夜勤介護マンの日記
この記事は、夜勤介護マンが実際の介護現場で見た出来事をもとに書いています。個人や施設が特定されないよう配慮しており、確認できていないことは書いていません。特定の職員や利用者さんを批判したり、笑いものにする目的の記事ではありません。医学的な診断や、眠気の原因を断定するものでもありません。現場エピソード
食事介助中、スプーンを持ったままコックリする職員|「寝てない」と否定され続けた介護現場
本人の否定と、周囲から見えていた動き。止まっていたのは、介助者の手だけではなかった
利用者さんの食事介助中、椅子に座った女性職員が目を閉じていました。頭がゆっくり下へ落ちて、少ししてまた上がる。落ちては上がる。いわゆるコックリコックリという、あの動きをそのまま繰り返していた。
そして、その人の手にはスプーンがありました。利用者さんの口へ運ぶ途中の、食事介助のスプーンです。頭が下がっている間、その手も止まっていました。
手が止まっている間、次の一口を待つことになるのは、介助を受けていた利用者さんのほうです。
ワイがこの光景を見たのは、一度や二度ではありません。数え切れないほど見ました。
周りから注意されることもありました。看護師の副主任や介護主任などが、その場で声をかけていた。それでも本人から返ってくるのは「寝てない」という否定でした。ワイが確認している範囲では、それ以外の説明も言い訳も聞いたことがありません。
ここが、この話のややこしいところやと思っています。本人の中では寝ていない。けれど、目が閉じて頭が上下し、スプーンを持った手が止まっていたことまで、その一言で消えるわけではない。
先に書いておくと、この記事はその職員を吊し上げるために書くものではありません。ワイは介護側の副主任から、その人が睡眠時無呼吸やと聞いていました。ただし、医師の診断内容も、検査結果も、治療の有無も、ワイ自身が確認したわけではない。
だからこの記事では、「本当に眠っていたのか」を証明しにいくことはしません。代わりに、第三者から見えていた動きと、止まっていた介助を並べます。健康上の事情があったかもしれないという可能性と、食事介助中に介助が止まっていたという事実は、混ぜずに分けて考える必要があると思うからです。
この記事で分かること
- 食事介助中にワイが繰り返し見た、具体的な状態
- 本人の「寝てない」と、周囲から見えていた動きの食い違い
- 睡眠時無呼吸と日中の眠気について、断定できることとできないこと
- 口頭注意だけで終わらせないために、現場で考えたい対応
食事介助中、スプーンを持った手まで止まっていた
まず、実際に何が見えていたのかを書きます。病名の話でも、人柄の話でもありません。同じフロアにおった人間なら、たぶん誰でも同じように見えたはずの動きの話です。
相手は女性職員で、ワイより7歳上でした。年齢に関して書けるのはここまでです。
目を閉じ、頭が落ちては上がる動きを繰り返していた
その人は食事介助中、椅子に座っていました。座って介助すること自体は、別に珍しくもなんともありません。立ったまま上から食べさせる形よりも自然です。
座った状態で、目は閉じていました。そして頭が、ゆっくり下へ落ちる。少ししてまた上がる。落ちて、また上がる。文字にすると間の抜けた説明になりますが、コックリコックリという言い方がいちばん近い動きでした。
ここで気をつけたいのは、「眠そうにしていた」というのはワイの印象や、ということです。印象は人によってぶれます。疲れて見えた、ぼんやりしていた、そういう言葉には見た側の受け取り方が混ざる。
一方で、目が閉じていた、頭が下がってまた上がった、その動きが一回では終わらなかった。ここは印象やなくて、そこにいた人間なら同じように確認できる部分です。
何秒閉じていたのかは書けません。時計を見ていたわけやないので、秒数を出したらそれは作り話になります。ただ、通りすがりに一瞬まばたきしたのを見間違えた、という程度の話でもなかった。動きが何度か繰り返されるところまで、こちらの目に入っていました。
この区別は、細かいようで大事やと思っています。あとで誰かに伝えるときに残るのは、印象のほうやなくて、動きのほうやからです。
手には利用者さんへ運ぶスプーンがあった
これが休憩中の居眠りやったら、ワイはたぶん記事にしていません。夜勤明けの職員が休憩室でうとうとしているのを見たところで、お疲れさん、で終わる話です。
ただ、そのときその人の手にはスプーンがありました。利用者さんの口へ運ぶ途中の、食事介助のスプーンです。
