夜勤介護マンの日記

介護現場で感じたことを、体験ベースで書いています

介護職員も人間や | 介護職の夜勤ストレスと虐待が起きる現場の限界を考えるリアルな労働環境論

 

※この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。

介護職員も人間や

20年現場にいるおっさんからの、ただ一言。

この記事でわかること

  • — 介護職員が日々受けている、目に見えない心理的ストレスの実態
  • — 「虐待事件」が起きる背景にある、職員側の追い詰められた環境
  • — 現場で「感情を飲み込む」ことが常態化している現実
  • — 20年の現場経験から見た、職員が壊れない環境づくり
  • — 明日から実行できる、41歳プロの具体的なマインドセット

支える側が壊れたら、介護は成り立たん。
これはな、理屈やなくて、現場で毎日見とる現実や。

介護職が毎日受けてる、その「重さ」

朝礼を終えて、ユニットの扉を開けた瞬間からや。

「おい、何してんだ」

朝一番でこの言葉。今日も始まったわ、みたいな。

介護職員はな、毎日毎日、こういう言葉を浴びてる。暴言、暴力、排泄物を塗り広げられる。夜中に十数回のナースコール。眠らん利用者への対応。家族からの理不尽なクレーム。これが「日常」や。

「虐待ニュースでよく報道されるけど、あれって本当に氷山の一角やねん。報道されん我慢は、現場に山ほどあるで」

20年いるから、わかるねん。職員の目の色が変わる瞬間を。最初はみんな優しい顔で現場に来とる。「誰かの役に立ちたい」「介護の仕事が好きや」って。でもな、3年、5年と経つと、その光は消えていく。

感情を出すことは許されない、という矛盾

ここからが、介護職の本当の「矛盾」やねん。

暴言を吐かれたら、暴言で返すことはできん。叩かれたら、叩き返すことはできん。ナースコールを何十回押されて眠れなくても、「もう押すな」って言うことはできん。便を塗り広げられても「やめろ」って怒鳴ることはできん。

なぜか。それは「虐待」になるからや。

感情を出せば、その瞬間、お前は加害者になる。被害者側にいるのに、ルールが一方的に働く。

これはね、想像以上に、人間の心を削る。朝から晩まで、自分の感情を押し殺す。胸の中にモヤモヤを溜め込みながら、「そうですね」「わかりました」を繰り返す。これが、毎日や。月日が経てば経つほど、その我慢の塊は大きくなっていく。心に溜まった感情は、どこへ行くんやろう。それはな、自分自身に向かうんや。

ニュースになる事件と、その背景

時々、ニュースになる。「介護施設での虐待事件」「介護職員による不適切ケア」

テレビは怒る。世間は怒る。「人間やめとるんか」「信じられん」。その言葉、よう分かるねん。でもな。

その職員が、なぜそこまで追い詰められたのか。誰も、そこは見ん。

20年の現場で、何人も見てきたんや。目の光が消えていった職員を。そいつらが「虐待」に至ったわけやない。でも、同じようにボロボロに壊れていった。ただ、ニュースにはならんかったんや。虐待を許すわけやない。絶対あかん。でも、「なぜそこまで追い詰められたのか」を考えず、ただ職員を叩くだけじゃ、何も解決されへん。同じことは、また起きるんや。

20年前と、今

2004年。俺が現場に出たころの話や。当時の介護職員の待遇は、今より悪かった。給料も安い、施設の環境も今より整備されてない、研修だってほとんどなかった。でも、ひとつだけ違うことがあった。

当時はな、「介護の仕事をしてくれてありがとう」という感覚が、世間にまだ少し残っとった。今と違う。今は「介護職なんて、誰でもできる仕事」という認識が、社会全体に蔓延しとる。

20年で給料は上がった。施設の設備も良くなった。でも、職員を見る目は、どんどん厳しくなっていった。

これは、皮肉やねん。世間が介護職に「もっと高い倫理」を求めるようになったのは、逆説的に、介護職という職業を下に見始めたからやろ。「お金をもらってる専門家なんやから、どんな状況でも怒るな」「利用者のために、自分の感情は後ろへ」。そういう無言のプレッシャーが、年々強くなっていくんや。

