この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。
介護の世界に入って、もう20年になる。
病院、老健、特養——いくつもの現場を渡り歩いてきた。きつい夜も、しんどい朝も、数えきれんくらい越えてきた。
その中で何度も思い知らされてきたことがある。
介護は、理想やない。五感で向き合う仕事や。
目で見て、耳で聞いて、手で触れて——そして時に、鼻が悲鳴を上げながらも、それでもケアを続ける仕事や。
今日はそんな話をする。
歯ぎしりと、口臭の話や。
きれいな話やない。でもこれが、現場のリアルや。
📋 この記事でわかること
- 重度認知症の利用者さんが引き起こす「24時間歯ぎしり」の実態
- 起床介助のたびに襲いかかる強烈な口臭と、吐き気をこらえるケアの現場
- 「何でも噛む」利用者さんへの口腔ケアがいかに危険と隣り合わせか
- 介護士の五感が限界を超えながらも動き続ける理由
- きれいごと抜きの、身体的限界との戦いとしての介護の本質
- ■ 廊下の向こうから、その音は聞こえてくる
- ■ 朝の介助、最初の一撃
- ■ 口腔ケアという名の格闘
- ■ 吐き気をこらえながらケアをするということ
- ■ それでも、ケアをやめない理由
- ■ 20年前にも、同じ音があった
- ■ 口腔ケアの「常識」は、この20年で変わったか
- ■ 「省略」が生まれる構造
- ■ 歯ぎしりは「症状」やなく「その人」やった
- ■ 口臭の「原因」を追いかけた先にあるもの
- ■ 業界が直視しない「感覚的消耗」の問題
- ■ 夜勤明けの食卓、ふたりの沈黙
- ■ プロ同士が話す、死のこと
- ■ 手が覚えている、20年分の重さ
- ■ 鳴り止まないナースコール、その狂気
- ■ 嵐の後の、不気味な静けさ
- ■ 苦しんでいる同業者へ、まず言わせてくれ
- ■ 明日から使える、折れないための具体論
- ■ 家族へ——施設に預けることへの罪悪感について
- ■ 夜勤明けのコーヒー一杯分の話
- ■ 最後に——歯ぎしりが教えてくれたこと
■ 廊下の向こうから、その音は聞こえてくる

夜勤中、廊下を歩いていると聞こえてくることがある。
ギリ、ギリ、ギリ。
最初に聞いたとき、何の音かわからんかった。施設の古い設備が軋んでいるのか、誰かが壁を引っ掻いているのか。
音の出所を探して歩いていくと、Bさんの部屋やった。
80代の男性。重度の認知症で、会話はほぼ成立しない。こちらの言葉が届いているのかどうかも、正直なところわからない。でも、目はときどき動く。何かを見ている。何を見ているのかは、誰にもわからない。
その方が、歯を食いしばって、ひたすら噛み続けていた。
上下の歯が擦れ合う音が、静まり返った夜の施設に響いていた。
ギリ、ギリ、ギリ。
リズムがあるわけやない。止まるわけでもない。ただ、続く。眠っているときも、起きているときも、食事のとき以外はずっと、その音が鳴り続けていた。
夜勤のたびに、その音を聞いた。
慣れるかと思った。慣れなかった。
■ 朝の介助、最初の一撃
起床介助でBさんの部屋に入るのが、正直なところ一番きつかった。
ドアを開けた瞬間に、わかる。
一晩中、口の中で歯を擦り合わせ続けた人間の部屋の空気は、独特の重さがある。閉め切った空間に、体温と呼気と、そして——口の中で一晩かけて増殖したものの匂いが、充満している。
ドアを開けて、一歩踏み込む。
鼻の奥に、何かが刺さるような感覚がある。
腐敗に近い、でも腐敗とは少し違う。発酵に近い、でも発酵とも違う。口腔内の細菌が一晩かけて作り出した、生き物の体の中にしかない種類の匂いや。
ワイは息を浅くして、カーテンを開けに行く。
換気したい。でも冬場は窓を全開にできない。利用者さんが冷えてしまう。だからわずかに開けて、それでもできる限り空気を入れ替えながら、介助の準備を整える。
Bさんはベッドの上で目を開けていた。
こちらを見ているようで、見ていない。その視線が何を捉えているのか、ワイにはわからない。ただ、顎だけが動いている。
ギリ、ギリ、ギリ。
朝になっても、音は止まっていなかった。
■ 口腔ケアという名の格闘
