込んでいく
これを社会心理学的に言えば「規範の内面化」や。でもワイには難しい言葉はいらん。シンプルに言うたら、「見せしめを見て育った人間は、見せしめを恐れる」ということや。
なぜ介護職の縦社会はここまで濃いのか
他の職種と介護職の縦社会が決定的に違う点がひとつある。それは、「現場から逃げると利用者さんに影響が出る」という構造があることや。
製造業やったら、ラインから外れても製品は止まらへん。営業職やったら、チームで案件を持てる。でも介護の夜勤は、人間が直接人間の命に関わっている。誰かが欠けたら、その穴は即座に誰かの負担になる。
だから「チームの和を乱すこと」への罪悪感が、他の職種より圧倒的に強い。「付き合いが悪い」と思われることは、「チームの足を引っ張る」と思われることと、現場では限りなく近い意味になる。
意図がなくても、構造を使えてしまう人間がいるという事実が、縦社会の厄介なところや。
座敷の3時間——消耗の記録
結局、その夜は3時間いた。
話の内容はほとんど覚えていない。施設の誰それの話、昔の仕事の話、イノウエさんの自慢話。ワイは適当に相槌を打ちながら、ビールを飲んだ。タナカは途中から妙に饒舌になって、ヨシダはずっと静かやった。
座敷の畳が、長時間座ってると足に刺さってくる感覚。膝を変えるたびに、ちょっとした痛みがある。それをこらえながら笑顔を作る。笑顔を作るのに、エネルギーを使う。
イノウエさんが話すたびに、「そうですね」「ほんとですね」「さすがですね」の三択で返す。三択以外の言葉を出すと、会話が深まってしまう。深まったら長くなる。だから三択に絞る。
時計を見たい。でも時計を見たら「帰りたいと思ってる」と読まれる。だからスマホも見ない。ひたすら、先輩の顔のやや上あたりを見続ける。
これのどこが「飲み会」なんやろ、とワイは思ってた。楽しくない。休まらない。むしろ仕事より消耗する。日勤の8時間より、この3時間の方がしんどかった。
20年後に気づいたこと——あの縦社会の「使われ方」
今のワイが、あの夜を振り返って何を思うか。
まず、あの経験は無駄やなかったと思う。あの3時間の消耗があったから、ワイは「消耗している自分」を認識できるようになった。仕事の消耗と、人間関係の消耗を、区別して感じられるようになった。
でも同時に、あの構造は間違っていたとも思う。
縦社会そのものを否定するつもりはない。経験の浅い人間が経験者から学ぶという構造は必要や。介護技術は教科書だけでは身につかない。問題は、その「縦」が、仕事の場面を超えてプライベートの時間まで侵食してきたことや。
技術を教えてもらう「縦」と、飲み会に強制参加させる「縦」は、別物や。でも現場では、同じ「縦」として扱われていた。
この混同が、介護現場の人間関係を複雑にし、消耗させてきた根本やとワイは思う。
20年この業界におって、縦社会は変わったか。正直に言う。変わった部分と、変わっていない部分がある。表面上の「強制力」は弱まった。でも「断ったあとの空気」は、今も現場のどこかに残っとる。制度は変わった。でも人間の感覚は、制度より変わるのが遅い。
同期とは何か——縦社会の中で「横」が果たした役割
3時間後、やっと解放された。イノウエさんが「次の店行こか」と言い始めたとき、ヨシダが静かに「明日早いんで」と言った。ヨシダが言ったから、ワイもタナカも続けた。「ワイも明日早い」「ワイも」。一人では断れない。誰かが最初に言ったら、乗れる。
店を出て、駅に向かって3人で歩いた。夜の空気が冷たかった。それがただ気持ちよかった。
タナカが「腹減ったな」と言った。3時間酒だけ飲んで、ろくに食えてなかった。ヨシダが「コンビニ寄ろ」と言った。3人でコンビニに入って、適当に買い物した。
駐車場のベンチに座って食べた。誰も最初は何も言わんかった。おにぎりを食いながら、ため息をひとつついた。
