この記事は、夜勤介護マンが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。
Facility Arc — Episode
完璧な人間じゃなくても、現場にはちゃんと居場所がある

。
ある主任と、「理想の上司」じゃなくても現場に馴染んでいく人間の話。
▷ この記事でわかること
- 「理想の主任」とは程遠かったある職員が、それでも現場に自然と馴染んでいった話
- 介護現場における「完璧じゃない上司」が持つ、意外な強みとは何か
- ベテランが20年かけて気づいた「現場に居場所を作る人」と「作れない人」の違い
- 「できない部分」を隠さない人間が、なぜ職員から信頼されるのか
- 完璧を目指すことより大切な、介護現場での「生き残り方」の話
介護の現場で20年働いてきて、ワイが一番苦手やったのは——実は「完璧な上司」やった。
いつも正しいことを言う。判断が早い。感情的にならへん。部下の話をちゃんと聞く。
そういう人が上にいると、なんか息が詰まる。
「ちゃんとせなアカン」というプレッシャーが、じわじわと体に乗ってくる感じがして。
でも逆に、「この人、大丈夫かな……」って思うような上司が、なぜかいい現場を作ることがある。
それがどういうことか、ワイはずっと言語化できてへんかった。
桑原さんの話をしようと思う。
あの人が主任になったとき、正直ワイは「え、この人が?」って思った。
でも、時間が経つにつれて——ワイの見方は、静かに変わっていった。
桑原さんという主任のこと
桑原さんがその施設の主任に就いたのは、ワイが独身で、22歳から36歳まで働いてた施設でのことや。
当時ワイは30代の前半やった。
桑原さんは40代半ば、中肉中背、いつもちょっとだけ猫背で歩く人やった。
声は低くて、話すスピードは遅い。会話の間に「えっと……」が何度も入る。
第一印象は、正直「地味」やった。
目立つわけでも、カリスマ性があるわけでも、ぱっと見で頼りになる感じでもない。
介護の経験年数は長かった。それは間違いない。
でも、現場でのケアのスピードは決して速くないし、書類仕事は苦手で、会議では発言が少ない。
「なんでこの人が主任なんやろ」という声が、当時スタッフの間でちらほら出てたのを、ワイは覚えてる。
ワイ自身も、最初はそう思ってた。
「主任らしくない」主任やった
桑原さんの何が「主任らしくない」かというと——まず、自分の不得意を隠さんかった。
書類の期限を忘れる。パソコンの操作が遅い。カンファレンスで話がまとまらへん。
そういうことが、割と普通に起きてた。
普通やったら、主任という立場の人間がそれを見せるのは「みっともない」とされる。
隠す、誤魔化す、もしくは誰かに押しつける——そういう動きをする上司を、ワイはこれまでも何人か見てきた。
でも桑原さんは違った。
「これ、ワイ苦手やねん。誰か得意な人おる?」
それをフラットに言えた。
威圧感がなかった。プライドで壁を作らんかった。
最初はそれを「頼りない」と受け取ってたスタッフも、時間が経つと変わってくる。
「苦手なことを素直に言える人」というのは、裏を返せば——「自分の限界を知ってる人」やということに、少しずつみんなが気づいていく。
介護の現場に、自分の限界を知らん上司がどれだけ害をなすか。
ワイは20年でそれを何度も見てきた。
「俺はなんでもできる」という顔をして、できてへんことを認めへんまま現場に無理を押しつける上司——そういう人の下で働くことの消耗を、身体が覚えてる。
桑原さんは、そういうタイプとは真逆やった。
それでも、現場は動いていた
桑原さんが主任になってから、施設の空気がどう変わったか——変わったことと、変わらんかったことがある。
変わらんかったこと。
書類の提出は相変わらず遅かったし、会議の進行は相変わらずもたついた。
「主任としての完成度」という意味では、正直高くなかった。
でも、変わったことがあった。
スタッフが「報告しやすい」雰囲気になった。
以前の主任のときは——失敗を報告するのが怖い空気があった。
「なんでそんなことになったの」という反応が返ってくることへの恐怖が、現場のあちこちに小さな「隠し」を生んでいた。
小さなヒヤリハットが記録されへん。ミスを誰かに押しつける。そういうことが静かに起きてた。
桑原さんになってから、それが減った。
なぜか。桑原さん自身が、失敗を普通に話したからや。
「さっき山田さんの薬の確認、一回飛ばしそうになってん。危なかったわ」
主任がそれをフラットに言うと、スタッフの側の「隠さなアカン」という緊張が、少しだけ緩む。
自分も言っていいんや、という空気になる。