Bさんの口腔ケアは、毎回が緊張の連続やった。
何でも噛む。
これが、どれだけ危険なことか。介護をやったことがない人には、なかなか伝わらないと思う。
口腔ケア用のスポンジブラシを口に入れると、Bさんはそれを噛む。力強く、迷いなく噛む。スポンジ部分がみるみる変形して、千切れそうになる。千切れたら飲み込む。気道に詰まったら、命に関わる。
歯ブラシは、数週間でボロボロになった。
毛先が広がるとかそういう次元やない。ブラシの根元から変形する。それくらいの力で、Bさんは噛み続ける。
口腔ケアをするときは、常に「今、このブラシが折れたら」という想定をしながら動かす。指を入れる角度も、力のかけ方も、すべて「噛まれたとき、引き抜けるか」を基準に考える。
それでも、何度か噛まれた。
グローブ越しでも、Bさんの噛む力はわかった。本気で噛んでいる。悪意があるわけやない。ただ、口に入ってきたものを噛むという反射が、認知症によって制御できなくなっているだけや。
わかっていても、噛まれた瞬間の痛みは本物やった。
そしてその体勢のまま、顔はBさんの口元に近い。
呼気が、直接来る。
ワイは奥歯を噛んで、飲み込んだ。吐き気を。
■ 吐き気をこらえながらケアをするということ
これを書くのは、少し勇気がいる。
なぜかというと、「介護士が利用者さんに対して吐き気を感じる」ということを、公に書くことへの抵抗が、この業界には根強くあるからや。
「それでもプロなんだから」「慣れるべき」「そういう気持ちを持つのはおかしい」——そういう空気が、現場にも、外からの目にも、確かにある。
でも、ワイははっきり言う。
吐き気は、生理反応や。
強烈な匂いに対して、人間の身体が「危険かもしれない」と判断して起こす、本能的な防衛反応や。それを感じること自体は、何もおかしくない。おかしくないどころか、正常な身体を持っている証拠や。
問題はその感情を「持つこと」やない。その感情を「持ちながらもケアを続けること」の消耗を、誰も正面から語らないことや。
Bさんの口腔ケアをするたびに、ワイは呼吸を整えた。入る前に深呼吸して、口腔内に集中して、終わったら廊下に出て息を吐いた。
それを毎回やった。
毎回やらないと、続けられなかった。
これが現場のリアルや。きれいごとを剥がしたら、介護の現場にはこういう時間が確かに存在する。
■ それでも、ケアをやめない理由
Bさんの歯は、ケアを続けることで保たれていた。
重度認知症で、自分では口腔ケアができない。誰かがやらなければ、口の中は急速に悪化する。歯周病が進めば、細菌が血流に乗って全身に影響する。誤嚥性肺炎のリスクも上がる。最終的には、命に関わる。
だからやる。
吐き気をこらえながら、噛まれるリスクを抱えながら、それでもやる。
Bさんが「ありがとう」と言うことは、ない。笑顔を見せることも、ほとんどない。ケアが終わっても、反応はほぼない。
それでも、口の中がきれいに保たれていることが、Bさんの身体を守っている。その事実だけが、ワイを動かしていた。
見返りのないケアを続けることが、どれだけ消耗するか。
20年やってきて、それが一番しんどいことやとわかってる。技術的な難しさやない。感情的な消耗や。「やっても伝わらない」「やっても変わらない」という現実と向き合い続けることの、じわじわとした重さや。
でも——
伝わらなくても、届いていないわけやない。
そう思うことにしている。信じる根拠はない。でも、そう思わないと続けられない夜がある。それが20年、ワイが現場に立ち続けてきた、正直なところの理由のひとつや。
■ 20年前にも、同じ音があった
Bさんの歯ぎしりの音を聞きながら、ワイは20年前のことを思い出していた。
最初に働いた病院にも、同じような方がいた。
当時のワイはまだ20代で、介護の仕事を始めたばかりやった。先輩に連れられて病室に入ったとき、廊下まで聞こえていたあの音——ギリ、ギリ、ギリ——に、足がすくんだのを覚えてる。
「慣れるから」と先輩は言った。
慣れた。音には慣れた。
でも、口腔ケアのたびに感じる吐き気には、20年経った今も慣れていない。これは正直な話や。慣れたふりはできる。でも身体の反応は、今も変わらない。