頭が下がっている間、そのスプーンを持った手も止まっていました。宙に浮いたままやったのか、膝の上まで下りていたのか、そこまで細かい形は覚えていません。覚えているのは、手が進まなくなっていたということです。
持っている物が、そのときの役割を示します。スプーンを持っているということは、食事介助の担当としてそこに座っていたということです。休んでいた時間ではない。業務の真っ最中でした。
この違いは、あとで「本人が寝ていたかどうか」を考えるときにも効いてきます。眠っていたことを証明できるかどうかとは別に、介助の手が止まっていたことは、それ自体で確認できる事実として残るからです。
待っていたのは介助を受けていた利用者さんだった
介助者の手が止まると、その分だけ止まるものがあります。利用者さんの食事です。
次の一口が来ない時間ができる。待つことになるのは、自分では思うように食べられない側の人です。
そのとき利用者さんがどんな顔をしていたか、何か言うたのか、ワイは覚えていません。覚えていないので書きません。書けるのは、介助が進まない時間があって、その間その方は次の一口を待つ状態になっていた、というところまでです。
食事介助は、食べ物を口へ運ぶだけの作業やないと言われます。相手の様子を見ながら進める介助です。だとすると、介助者の側が止まっている時間は、単に配膳が遅れているのとは意味が違ってくる。
そのあたりは記事の後半でもう一度書きます。ここでは、止まっていたのは介助者の手だけやなかった、ということだけ置いておきます。
一度ではなく、数え切れないほど繰り返されていた
ここまで書いた場面が、たまたま体調の悪い日に一回だけ起きたことなら、こんな記事にはなっていません。
「数え切れない」は一度や二度ではないという意味
正確な回数は出せません。数えていないからです。
週に何回、月に何回、という書き方をすれば記事としては具体的になります。ただ、記録していない数字を後から出すのは、それこそ作り話です。ここは「数え切れないほど」としか書けません。
それでも、その言い方が何を指しているかは書いておきます。一度や二度やない、ということです。二回や三回で終わっていたら、たぶん今も覚えていない。ワイの記憶に残っているのは、同じ光景が何度も積み重なったからです。
介護の仕事をしていたら、体調の悪い日は誰にでもあります。前の日にうまく眠れていない日もある。そういう一日に一回だけ意識が飛びかけたのなら、「大丈夫か」で終わる話です。ワイもそこまで細かく人を見ていません。
そうやなくて、同じ状態を何度も見た。それが今回の話の前提になります。この前提が抜けると、ただ疲れていた職員を責めている記事になってしまう。
注意された後も同じ状態を見た
周りから注意されることもありました。看護師の副主任や介護主任などが、その場で声をかけていた。
それでも、そのあとも同じ状態を見ました。
ここも、はっきり書いておきたい部分です。注意されたから次から気をつけるようになった、という流れにはならなかった。ワイが見ていた範囲では、注意は出来事の区切りにならず、しばらくするとまた同じ光景が来る。
なぜ改善しなかったのかは分かりません。本人がどこまで自覚していたのか、注意をどう受け取っていたのかも、ワイには確認できていない部分です。分かるのは、注意という方法をとったあとも状態が繰り返された、という結果だけです。
椅子へ座ると食事介助以外でもコックリしていた
もうひとつ書いておきたいのは、食事介助のときだけの話やなかった、ということです。
椅子に座ると、同じようにコックリすることがありました。食事介助の場面に限らず、です。
これは、状況の見方をひとつ変えます。「あの業務が単調やから眠くなるんやろ」という説明では収まらなくなるからです。座ったときに同じ状態になるのなら、原因を業務内容だけに求めるのは無理があります。
ただし、ワイに書けるのはここまでです。何が起きていたのかを説明できる立場ではありません。前の晩に何時間眠っていたのかも、家でどう過ごしていたのかも知りません。
一般論として言えるのは、一回きりの体調不良と、繰り返される状態とでは、職場として確認すべき内容が変わってくる、ということです。一回なら「今日は体調どうなん」で足りるかもしれない。繰り返すなら、同じ声かけを重ねるだけでは、たぶん同じ結果が続きます。
注意されても返ってきたのは「寝てない」だった
注意されたとき、本人がどう答えていたか。ここが、この話でいちばん引っかかる部分やと思います。
