夜勤の現場というのは、人の「素」が出る場所や

介護の仕事を20年やってきた。施設も変わったし、上司も変わった。一緒に働く仲間も、何十人と入れ替わってきた。その中で気づいたことがひとつある。

夜勤というのは、人間の「素」が出る。

昼間は取り繕える。笑顔も作れる。「はい、わかりました」という声も、そこそこ自然に出る。でも夜中の2時に、廊下の電気が半分落ちた施設の中で、誰も見てへん状況になると、人は本当の顔を出す。

サボるやつはサボる。手を抜けるところを探すやつは探す。それも人間の「素」や。ワイはそれを責める気にもなれへんし、20年やってたら「まあそういうもんや」という部分もある。

ただ、逆もある。

誰も見てへんときに、誰よりも真剣な顔をしてる人間がいる。昼間の現場では目立たんくて、ちょっと変わった人やと思われてるのに、夜の誰もいない空間でだけ、本当の姿を見せてる人間がいる。

ワイが今日書くのは、そういう話や。

 

田中さんという先輩のこと

田中さん、と呼んでおく。本名やない。でも実在した人間の話や。

田中さんがその施設にいたのは、ワイが1年目のころやった。田中さんはそのとき9年目——ワイより9年先にこの仕事をしてた、れっきとしたベテランやった。介護の仕事には慣れてるはずやのに、どこか「人との距離感がつかめてない」感じが、ずっとあった。

動きが丁寧すぎて、ぎこちなく見える。指示を受けると少し固まる。利用者さんに声をかけるとき、なんか棒読みみたいになる。笑顔が、作れてない。そういう先輩やった。

現場のスタッフの間では、正直なところ「ちょっと、とっつきにくい」という評価やった。仕事は真面目にやるけど、コミュニケーションがかみ合わない。利用者さんとの距離感がどこかぎこちない。笑顔が出んから、怖い印象を与えてしまうこともあった。

「田中さん、なんか感情が読めへんのよね」

スタッフの誰かがそう言っていた。悪意はなかったと思う。でもその言葉は、現場全体の共通認識みたいになっていった。

ワイは田中さんと夜勤を何度か組んだ。一緒に働いてみると、仕事は丁寧やった。記録もきちんと書く。利用者さんへの対応で手を抜いてるところを見たことがない。ただ、確かに「笑顔がない」。それだけが、ずっと気になってた。

介護の仕事において、笑顔というのは単なる「愛想」やない。利用者さんにとって、ケアをしてくれる人の表情は、安心感の根拠になる。「この人は怖くない」「この人に任せていい」という判断を、高齢の方は表情から読み取る。特に認知症の方にとっては、言葉より表情の方が情報量が多い。

だから「笑顔が出ない」という問題は、現場では軽くない。田中さんはそれをわかってたと思う。わかってたからこそ、ぎこちなさがさらに増してた。

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男子ロッカーで見てしまったもの

ある夜勤明けのことやった。

夜が明けて、日勤のスタッフが来て、申し送りが終わる。体はすでにガタガタで、頭の中は「早く帰って寝たい」それだけになってる。男子ロッカーに着替えに行って、扉を開けたとき、ワイは思わず足を止めた。

田中さんがいた。

ロッカーの扉の内側についてる小さな鏡に向かって、立っていた。そして、笑顔を作っていた。

口角を上げて、目を少し細めて、また戻して、また作って。繰り返してた。声は出してへん。誰かに見せるわけでもない。ただひとりで、鏡に向かって、笑顔の形を確かめてた。

ワイが入ってきたことに気づいて、田中さんはすぐに顔を正面に戻した。「お疲れ様です」と言った。いつもの、少し硬い声で。

ワイは「お疲れ様です」とだけ返して、着替えを始めた。何も言わなかった。聞かなかった。

でも、頭から離れんかった。

笑顔が苦手やから、
練習していた。
それだけのことやった。
 

笑顔が「苦手」ということの意味

笑顔が自然に出る人間には、わからへんことがある。

笑顔というのは、多くの人にとって「特に意識しなくても出るもの」や。楽しければ笑う。安心すれば顔がほぐれる。その感情と表情の間に、ほとんどタイムラグがない。

でも、そうじゃない人間もいる。感情はある。楽しいとも思う。安心もしてる。でも、それが顔に出ない。出し方がわからない。もしくは、出すことに強い緊張を感じる。

田中さんがどっちのタイプやったかは、ワイには正確にはわからん。ただ、彼が笑顔を「意識的に作ろうとしていた」ことは、あの鏡の前の姿が証明してた。

夜勤明けのロッカーで、誰にも見られてへんと思ってる場所で、笑顔の練習をしていた。それが何を意味するかを、ワイはしばらく考え続けた。

彼は、利用者さんのことを考えてたんやと思う。

現場で「笑顔がない」と言われ続けてきた。それが利用者さんを不安にさせてると、自分でもわかってた。だから直そうとしてた。でも人前ではうまくできへんから、誰もいない場所で練習してた。

それを「不器用」と呼ぶのは簡単や。でもワイには、その姿が刺さった。

笑顔ひとつのために、ひとりで練習できる人間が、手を抜くわけがない。

その確信が、あの瞬間にできた。

 

不器用な人ほど、見えない場所で努力している

介護の現場には、「要領のいい人間」と「不器用な人間」がいる。要領のいい人間は、表面的に見栄えよく立ち回る。利用者さんへの声かけが自然で、スタッフとの連携も滑らか、記録もそれなりに書く。管理者の目には「優秀」に映る。

不器用な人間は、その逆や。動きがぎこちない。言葉が出てこない。表情が硬い。「とっつきにくい」と言われる。評価されにくい。

でもワイが20年で見てきた中で、「本当に利用者さんのそばにいた人間」は、必ずしも要領のいい方やなかった。田中さんのように、誰も見てへん場所で鏡に向かってた人間が、夜勤の深夜に利用者さんのベッドサイドで一番丁寧な声をかけてることがあった。

要領のよさは、現場では確かに武器になる。でも要領のよさは、時として「適当にやり過ごす能力」と紙一重でもある。

不器用な人間には、その逃げ道がない。うまくできへんから、練習するしかない。自然にできへんから、意識するしかない。その積み重ねが、見えない場所に溜まっていく。

介護の仕事をしてると、人の「評価」が固定されやすい。最初についたイメージが、ずっと引きずられる。「あの人はこういう人」という判断が、無意識のうちに共有されて、なかなか更新されへん。田中さんへの「笑顔がない、とっつきにくい」という評価も、そういう固定のされ方をしてた。

でも現場の人間は、現場でしか見えないものを持ってる。管理者の目に映らへんところで、田中さんがどんな表情で利用者さんのそばに立ってるか。夜中の3時に、誰も見てへんナースステーションで、記録をどれだけ丁寧に書いてるか。そういうものを、ワイは夜勤を通じて少しずつ見てきてた。

笑顔の練習を見た日から、ワイは田中さんを「不器用な先輩」としてではなく、「誰よりも利用者さんのことを考えてる人間のひとり」として見るようになった。その視点が変わっただけで、田中さんの行動のひとつひとつが、全然違う意味を持って見えてきた。

ぎこちない動きも、棒読みのような声かけも、すべてが「一生懸命やろうとしてる緊張の結果」に見えた。評価というのは、そういうものやと思う。前提が変わると、見えるものが変わる。

▷ 田中さんシリーズ・続きはコチラ

この田中さんの話は、シリーズで書いています。あわせてどうぞ。

▶ 第二弾:靴下を履いたまま入浴介助していた話 ▶ 第三弾:派手な人より、毎日来る人が強い。