変わったのは、「慣れていないこと」を自分で認められるようになったことや。
20年前のワイは、吐き気を感じることを恥やと思っていた。プロやのに、と。今は違う。それは正常な身体反応やと知っている。知った上で、向き合い方を身につけた。それだけの違いや。
■ 口腔ケアの「常識」は、この20年で変わったか
介護業界において、口腔ケアへの意識はこの20年で確かに変わった。
20年前、口腔ケアは「歯磨きをさせる」程度の認識やった。口の中を清潔に保つことの医学的意義——誤嚥性肺炎の予防、全身状態への影響——そういった知識は、現場にほとんど浸透していなかった。
今は違う。研修でも口腔ケアの重要性が強調される。歯科衛生士が施設に定期訪問する体制も整ってきた。「口腔機能の維持が全身の健康に直結する」という認識は、少なくとも制度の上では定着してきている。
でも——現場はどうか。
正直に言う。
知識は増えた。意識は高まった。でも、実際にBさんのような重度認知症の方に対して、毎日丁寧な口腔ケアができているかというと、それは別の話や。
時間がない。人手がない。リスクが高い。
この三つが揃ったとき、口腔ケアは「できる範囲でやる」から「省略できるなら省略する」に変わっていく。それが現場の現実や。
■ 「省略」が生まれる構造
なぜ省略が起きるか。個人の怠慢やない。構造の問題や。
朝の起床介助は、時間との戦いや。
食事の時間は決まっている。その前に、複数の利用者さんの起床介助、更衣、トイレ誘導、移乗——これをひとりのスタッフが何人分もこなさなければならない。
そこにBさんのような、口腔ケアに10分、15分かかる方がいる。
噛むから慎重にやらないといけない。誤嚥リスクがあるから道具の選定も慎重にやらないといけない。それだけの時間を、朝の忙しい時間帯に確保できるか。
できない日がある。
できない日に、記録にはどう書くか。「口腔ケア実施」と書く施設もある。「時間の都合により簡易的な対応にとどまった」と正直に書ける施設は、どれくらいあるか。
記録と現実の乖離。
これが、口腔ケアに限らず介護現場全体に蔓延している構造的な歪みや。
制度は「やれ」と言う。現場は「やれない」と知っている。でもそれを正直に記録に残せない空気がある。結果として、表面上は「できている」ことになっている。
20年前も今も、この構造は変わっていない。むしろ電子記録になって、定型文でチェックを入れるだけで「実施済み」になりやすくなった分、乖離は広がっているとワイは感じている。
■ 歯ぎしりは「症状」やなく「その人」やった
Bさんの歯ぎしりについて、ワイは最初「症状」として見ていた。
ブラキシズム——歯ぎしりや食いしばりの医学的名称や。認知症の進行に伴って出現することがある。脳の機能低下によって、口腔周囲の筋肉が不随意に動き続ける状態や。
知識として知っていた。だから最初は、「ブラキシズムのある方」として対応していた。
でも、一緒に働いていたベテランの先輩が、ある日こう言った。
「Bさん、若いころ歯を食いしばって生きてきたような人やったんちゃうかな」
根拠はない。ただの想像や。でもその一言で、ワイのBさんへの見方が変わった。
あの音は、症状やない。その人の人生が、身体に刻んだ癖かもしれない。何十年も歯を食いしばって、踏ん張って、生きてきた人が、認知症になっても身体だけはその癖を覚えている——そういう見方もできる。
証明はできない。でも、そう思ってからBさんの部屋に入るときの、ワイの気持ちが少し変わった。
吐き気は変わらない。でも、向き合う気持ちが変わった。
これが、20年の現場で学んだことのひとつや。症状の名前を知ることと、その人を知ることは、全然別の話やということ。
■ 口臭の「原因」を追いかけた先にあるもの
Bさんの口臭について、ワイは一時期、原因を徹底的に調べたことがある。
口腔内の細菌の種類、唾液の分泌量の低下、歯ぎしりによる歯の摩耗と歯周ポケットへの影響、夜間の口呼吸——これらが複合的に絡み合って、あの強烈な匂いを生み出していた。
原因がわかったからといって、すぐに解決できるわけやない。でも、原因を知ることで、ケアの質は変わる。