本人の認識では「寝ていない」
返ってきたのは「寝てない」でした。
ワイが確認している範囲では、それ以外の説明や言い訳を聞いたことはありません。体調が悪いとも、薬の影響やとも、前の日に眠れていないとも、その場では聞いていない。否定だけでした。
本人が本当に寝ていないつもりやったのか、その場を収めるための言葉やったのかは、ワイには分かりません。人の頭の中は見えません。嘘をついていたと決めつける材料も、ワイは持っていない。
ここを書き分けておかないと、この記事はただの悪口になります。「寝てないと言い張っていた」と書くのと、「寝てない、と本人は言うていた」と書くのとでは、読む側に渡る情報が変わってしまう。前者はもう、書いた側の評価が入っています。
それでも目を閉じて手が止まった事実は残る
ただ、その一言で消えないものがあります。
目が閉じていたこと。頭が下がってまた上がる動きを繰り返していたこと。スプーンを持った手が止まっていたこと。利用者さんへの介助が進まない時間ができていたこと。
これらは、本人が眠っていたかどうかを判定しなくても、外から確認できる内容です。「寝ていた」は本人の意識の話ですが、「介助が止まっていた」は業務の話になります。
逆に言えば、意識の話にしてしまうと、証明できる人が誰もいなくなります。本人は寝ていないと言い、周りは寝ていたと言う。並べたところで、水掛け論にしかなりません。
争うべきは言葉ではなく、介助中に起きていたこと
「居眠りを認めさせること」と、「食事介助を安全な状態へ戻すこと」は、別の作業です。
認めさせることに時間を使っても、その日の食事は進みません。認めなかったからといって、止まっていた時間がなかったことにもならない。
一般論としては、意識状態を断定するより、見えた動きを共有するほうが具体的です。「寝てたやろ」ではなく、「目が閉じていて、頭が何回か下がっていた。スプーンを持った手が止まっていて、利用者さんが次の一口を待っていた」と伝える形なら、本人が眠りを認めるかどうかとは関係なく、話の土台がひとつ残ります。
当時の現場でそこまで整理されたやりとりがあったかというと、ワイが見ていた範囲ではそうではありませんでした。注意する側も、たぶん忙しい業務の合間です。腰を据えて事実を並べる時間があったとは思えません。
それでも、あとから振り返ると、争っていた場所が違ったのやないかという気はしています。
介護側の副主任から「睡眠時無呼吸」と聞いていた
ここで、書くかどうか迷った情報に触れます。
ワイが知っていたのは副主任から聞いた情報まで
ワイは介護側の副主任から、その職員が睡眠時無呼吸やと聞いていました。
聞いていた、というのが正確なところです。医師がどう診断していたのか、どんな検査を受けたのか、治療をしていたのかどうか、ワイ自身は何ひとつ確認していません。
副主任がどこからその話を得たのかも知りません。同僚の健康の話を掘り下げて確かめにいく立場でもない。だから、この情報の扱いには最初から限界があります。
それでも書くのは、この部分を伏せると、記事が「やる気のない職員がおった」という話に寄ってしまうからです。ワイが当時知っていたことの中に、この一件は含まれていました。含まれていたものを、都合よく落としたくない。
逆に、書いたうえで断定しないことも必要やと思っています。伝聞は伝聞のまま置いておきます。
睡眠時無呼吸では日中の眠気が出ることがある
一般的な話として、公的な資料が説明している範囲を短く書いておきます。
厚生労働省のe-ヘルスネットでは、夜間の睡眠の質が下がることで日中に眠気が出る病気の代表として、閉塞性睡眠時無呼吸が挙げられています。睡眠時間そのものは確保していても、眠りの質が悪いために昼間に眠気が出ることがある、という説明です。あわせて、日中の眠気の原因は睡眠不足だけではないことにも触れられています。
日本呼吸器学会の解説でも、日中の眠気は睡眠時無呼吸の代表的な症状のひとつとされています。ただし、全員に眠気が現れるわけではないことも書かれている。診断には専門的な検査が必要で、疑いがある場合は呼吸器科や耳鼻科などへ相談することが案内されています。
整理すると、こうなります。睡眠時無呼吸で日中に強い眠気が出ることはある。けれど、日中に眠気がある人が全員睡眠時無呼吸というわけでもないし、睡眠時無呼吸の人が全員眠くなるわけでもない。強い眠気の背景には、睡眠不足、ほかの睡眠の病気、薬の影響、心身の病気など、いくつも可能性が考えられます。
病名を推測することと、安全上の状態を確認することは別