施設という「密閉空間」の歪み

夜勤介護ほど、その歪みが顕著な環境はない。

夜中の2時。ユニットに職員は1人か2人。利用者は十数人。その中で、何が起きても、外からは見えん。これが、問題の根っこや。昼間なら、複数の目がある。管理者がおる。申し送りがある。記録がある。でも夜勤は違う。暴言があっても、もみ消される。不適切な対応があっても、記録されん。職員が叩かれても、「利用者さんが認知症やから、言うたことは信じるな」で終わり。

施設というシステムは、昼間の「見える化」には敏感やけど、夜勤の「見えん部分」には目を瞑る。都合いい体質や。

夜勤職員の過酷さを知ってる管理職は、本当に少ない。昼間の8時間と、夜間の16時間。同じ給料で、圧倒的に負担が違う。でもな、決算書には「人件費」としか書かん。職員の心身の消耗は、数字には出ん。

「効率化」という名の切り詰め

介護報酬。これが、すべての歪みを生んでる。国が定めた「人員配置基準」は、最低限の基準や。利用者3人に対して、職員1人。これ、知ってる?この基準で成り立つ施設は、実際には、まず存在せんで。

基準を守るだけで、施設は赤字になる。だから、多くの施設は、その基準の「ギリギリ上」で運営してる。実質的には、基準と変わらん状態や。

その「ギリギリ上」の職員で、どうやって利用者の安全確保と、職員の心身の保護を両立させるんか。不可能や。最初から不可能な状況で、職員は働いてる。

20年前と比べて、今の利用者さんの状態は劇的に悪くなっとる。認知症が重い、身体能力が落ちてる、医療的ケアが必要、暴力的な利用者が増えてる。でもな、職員数は増えん。むしろ、人件費削減で減ってる施設の方が多い。

これはどういうことか。昔より圧倒的に重い利用者を、昔より少ない職員で、同じ質のケアをしろということや。

これ、「効率化」という名目で、施設側が推し進めた政策やねん。「同じ人数で、より多くの利用者を、より重度な対応で」。経営側からすれば、それは「合理化」や。でも職員からすれば、それは「絶望」や。

「利用者様ファースト」という圧力

ここ10年で、一番変わったのは、家族の関わり方や。今の家族は、施設にめっちゃ厳しい。それ自体は悪いことやない。大事な親やから、気になるのは当たり前や。

でもな。「うちの親が、こんなことになった」「この対応は不十分や」という家族のクレームが、全部、職員の「責任」になってる。

施設側は、家族への対応で精一杯。職員を守るどころか、むしろ職員を生贄にして、家族を宥めてる。

例えば、認知症の利用者が夜中に何十回も呼び出しボタンを押す。職員が毎回対応する。でも家族からは「夜中に放置されてる」というクレームが来る。施設側は、「放置なんかしてない、毎回対応してる」と説明する。でも、その説明は、つまりは「うちの職員が対応に追われてる」ことを暴露してるんや。その結果、施設側は職員に「もっと丁寧に対応しろ」と圧力をかける。職員はさらに疲弊する。悪循環や。そのシステムの中で、誰かが壊れるのは、必然や。

夜明け前、16時間後

午前6時30分

夜勤明けの駐車場。朝日がまだ低い。妻も同じ施設の夜勤や。違うユニット。ほぼ毎日、この時間に顔を合わす。妻の顔を見た瞬間に、わかる。昨晩はきつかったんだなって。目の下のクマが濃い。口角が下がってる。肩の位置が、いつもより高い。

「Kさん(入居者の仮名)、昨晩も全然眠らんかった。22時から朝まで、ずっとナースコール。」
「そっちも?うちは(別の入居者)が23時に転倒して、その後ずっとベッド上で暴れとった。腰、痛い。」

これが、俺たちの朝の儀式や。16時間、離れた場所で戦った同志同士の、無言の報告。

手と腰が記憶してる、20年の負債

右手の人差し指と中指が、いつからか曲がらん。便が硬くなった利用者のおむつ替えで、毎日毎日、同じ動作を繰り返してきた。指が変形した。医者に見せたら「デュプイトラン拘縮だ」って言われた。介護職にはよくある症状だって。