唾液の分泌を促すための口腔マッサージを取り入れた。保湿ジェルを使うようにした。口腔ケアの頻度と手順を見直した。歯科衛生士に相談して、道具の選定も変えた。
劇的には変わらなかった。でも、少し変わった。
「少し変わった」を積み重ねることが、介護の仕事やとワイは思っている。劇的な改善を期待したら、この仕事は続けられない。わずかな変化を、ちゃんと変化として受け取れるかどうか。それが、長く現場にいるための感覚の使い方や。
■ 業界が直視しない「感覚的消耗」の問題
最後に、業界全体の話をする。
介護職の離職率は、依然として高い。その理由として挙げられるのは、給与の低さ、身体的負担、人間関係——この三つが定番や。
でも、ワイが20年見てきて感じる「本当の理由」のひとつが、この三つには含まれていない。
感覚的消耗や。
吐き気をこらえながらケアをする消耗。強烈な匂いの中で笑顔を保つ消耗。反応のない方に向かって、毎日声をかけ続ける消耗。
これは、給与が上がっても解決しない。人間関係が良くなっても消えない。身体の負担を減らしても、なくならない。
感覚的消耗は、「慣れろ」「プロなんだから」で片付けられてきた。そのせいで、消耗していることを誰にも言えないまま、ある日突然「もう無理」となって離職するスタッフを、ワイは何人も見てきた。
この問題に、業界はまだ正面から向き合っていない。
研修でも、スーパービジョンでも、「感覚的にきつい」という訴えを受け止める仕組みが、現場にはほとんどない。
Bさんの部屋に入るたびに吐き気をこらえていたワイが、それを誰かに言えたのは、信頼できる先輩がたまたまいたからや。たまたま、や。
たまたまに頼っている間は、何も変わらない。
それが、20年かけてワイが見えてきた、この業界の、もうひとつの不都合な真実や。
■ 夜勤明けの食卓、ふたりの沈黙
その日の夜勤明け、帰宅したら嫁もちょうど施設から戻ってきたところやった。
玄関で鉢合わせして、ふたりとも何も言わんかった。
言葉がいらんかった。お互いの顔を見たら、どんな夜やったかがわかる。嫁の目の下のクマの濃さ、肩の落ち方、靴を脱ぐ動作のゆっくりさ——それだけで、十分や。
テーブルに座って、インスタントのコーヒーを淹れた。
しばらく黙って飲んでいたら、嫁が口を開いた。
「今日な、口腔ケアしてたら噛まれてん」
「グローブ越し?」
「うん。でも痛かった」
それだけの会話やった。でもワイには全部わかった。
グローブ越しでも痛いくらいの力で噛んだということ。それでも口腔ケアを続けたということ。終わった後、誰にも言えずにひとりで処理したということ。
「Bさんと似たような人か」とワイが言うと、嫁は「そう」とだけ答えた。
ワイはBさんの話をした。歯ぎしりの音のこと、朝の口臭のこと、吐き気をこらえながらケアを続けてきたこと。
嫁は黙って聞いていた。途中で一度だけ、小さく「わかる」と言った。
その「わかる」の重さは、現場を知らない人には伝わらないと思う。共感やない。同じ戦場にいる人間が、同じ傷を確認し合うような、静かな「わかる」や。
■ プロ同士が話す、死のこと
コーヒーを二杯目に淹れたころ、嫁がぽつりと言った。
「Bさんみたいな人って、本人はどこにいるんやろな」
ワイはすぐには答えなかった。
重度認知症で、会話が成立しない。反応が乏しい。歯ぎしりを繰り返しながら、何かを見ている。その「何か」が何なのか、誰にもわからない。
「まだおると思う」とワイは言った。「どこかに」
「そうやな」と嫁は言った。
根拠はない。証明もできない。でもワイらは、20年この仕事をしてきて、「意識が薄れた人の中にも、その人がいる」という感覚を手放していない。手放したら、ケアが「処理」になるからや。
嫁とのこういう会話は、たまにある。
死生観の話。「どこまでが本人か」という話。「苦しんでいるのか、苦しみを感じる回路がもうないのか」という話。
答えは出ない。出るわけがない。でも、答えの出ない問いを定期的に口に出すことが、この仕事を続けるための、ワイらなりの方法になっている。
飲み込んだままにしたら、どこかで詰まる。
■ 手が覚えている、20年分の重さ
嫁が先に風呂に入っている間、ワイは自分の手を見た。
右手の親指の付け根、硬くなった皮膚。グローブを着けて、外して、着けて、外してを何千回、何万回繰り返してきた痕跡や。