ミスを報告しやすい現場は、ミスが減る。
特に夜勤帯で一人や二人で動く介護の仕事では、この空気の差が直接、利用者さんへのケアの質につながる。
桑原さんは、意図してそうやったわけやないと思う。
ただ、自分が正直なだけやった。その「ただの正直さ」が、現場に何かをもたらしてた。
居場所は「完璧さ」じゃなくて「本物さ」で作られる
桑原さんを見ながら、ワイはずっと考えてた。
「この人が現場に馴染んでるのは、なんでやろ」って。
一番根っこにあるのは——「この人は、現場のことを本物やと思ってる」という空気やないかと、ワイは今でも思ってる。
介護の現場には、「腰掛け」で来てる人間が一定数おる。
別に悪いわけやない。でも、現場の空気はそれを察知する。
桑原さんにはそれがなかった。
上手くも速くもないけど、この場所に体ごと根を張ってる感じがあった。
利用者さんの顔と名前だけやなく、その人の癖や好みや、昨日の夜のことを「ちゃんと覚えてる」人やった。
ワイが20年で気づいたことの一つは——介護の現場は、「優秀な人間」よりも「本物の人間」の方が長く続くということや。
優秀さは燃え尽きる。でも本物さは、じわじわと現場に染みていく。
詰められても、崩れへんかった理由
ベテランのパートスタッフ——現場歴だけならワイより長い、田所さんという女性やった——が、ある日休憩室で後輩に言ってるのをワイは聞いてしまった。
「桑原さん、主任やのに書類また遅れてたで。あれで管理職って、ちょっとどうなん」
声を潜めてたわけやなかった。聞こえてもええと思ってたんやろな、たぶん。
それと前後して、桑原さんと田所さんが直接話す場面があった。
田所さんが桑原さんに、書類の遅延についてかなりはっきりと言った。
「桑原さん、先月の記録の提出、また遅かったですよね。現場が困るんですけど」
ワイはちょっと身構えた。
言い訳する上司、逆ギレする上司、黙って受け流す上司——色々見てきた。
桑原さんは、少し間を置いてから言った。
「そやな。ほんまにすまんかった。次はちゃんとする」
それだけやった。
言い訳なし。自己弁護なし。でも卑屈でもなかった。
謝れる上司というのは、現場では思ってる以上に少ない。
立場を守ろうとする人間は、謝ることを「負け」やと思ってしまう。
でも桑原さんにとって、それは「負け」やなかった。ただの「事実の確認」やった。
20年前の「完璧な主任」の下で消耗したこと
桑原さんを見ながら、ワイはよく20年前のことを思い出してた。
ワイが若いころに仕えた主任——仮に三上さんとしておく——は、ある意味で「完璧な上司」やった。
書類は早い。判断は的確。感情的になることはほぼない。利用者さんへの対応も、教科書に載せられそうなくらい丁寧やった。
でも、三上さんの下で働くのは——しんどかった。
ミスを報告すると「なぜそうなったか」の追及が始まる。
丁寧な言葉で、論理的に、どこで判断を誤ったかを分解される。
それが毎回やから、ミスをした瞬間に「報告したくない」という気持ちが先に来る。
完璧な上司は、知らんうちに「完璧を求める空気」を現場に作る。
その空気の中で、スタッフは少しずつ「失敗を隠す」ことを覚えていく。
隠しが増えた現場は、ある日突然、大きな事故を起こす。
三上さんは悪い人やなかった。でも「完璧さ」が、現場に見えにくい歪みを作ってた。
「主任は完璧であるべき」という呪縛
介護の業界には、「上に立つ人間は完璧でなければならない」という空気が根強くある。
利用者さんの命や尊厳に直接関わる仕事やから、「ミスは許されない」という意識が、上の人間に対してより強く向く。
でも、これが現場に何をもたらすかというと——
完璧でない上司が「完璧なふり」をし始める。
完璧なふりをするために、弱みを見せなくなる。
弱みを見せない上司の下で、スタッフも弱みを見せなくなる。
現場全体が「ふり」をするようになる。
これが、介護現場のあちこちに潜んでる構造的な歪みやとワイは思ってる。
桑原さんは、意図せずしてその構造に風穴を開けてた。
「完璧でない主任」が堂々と存在することで、現場の「ふり」が少しずつ剥がれていった。
桑原さんは、とにかく遅かった
当時のワイは独身で、仕事が速いことをほぼ正義やと思ってた。
速く動ける、テキパキこなせる、余裕を持って次に備えられる——それが「できる介護士」の条件やと、疑わずに思ってた。
やから、桑原さんの「遅さ」が、最初はどうしても気になった。
食事介助に入ると、他のスタッフの倍近く時間がかかる。
移乗介助も、手順一つひとつを確かめるように進めるから、見てるこっちがヤキモキする。
入浴介助は丁寧すぎて、午前中のルーティンが押すことがあった。