タナカが「しんどかったな」と言った。
それだけでよかった。その一言だけで、あの3時間の消耗が少し軽くなった。
「ヨシダが最初に言わんかったら、まだおったな」とワイが言ったら、ヨシダは「わかっとるから言うた」と言った。
それがヨシダやった。口数が少ない分、使う言葉に無駄がない。あいつはあの夜、ワイとタナカが限界やとわかって、「明日早い」と言った。観察して、動いた。
「しんどかったな」は、慰めやない。分析でも助言でもない。ただの確認や。「お前もしんどかったやろ、ワイもしんどかった」という、事実の共有だけがある。それだけで、人間はなぜか少し楽になる。
これが同期の本質やとワイは思う。縦社会の中では、しんどさを「しんどい」と言えない場面が多い。先輩の前では弱音は禁物や。その「平気な顔」を外せる相手が、同期やった。
縦の圧力は確かにきつかった。でも横の連帯がなかったら、ワイは3年以内に辞めとったと思う。本気でそう思う。
タナカとヨシダ、その後の話
タナカは、入職から7年後に施設を辞めた。腰をやったのがきっかけやった。椎間板ヘルニアで、長時間の立ち仕事が厳しくなった。今はデイサービスの相談員をやっとる。現場は離れたけど、介護職は続けとる。
ヨシダは今もどこかの施設で働いとると思う。途中で連絡が途切れた。でもヨシダのことやから、どこに行っても静かに、でも確実に仕事してると思う。
3人が同じ施設にいたのは、結局5年くらいやった。その5年間が、ワイの介護人生の中で一番濃い時間やったと、今は思う。仕事の内容やない。人間関係の密度の話や。
同期がいなくなった後の孤独
タナカが辞めたとき、施設の空気が変わった。物理的に誰かがいなくなった、というだけやない。「平気な顔を外せる相手」がいなくなったという感覚が、じわっと来た。
その頃のワイは、もう少し経験を積んで、後輩もできていた。立場上は「先輩」になっていた。でも後輩の前では、今度はワイが「平気な顔」をする側になる。しんどくても、それをそのまま出せない。
縦社会の圧力に耐えられなくなるより先に、横の支えが消えていく。それが介護職の離職の、もうひとつの正体やないかとワイは思う。離職率が高い業界やから、同期が揃って長く続くことが少ない。同期という「横」の連帯は、業界の離職率によって、じわじわと削られていく。
今の若い職員を見て思うこと
ワイは今41歳で、今の職場では完全に「先輩側」の人間や。20年前にイノウエさんに「来い」と言われた側が、今は呼ばれる側になっている。
正直に言う。ワイは飲み会に若い職員を「来い」と誘ったことはない。それがワイの、あの夜への答えや。あの3時間の消耗を、後輩に味わわせたくなかった。
でも「強制しない」だけでは足りないとも思っとる。断られたとき、何も思わないというのは難しい。少し寂しいとか、少し距離を感じるとか、そういう感情は出る。そしてその感情が表情や態度に出る。出た表情を若い職員が読む。「先輩の機嫌が悪い」と感じる。次から断りにくくなる。
意図がなくても、縦社会は再生産される。これがワイが20年かけて気づいた、一番きつい事実や。
だからワイが意識してること——断られたとき、「ええよ、また今度」と言って、本当に終わりにする。次のシフトで普通に話しかける。それと、若い職員が「同期と過ごす時間」を邪魔しない。縦社会の圧力を減らすより、横の連帯を守る方が、現実的には効果があるとワイは思う。縦は構造的に変えにくい。でも横は、今日から守れる。
縦社会の中で折れない心の作り方——綺麗事なしで
同じ現場で苦しんでいる人間に、ワイが言えることを書く。41歳現役プロとして、綺麗事なしで。
- 「断れない自分」を責めるな 断れないのは性格の弱さやない、構造の問題や。縦社会は「見せしめの目撃」によって全員の体に染み込んでいる。まず「これは構造の問題や」と認識することが最初の一歩や。自分を責めるのに使うエネルギーを、認識に使え。