腰は、もっと悪い。腰椎ヘルニア。脊椎分離症。仙腸関節の炎症。医者の診断書には、いくつもの病名が並んでる。毎日、体重が100キロ超える利用者を、抱え上げる。移乗介助。床上げ。その動作を、20年、繰り返してきた。腰は、もう限界や。朝起きるときに、ギリッて音がする。靴下を履くときに、身をかがめることができん。昔は当たり前だったことが、今は、痛みと戦いながらやっとる。

20年の蓄積は、取り戻せん負債や。俺の身体は、もう返納期限を超えてる。

妻も同じや。妻の膝が、最近、よく痛いって言う。階段の上り下りで悲鳴を上げる。夜勤から帰ってきて、しばらくは歩きたくない、って寝転ぶ。20年前、俺たちが介護職に入ったとき、こんなことになるって、想像してなかった。

「汚い」を超えた、深い疲労

昨晩の話。認知症の利用者が、夜中の2時に便を出した。それ自体は、普通のことや。でも、その便を、自分で塗り広げてしまった。ベッド、シーツ、パジャマ、髪の毛、全部に。

俺は、ため息つきながら、その人を浴室に連れていった。体を洗う。シーツを交換する。床を拭く。手を洗う。その間、40分。その後、また利用者は眠りについた。俺は、次の対応に向かった。

その時、何も感じなかった。怒りも、悲しみも、不快感も。ただ、「次の業務」だけが、頭に残ってた。

これが、本当の「虐待予備軍」や。感情が死んだ状態。「汚い」って感じるのは、まだ、心がある証拠。でも長くいると、その感情も麻痺する。いつからか、排泄は単なる「業務」になる。その時点で、職員の人間性は、半分死んでる。

ナースコール地獄と、深夜の沈黙

昨晩の23時から24時半までの1時間半。ナースコールが、鳴り止まんかった。

23時 〜 24時30分
  • 23時03分:トイレに行きたい
  • 23時08分:飲み物が欲しい
  • 23時14分:トイレ
  • 23時21分:誰かいるか?(話しかけたいだけ)
  • 23時27分:便が出たから来てほしい
  • 23時35分:トイレ
  • 23時42分:足が痛い、マッサージしてほしい
  • 23時49分:何か、とにかく誰か来てくれ
  • 24時03分:トイレ

その間、俺は、なべて走ってた。走ってた。走ってた。一度、トイレの前で立ち止まった。その時、心の中で何か切れた。「なんで、こんなことしてるんや」

でも、切れてる時間さえ、許されん。次のコール。次の対応。それで、切れたことすら忘れる。

そして、深夜の1時30分を超えたあたりから、急に静かになった。利用者たちが、ようやく眠った。ナースコールが鳴らん。廊下に、静寂が戻った。

その沈黙は、救済やなくて、恐怖やった。なぜなら、その静寂が、夜明けまで続くわけやないからや。あと数時間で、また鳴り始める。その「また」が来るまでの間だけ、許された休息。

同じ戦場に立つ人間にしか、わからん

駐車場で、妻と並んで立ってた。朝日が、少し強くなってきた。

「毎日、こんなんで、本当にいつまで続くんかな。」
「さあ。死ぬまでか。」
「(笑う)あ、そっか。死ぬまで。」

他人から見たら、暗い会話や。絶望的な会話に見えるかもしれん。でも、俺たちの間では、これは「共鳴」や。同じ戦場で戦ってる者同士の、静かな了解や。

もう、何も期待しない。給料が上がるわけでもない。労働環境が改善されるわけでもない。ただ、毎日、この戦場に出て、帰ってくるだけ。

それでも、出勤する。妻も。俺も。なぜなら、利用者たちは、夜明けを待ってるから。その利用者たちを支える職員が、壊れたら、すべてが成り立たん。そのことを、一番よく知ってるのは、俺たち自身や。

介護職員も人間や。同じく現場に立つ妻の顔を見て、初めて、俺は「あ、これ、本物の疲労やな」って実感する。自分の疲労やなく、妻の疲労を見て。妻の腰の痛みを見て。妻の目から消えた光を見て。その時だけ、気づく。このシステムが、どんだけ狂ってるのかを。