でも——ある日、ワイはある場面を見てしまった。
利用者さんの顔が、変わった瞬間
昼食の介助が終わって、スタッフがそれぞれ片付けに動いてるタイミングやった。
桑原さんは、食事をほとんど食べへんかった利用者さん——松井さんという、当時80代の男性——の前に、まだ座ってた。
他のスタッフはもう次の業務に移ってる。ワイも動きかけてた。
でも桑原さんは、急がんかった。
食器を下げるでもなく、記録をつけるでもなく、ただ松井さんの横に座って、ぽつぽつと話しかけてた。
「今日、あんまり食べれへんかったな。お腹の調子でも悪い?」
松井さんは普段、あまり表情が動かへん人やった。
でもそのとき、松井さんはゆっくりと桑原さんの方を向いた。
そして、かすかに——ほんまにかすかに——口の端が上がった。
ワイはその瞬間、廊下の端で立ち止まってた。
松井さんがあんな顔をするのを、ワイはそれまで一度も見たことがなかった。
桑原さんが「遅い」のは、間違いない。
でも桑原さんがやってたのは、「遅い介助」やなかった。「ちゃんとそこにいる介助」やった。
速く動くことで、ワイには見えなくなってたものがあった。
桑原さんの「遅さ」は欠点やなかった。
利用者さんの時間に合わせる——ワイには持てへんかった「もう一つの速さ」を持ってた、ということやったんやと思う。
「善意の精度」を上げるために、明日からできること
綺麗事は言わへん。
「自分を信じて」「できることに目を向けて」——そういう言葉は、現場では何の栄養にもならへん。
まず一つ目。「できへんこと」を、隠さへんこと。
桑原さんが現場に居場所を作れた一番の理由は、自分の弱みを素直に出せたからや。
隠すと、周りが「あの人はできる人」という前提で接してくる。その前提が積み重なると、できてへんことがどんどん言いにくくなる。
完璧を目指すより、自分の輪郭を知ることの方が、長く続くための武器になる。
二つ目。一日一回、「ちゃんとそこにいる時間」を意識して作ること。
松井さんが口の端を上げた瞬間——あれは桑原さんが特別なことをしたわけやない。
ただ、急がんかっただけや。それだけや。
誰でも一人でええ。一日一回でええ。
利用者さんに届く介護は、たいてい「急がへん一瞬」から生まれる。
三つ目。ミスをしたとき、言い訳より先に「すまんかった」と言えること。
謝れる人間は強い。謝れる人間の周りには、報告が集まる。報告が集まる現場は、問題が早期に見える。
「すまんかった」の一言が、現場全体の安全につながってる。
完璧じゃなくていい。ミスをしていい。ただ、ミスをしたときに「ちゃんとそれを受け取れる自分」でいること——それが、長く現場に立ち続けるための、地味やけど一番確かな姿勢やとワイは思ってる。
居場所は、自分で「作る」というより「なっていく」もの
桑原さんは、居場所を作ろうとしてたわけやないと思う。
ただ、毎日現場に来て、できることをやって、できへんことは正直に言って、利用者さんの前では急がんかった。
それを続けてたら、気づいたら「桑原さんがいる現場」になってた。
今、現場で「自分、いてもいいんやろか」と思ってる人がいたら——ワイはこれだけ言いたい。
完璧じゃなくていい。速くなくていい。
ただ、その場に本物でいることを、やめへんでほしい。
それだけで、居場所はちゃんとできていく。
桑原さんが、ワイにそれを教えてくれた。
介護の現場で働いてる人も、家族を施設に預けてる人も、これから介護の仕事を考えてる人も——この記事にたどり着いたということは、何かしら「現場のリアル」を知りたかったんやと思う。
ワイがこのブログに書いてることは、教科書には載ってへん話ばかりや。
きれいに整理された「介護の正解」やなくて、現場で転がりながら積み上げてきた「ワイの経験」や。
それが誰かの「あ、そういうことか」に繋がるなら、夜勤明けにこれを書いてる甲斐があるってもんや。
この記事、もし「読んでよかった」と思ってもらえたなら——
夜勤明けのワイに、コーヒー一杯だけ奢ってもらえませんか。
それだけで、次の記事を書く燃料になります。
※OFUSEの投げ銭ページへ移動します。金額は自由です。
桑原さんは今も、どこかの現場にいるんやろか。
あの猫背で、ゆっくりした足取りで、利用者さんの横に座ってるんやろか。
ワイには分からへん。あの施設を出てから、一度も会ってへん。
ただ、松井さんが口の端を上げたあの一瞬だけは、今でもはっきり思い出せる。
あれが介護やった。
完璧やなくても、遅くても、書類が苦手でも——あれが、ちゃんと介護やった。
完璧な人間じゃなくても、現場にはちゃんと居場所がある。
それだけは、間違いなかった。