Bさんの口腔ケアをするときの手の動きは、今では考えなくても出てくる。口角から入れる角度、噛まれたときに引き抜く方向、スポンジブラシを動かすリズム。全部、身体が覚えている。
でも、身体が覚えていることには、代償がある。
右手の中指の第二関節が、寒い日には痛む。何年も前から続いている。原因はおそらく、介助のときの細かい力の入れ方の蓄積や。病院には行っていない。行っても「仕事の負担を減らしてください」と言われるだけやとわかっているから。
腰は、もっとひどい。
Bさんの口腔ケアは、ベッドサイドで前傾姿勢になって行う。腰に負担のかかる体勢や。ボディメカニクスを意識しても、狭い空間では限界がある。毎回、腰の奥に鈍い痛みが走る。
夜勤の終盤になると、その痛みが鋭くなる。
立っているだけで腰が悲鳴を上げている状態で、それでもナースコールが鳴ったら走る。走りながら、腰をかばいながら、それでも「利用者さんの前では普通に動く」を続ける。
これを、週に何度も繰り返している。
嫁の右肩は腱板損傷で、重介助の後は湿布なしでは眠れない。ワイの腰はコルセットなしでは夜勤に入れない日がある。ふたりで湿布を貼り合って、そのまま寝る朝が、月に何度かある。
これが、20年という時間が身体に刻んだものや。
誰も補償してくれない。労災として認定されることは、ほぼない。「介護職は身体を壊す」と社会は知っている。知っていて、何も変わっていない。
■ 鳴り止まないナースコール、その狂気
Bさんのいるフロアは、夜間のナースコールが特に多かった。
Bさん自身はコールを押せない。でも周囲の利用者さんへの影響がある。
夜中に響く歯ぎしりの音が、隣室の利用者さんの眠りを浅くする。眠りが浅くなると、不安が出る。不安が出ると、コールを押す。コールに対応しに行くと、その音でまた別の利用者さんが目を覚ます。
連鎖や。
深夜1時から3時にかけて、その連鎖が起きる夜がある。コールが鳴る、対応する、戻る、また鳴る。ステーションに戻り着く前に次のコールが鳴っている。
そういう夜は、思考が単純化していく。
「次はどの部屋か」「何が必要か」「どう対応するか」——それだけを考えている。感情が入る余地がなくなる。疲労と集中が混ざり合って、ある種のトランス状態になる。
ワイはこれを「夜勤の狂気」と呼んでいる。
正気を保ちながら狂気の中にいる感覚。冷静に動いているようで、身体は限界に近い。でも止まれない。止まったら誰かが困る。だから動き続ける。
その状態で、Bさんの部屋の前を通るたびに、あの音が聞こえてくる。
ギリ、ギリ、ギリ。
狂気の夜の中で、その音だけが一定のリズムを持っている。不思議なことに、その音がワイを現実に引き戻すことがあった。「Bさんはここにいる」という、奇妙な安心感のようなもの。
■ 嵐の後の、不気味な静けさ
コールの連鎖が収まると、施設は嘘みたいに静かになる。
その静けさが、ワイは苦手や。
騒がしい夜の後の静けさには、独特の圧がある。何かが起きているんやないか、という緊張が、静けさの中に潜んでいる。
Bさんの部屋の前を通ると、歯ぎしりの音がしている。それが確認になる。「Bさんは今夜も、ここにいる」という確認。
ギリ、ギリ、ギリ。
20年前は、その音が怖かった。今は、その音に「おるな」と思う。恐怖が、確認に変わった。それだけのことやけど、その変化に20年かかった。
嫁が風呂から出てきて、「寝よ」と言った。
ワイは湿布を嫁の肩に貼って、嫁がワイの腰に貼った。
カーテンの外はもう明るくなっていた。世間が動き始める時間に、ワイらは眠りに入っていく。
それが、この仕事をしている夫婦の、普通の朝や。
■ 苦しんでいる同業者へ、まず言わせてくれ
ここまで読んでくれた人の中に、今まさに限界に近い人がいると思う。
吐き気をこらえながら口腔ケアをしている人。強烈な匂いの中で笑顔を保っている人。夜勤明けに、誰にも言えないまま「もう無理かもしれん」と思っている人。
その人たちに向けて、この章を書く。
綺麗事は言わん。「介護は尊い仕事です」とか「あなたの仕事は社会を支えています」とか、そういうことは言わん。そんな言葉が今の自分に何の意味もないことは、現場にいる人間が一番よくわかってる。