41歳が現場で学んだ、「折れない」の作り方

ここまで読んでくれたあんたに、一番大事なことを言う。同じく現場で苦しんでる人たちへ。家族のケアで追い詰められてる人たちへ。

今からでも、遅くない。小さな「逃げ」から始めろ。

明日から実行できる、具体的なアクション

  • 「完璧」を手放す — 今日のケアが100%やなくても、80%でいい。利用者のためにならない「完璧」は、ただお前自身を潰すだけや。
  • 感情を「ため込まない」 — 同僚と、毎日その日の愚痴を吐け。記者会見みたいに正式な報告やなく、「きつかった」の一言でいい。
  • 夜勤を「短期の約束」と考える — 「一生夜勤するわけやない」と思え。身体がもたんようなら、昼勤へ異動することも視野に入れろ。
  • 身体のケアを、仕事の一部にする — 腰が痛い、膝が痛い、そこに金を使うことは「自分への投資」や。
  • 利用者との「距離」を保つ — 完全に入り込むな。「この人のために」やなく「この仕事をするために」という感覚を持つ。
  • 小さな「勝利」を積み重ねる — 夜勤が終わったら、それは勝利や。朝日を浴びたら、それは勝利。

「システムには勝てん」を知ることから、始まる

ここでな、重要な認識がある。お前が、いくら頑張ってもな、このシステムは変わらん。給料は上がらん。人員は増えん。家族のクレームは減らん。

でも、それは、お前の責任やない。

今の介護業界のシステムは、「職員の献身」の上に成り立ってる。その献身は、いつか必ず、限界に達する。その時、お前は「システムの一部」でなく、「個人」として判断する自由がある。

転職するもよし。配置転換を求めるもよし。短時間勤務を交渉するもよし。その決断は、「逃げ」やなくて、「選択」や。

20年、現場に立ってきた俺が、一番後悔してることは何か知ってるか。「もっと早く、自分を大事にする選択をしてればよかった」ってことや。

このシステムを支える者たちへ、最後の言葉

この記事を読んでくれたあんたへ。もしあんたが、介護職やなくて、単なる読者なら。家族で誰かが介護職なら。あるいは、親を介護施設に預けてる人なら。

一つだけ、覚えておいてほしい。

その介護職員は、あんたの「都合のいい人」やない。あんたの親を支える、人間や。

朝方に駐車場に立つ、目のクマがある職員。夜勤明けで、まっすぐ歩けん職員。その職員は、昨晩、何十回と対応して、睡眠不足で、腰痛を抱えながら、お前の親のケアをしてくれてた。

その職員に対して、できることがある。感謝の一言。クレームやなく、感謝。それだけで、その職員の心は、ほんの少しだけ、救われる。

🔥 夜勤明けの、コーヒー一杯のために

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明日も、また、現場へ

夜が来たら、また仕事に出かける。朝方に、妻に会う。無言で、疲労を共有する。そして帰宅する。それの繰り返しやねん。

20年、その繰り返しの中で、俺が学んだことは。生きるってのは、完璧やなく、その日その日を「折れん」で進むことなんだってことや。

折れるのは悪いことやない。折れた後で、また立つことの方が、大事や。

この記事を読んでくれた誰かが、明日、少しだけ戦える力を得られたなら。この20年の言葉は、無駄やなかった。

介護職員も人間や。完璧な人間やなく、不完全で、疲れて、それでも毎日出勤する、そういう人間や。その人間たちが、今日も、どこかで、利用者さんを支えてる。その支えがあるから、親たちは、安心して人生の最期を迎えられるんや。

感謝を忘れるな。職員にも。システムにも。自分自身にも。

夜が明ける。また、夜が来る。

その繰り返しの中で、俺たちは、人生を積み重ねてる。

それはな、とても大事なことなんや。

夜勤介護マン
41歳。まだ現場に立ってます。
やきんかいご(夜勤介護マン)

20年超の介護現場経験を持つ41歳の現役夜勤介護士。
Hatena Blogで、介護の実態と現場からの本音を配信中。