ここまで読んで、「やっぱり病気やったんやろ」と思う人もいるかもしれません。ワイも、そう考えたくなる場面はありました。
ただ、それはできません。外から見た様子だけで、介護職が同僚の睡眠の病気を判断することはできない。診断は医療職の仕事であって、ワイらの仕事ではありません。
そして、原因を決められないことと、目の前の状態を放っておくことは、別の話です。
仮に何かしらの病気が背景にあったとしても、食事介助中に介助が止まっていたという事実は変わりません。病気ではなかったとしても、同じことです。原因が何であれ、その時間、利用者さんの食事は進んでいなかった。
「病気かもしれんから、そっとしておこう」となると、利用者さんの側が置き去りになります。「病気を持ち出すのは言い訳や」となると、今度は職員本人の健康が置き去りになる。どちらの寄り方も、片方を捨てています。
本人を責めるだけでは健康上の問題も拾えない
強い眠気が繰り返し出ている状態を、本人の気合いや反省の問題として片付けると、行き止まりになります。
気をつけます、と言う。次の日も同じ状態になる。また注意される。その繰り返しの中では、受診が必要な状態なのかどうかを、誰も確かめていません。
一般論として、仕事中に覚醒を保てない状態が繰り返されるのなら、医療機関への相談を検討する必要が出てきます。呼吸器学会の案内でも、疑いがある場合は専門の科へ相談することが示されている。
当時の現場でそういう話が出ていたかどうかを、ワイは知りません。確認できていない以上、書けるのは、そういう見方もあり得た、というところまでです。
https://kennet.mhlw.go.jp/information/information/heart/k-02-002.html
https://www.jrs.or.jp/citizen/disease/i/i-05.html
https://www.jrs.or.jp/citizen/faq/q15.html
食事介助は、スプーンを口へ運ぶだけではない
ここで、病気の話からいったん離れます。原因が何であっても変わらない部分、つまり食事介助そのものの話に戻します。
利用者さんの食べるペースを見る介助
食事介助を「口へ運ぶ作業」と考えると、手が止まった時間はただの遅れに見えます。少し待たせただけやないか、と。
ただ、食事介助でやっていることは、それだけではありません。
厚生労働省が出している福祉サービスの危機管理に関する取り組み指針では、食事の介助について、利用者の食べるペースや飲み込むペースに合わせること、誤嚥を起こさないよう注意すること、利用者の意見を聞きながら介助することなどが挙げられています。介助者のそぶりや言葉遣いにも注意が必要やと書かれている。
健康長寿ネットの摂食・嚥下障害のケアの説明でも、介助のときは相手の反応を見ること、きちんと飲み込めているか、むせ込みが起きていないかを確認しながら進めることが示されています。
まとめると、前の一口を飲み込んだのを見てから、次の一口へ進む。当たり前のように書かれていますが、この「見る」が抜けたら介助は成り立ちません。逆に言えば、食事介助の時間の大半は、実は見ている時間です。
利用者さんと介助者の姿勢、顎の位置、飲み込みを確認する視点は、食事介助で一番大事だった姿勢と観察でも実体験から書いています。
介助者の目と手が同時に止まる意味
今回の場面で気になるのは、手が止まっていたことよりも、目が閉じていたことのほうかもしれません。
食事介助では、介助者の目が観察の役割を持っています。飲み込めているか、むせていないか、口の中に残っていないか、疲れてきていないか。手だけが止まっているなら、待たせているだけです。目まで閉じていたとすると、その間、見ている人が誰もいない時間ができていたことになる。
ここは慎重に書きます。ワイは当時、その利用者さんの口の中がどうなっていたかを確認していません。食事の形態も、飲み込みの状態も、この記事では書けない部分です。だから「危なかった」と煽ることはしません。
それでも、介助者の目と手が同時に止まって見える状態は、「作業が遅れている」とは別の種類の話として扱う必要があると思っています。遅れは取り戻せますが、見ていなかった時間は取り戻せません。
事故がなかったことと、問題がなかったことは同じではない
ここで、はっきりさせておきたいことがあります。
ワイが確認している範囲では、この状態が原因になって、むせ込みや誤嚥、食べこぼしといった事故が起きたことはありません。誤嚥しかけた、危ないところやった、という話も確認していない。