- 消耗の「単位」を細かくしろ 「しんどい」という大きな感情のままにしておくと、どこから手をつけたらいいかわからんくなる。「今日は先輩との3時間で消耗した」——どこで消耗したかを特定しろ。特定できたら、次から少しだけ対策が打てる。漠然としたしんどさは、漠然としたまま積み重なる。
- 横の人間を、今すぐひとり決めろ 同期でなくてもいい。職場の外でもいい。「あいつにだったら本音で話せる」という人間を、今すぐひとり思い浮かべろ。思い浮かんだなら、今週中にそいつと飯か電話をしろ。思い浮かばんかったなら、それが今のお前の一番のリスクや。
- 正しさより、生き延びることを優先しろ 「これはおかしい」と思っても、声を上げるタイミングがある。力のない場所で正しさを主張しても、潰されるだけや。まず生き延びろ。生き延びた人間が経験を積んで、立場を持って、初めて「これはおかしい」と言える場所に立てる。順番を間違えるな。
- 縦社会に潰されなかった人間が、次の世代の縦社会を薄くできる 現場に残った人間の数だけ、文化が変わる可能性がある。辞めることが悪いとは言わない。ただ、残った人間にしかできないことが、確実にある。
夜勤明けのコーヒー一杯、奢ってくれへんか
やきんかいごへのサポート
この記事を書くのに、夜勤明けのワイが使った時間と、20年分の記憶がある。
縦社会の話、誰かに言えたか? 言えてない人がほとんどやと思う。職場では言えない。家族には伝わらない。友達には「大変やね」で終わる。
ワイのブログは、その「言えなかった話」の置き場所のつもりで書いとる。顔も名前も出さずに、施設にバレるリスクを抱えながら、それでも書き続けとる。この現場のリアルを「なかったこと」にしたくないからや。
読んで「そうやそうや」と思ってくれたなら、それだけでワイは書いた意味があった。もしこの記事が、あなたの「しんどかったな」をほんの少しでも軽くしてくれたなら——夜勤明けのワイに、缶コーヒー一本だけ奢ってくれへんか。
押しつけやない。本当に気が向いたときだけでいい。でも正直に言う。あなたがここをポチってくれたら、ワイは次の夜勤に向かう朝、少しだけ「書いてよかった」と思える。それがまた次の記事を書く理由になる。ワイの文章があなたの現場を少しでも軽くしていたなら——その分だけ、返してくれたらうれしい。
やきんかいごにコーヒーを奢る → ※ 金額は自由です。缶コーヒー一本分でも、十分すぎるくらいうれしいです。結び——あの夜の駐車場と、今夜の現場
話をあの夜に戻す。
コンビニの駐車場で、タナカとヨシダと3人でおにぎりを食った。誰も最初は何も言わんかった。それでよかった。
タナカが「しんどかったな」と言った。
その一言が、あの夜の3時間を、ワイの中で「無駄な時間」から「ちゃんと意味のある夜」に変えた。縦社会の理不尽を、仲間と共有できた夜になった。
介護の縦社会は、今も変わりきってない。断れない空気は今も現場のどこかにある。20年経っても、その構造の根っこは残っとる。ワイはそれを直視したまま、今日も現場に行く。
でも、あの夜から変わったことがひとつある。ワイは今、若い職員が「しんどかったな」と言える空気を、少しでも作ろうとしている。強制しない。でも受け取れる場所でいようとしている。それがワイにできる、縦社会への唯一の抵抗や。
大きく変えようとすると、潰れる。小さく続けると、少しだけ変わる。
あなたが今夜の現場で、誰かの「しんどかったな」を受け取れたなら——それだけで、あの夜のワイらが駐車場でやったことと、同じ価値がある。
縦社会の話を、長々と書いてきた。読んでくれて、ありがとう。あなたの現場が、今日より少しだけ軽くなることを願っとる。
やきんかいご ── 完