ただ、20年現場にいた人間として、正直に言えることだけを言う。
■ 明日から使える、折れないための具体論
口腔ケアの「きつさ」に向き合うための、ワイが実際にやってきたことを書く。
ひとつ目は、「入る前の呼吸」を儀式にすることや。
Bさんの部屋に入る前、ワイは必ず廊下で一度深呼吸した。準備動作として、意識的に行う。「これから集中する時間に入る」というスイッチの切り替えや。これだけで、入った瞬間の身体の反応が少し変わる。完全には消えない。でも、「来た」と構えている身体と、無防備に入る身体では、消耗の度合いが違う。
ふたつ目は、「終わった後に必ず廊下に出る」ことや。
ケアを終えた直後、部屋を出て廊下で息を吐く。これは記録上は何も書かない時間や。でも、この時間がないと次の部屋に持ち越す。感覚的な消耗をリセットする時間として、意識的に取る。
みっつ目は、「道具を見直す」ことや。
噛む利用者さんへの口腔ケアで、道具の選定は消耗に直結する。柄の長いスポンジブラシ、噛まれても折れにくい素材、指を保護できる厚みのグローブ——これらは施設の備品だけに頼らず、自分で試して選ぶ価値がある。道具が合っているだけで、恐怖感が全然違う。
そして最後。これが一番重要や。
「きつい」を、誰かに言葉にして吐き出せ。
記録に書けなくていい。公式な場でなくていい。信頼できる同僚に、休憩室で一言でいい。「今日のBさんのケア、きつかった」それだけでいい。言語化することで、感覚的な消耗が少し外に出る。飲み込んだままにすると、どこかで詰まる。
■ 家族へ——施設に預けることへの罪悪感について
この記事を、施設に親を預けている家族が読んでいるかもしれない。
Bさんのような状態の方を、在宅で24時間見ることは、ほぼ不可能や。24時間鳴り続ける歯ぎしりの音、毎日の口腔ケアのリスクと消耗、身体介助の負担——それをひとりで、あるいは家族だけで抱えようとすれば、介護する側が先に壊れる。
施設に預けることは、逃げやない。
現実的な判断や。
そして、施設に預けたからといって、何もしなくていいわけでもない。面会に来たとき、「口の中、気になることありますか」と担当スタッフに聞いてほしい。家族からの一言が、ケアの質を変えることがある。スタッフと家族が同じ方向を向いているとき、利用者さんは一番守られる。
■ 夜勤明けのコーヒー一杯分の話
ワイはこのブログを、夜勤明けの頭で書いている。
Bさんの部屋の匂いを鼻の奥に残したまま、あの歯ぎしりの音を耳の奥に残したまま、言葉を選びながら書いている。きれいに編集された介護の話やなく、泥臭くてしんどくて、それでも誰かのために動き続けている人間の話を、残したいと思って書いている。
もしこの記事が、あなたの「わかる」につながったなら。
同業者として少し楽になれたなら。家族として何かヒントになったなら。
夜勤明けのワイに、コーヒー一杯だけ奢ってくれる気持ちで——
義務やない。強制でもない。ただ、書き続けるための、正直なお願いや。
■ 最後に——歯ぎしりが教えてくれたこと
Bさんのギリギリという音から、この記事は始まった。
長く書いてきたけど、ワイが伝えたかったことはひとつや。
介護は、五感で向き合う仕事やということ。
目に見えるきれいなケアだけが介護やない。吐き気をこらえながら口を開ける手が、腰の痛みをかばいながら走る足が、強烈な匂いの中で「おるな」と確認する鼻が——全部、介護や。
きれいごとを並べた介護の話は、世の中にたくさんある。
ワイが書きたいのは、その話やない。泥の中で動き続けている人間の、リアルな記録や。
Bさんは今も、どこかでギリギリと歯を鳴らしているかもしれない。
その音を、ワイはまだ耳の奥に持っている。
それが消えない限り、ワイは現場に立ち続けると思う。腰にコルセットを巻いて、手にタコを作りながら、嫁と湿布を貼り合いながら、それでも夜勤に入り続けると思う。
なぜかは、うまく言えない。
ただ——あの音の主が、今夜も「ここにいる」ということを、誰かが確認しに行かなければならない。それだけのことや。
読んでくれて、ありがとう。
あなたも、明日少しだけ戦えますように。