だから、この記事は「事故が起きた」という話ではありません。そこを盛ったら嘘になります。
ただし、事故が起きていないことと、問題がなかったことは、同じ意味ではない。
結果として何も起きなかったからといって、その時間の介助が適切やった証明にはなりません。逆に、同じ状態が繰り返されるなら、次も同じように何も起きないと言い切れる人も、たぶんいない。ワイも言い切れません。
介護の現場では、何も起きなかった場面のほうが圧倒的に多いです。だからこそ、何も起きていない段階で気づいた状態をどう扱うかが問われるのやと思います。事故が起きてから振り返る材料としては、「そういえば前からあった」が一番つらい。
利用者さんが待つ時間も介護の一部
最後にもう一点だけ。
食事の主役は、介助する側ではありません。食べている人です。
介助者の状態によって食事が中断する時間ができるのは、本来なら当たり前のことではない。何分待ったのか、どのくらいの間があったのかは計っていないので数字は出せません。ただ、待つ側にとっては、待った分もその人の食事の時間です。
その方がどう感じていたかは分かりません。何も感じていなかったのかもしれない。ここも確認できないので、勝手に代弁はしません。
それでも、待たせていた側の事情がどうであれ、待っていたのは利用者さんやった。この順番だけは動かさずに考えたいと思っています。
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/04/h0422-2.html
https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/sesshokushougai/care.html
看護師の副主任や介護主任も注意していた
ここまで読むと、周りは何も言わずに眺めていたのか、と思われるかもしれません。そうではありませんでした。
周囲の職員にも見えていた
ワイ一人が気づいて、一人でモヤモヤしていた話ではありません。
周りの職員も、その状態を見ていました。呆れている空気もあった。誰がどんな言葉で何を言うたかまでは覚えていないので書きませんが、同じ光景を複数の職員が認識していたことは確かです。
これは、記事を書くうえでも大事な部分やと思っています。ワイ一人の主観やったら、「見間違いやったのでは」で片付く余地があります。角度や距離の問題で、そう見えただけかもしれない。
複数の職員が同じように見ていたのなら、少なくとも、外からそう見える状態が実際にあったということになります。本人が眠っていたかどうかとは別に、そこは動きません。
注意はされていたが、ワイが知る対応はそこまでだった
そして、注意もされていました。看護師の副主任、介護主任など、立場のある人が声をかけていた。放置されていたわけではありません。
ただ、ワイが確認できている対応は、そこまでです。
その日の食事介助から外して別の職員が代わった、正式に面談の場を設けた、勤務の内容を調整した。そういう対応が行われた事実を、ワイは確認していません。なかったと断言もできない、というのが正確なところです。
ここで「施設は何もしなかった」と書けば、記事としては分かりやすくなります。読む側もすっきりする。けれど、ワイは一職員として、自分の見えていた範囲の中におっただけです。管理職の間でどんな話がされていたのか、外から見えない部分は当然あります。
だから断定はしません。書けるのは、ワイの目に入った対応は口頭での注意までやった、ということだけです。
同じ注意を繰り返しても状態は続いた
そのうえで、結果は書けます。注意は繰り返されましたが、状態も繰り返されました。
同じ方法を何度も使って、同じ結果が返ってくる。現場ではよくあることです。人手が足りない中で、その場の注意以上のことをする余裕がなかったのかもしれません。注意した側も、たぶん次の業務が待っていました。
一般論として、口頭の注意で改善しない場合は、同じ注意をもう一回足すよりも、確認の仕方や対応の方法そのものを見直す必要が出てきます。いつ、どんな場面で、どういう状態が出ているのか。その情報が管理する側にまとまって集まらないと、次の手を選びようがない。
逆に言えば、注意した人がそれぞれの場面で個別に声をかけているだけやと、全体としてどれだけ起きているのかが誰にも見えないままになります。
居眠りを注意する必要性と、本人へどう伝えるかを分けて考えた別の事例は、会議中の居眠りと先輩職員の注意方法で書いています。
本人の問題だけにすると職場の対応が止まる
そしてもうひとつ。あの状態を「あの人の性格の問題」で説明してしまうと、職場としてできることが減ります。
本人の問題やと決まった時点で、答えは「本人が直す」以外になくなるからです。介助の交代をどう組むか、その職員の担当をどうするか、健康面の相談をどこへつなぐか。そういう話は、個人の資質の話にした瞬間に出てこなくなります。
当時のワイも、正直そこまで考えていませんでした。呆れていた側です。だからこれは、今になって振り返って書いていることになります。
ワイは呆れて、本人とは関わらないようになった
ここまで書いてきて、ワイ自身がどう動いていたかを書かないのはずるいと思うので、正直に書きます。
何度も同じ光景を見るうちに関わることを避けた
ワイは、その人に繰り返し注意し続けた職員ではありません。
同じ光景を何度も見るうちに、呆れました。そして、なるべく関わらんようにしていました。声をかければ「寝てない」が返ってくる。それが分かっている相手と、毎回やり合う気力が続かなかった、というのが実際のところです。
格好のいい話ではありません。記事にするなら、毎回介助を代わって利用者さんを守った、と書いたほうが読み物としてはきれいです。でも、それはワイのやったことやない。
介護の現場では、こういう距離の取り方は珍しくないと思います。正しいとは言いません。ただ、同じ職場で毎日顔を合わせる相手に対して、一職員が注意を重ね続けるのは、思っている以上にしんどい。
本人ではなく主任へ伝えていた
ただ、何も言わずに黙っていたわけでもありません。
ワイは主任へ伝えていました。見た状態を、そのまま報告していた。
そのときどんな言い方をしたのか、どのくらいの頻度で伝えたのかは覚えていません。報告書のような形にしたわけでもない。だから「きちんと報告していた」と胸を張れる話でもないです。
それでも、本人へ直接ぶつけるのではなく、管理する立場へ上げるという判断はしていました。同僚同士の注意で動く話やないと、どこかで感じていたのやと思います。
一職員が抱え続ける方法にも限界がある
一般論として書いておきたいのは、同僚同士の注意だけに任せる形には限界がある、ということです。
注意する側とされる側の関係が悪くなる。何度も言う人間が「うるさい人」になる。やがて誰も言わなくなって、見て見ぬふりのほうが標準になる。ワイ自身、その流れの中にいました。
人間関係の問題として処理されるようになると、状態そのものは残ったまま、口に出す人だけがいなくなります。これは、あの職員個人の話やなくて、たぶんどこの現場でも起きることです。
呆れたという本音と、利用者さんの安全は分けて考える
呆れていたのは事実なので、そこは隠しません。
ただ、呆れていたという感情と、利用者さんの食事介助が止まっていたという問題は、別々に置いておく必要があります。
感情のほうが前に出ると、記事はただの悪口になります。逆に、感情を消してきれいにまとめると、今度は現場で実際に起きていたことが書けなくなる。あの職員に対して当時のワイが好意的やったかというと、そうではなかった。
それでも、書くべきは人柄の評価やなくて、介助が止まっていたという事実のほうやと思っています。人柄は人によって見え方が変わりますが、止まっていた介助は誰から見ても止まっていました。
「寝ていたか」ではなく、見えた事実から対応する
ここからは、同じような場面に出くわしたときに何を考えられるか、という話にします。
先に断っておくと、以下は当時の現場で実際に行われた対応ではありません。ワイが確認している範囲では、対応は口頭での注意までやった。ここに書くのは、今あらためて考えたときに検討できる、一般的な選択肢です。
「居眠りしていた」だけで報告を終わらせない
報告を「居眠りしていました」で止めると、受け取った側は本人に確認するしかありません。そして本人が否定したら、そこで終わります。
伝えられるのは、見えた状態のほうです。
報告するときに残せる観察事実
- 目が閉じていた
- 頭が下がって、また上がる動きを繰り返していた
- スプーンを持った手が止まっていた
- 利用者さんへの食事介助が中断していた
- 注意されたあとにも、同じ状態が見られた
見ていない部分は書かない、というのも同じくらい大事やと思います。何分止まっていたのかを計っていないなら、秒数は出さない。「たぶん一分くらい」と書いた時点で、その報告は推測混じりになります。ワイ自身、この記事でも秒数は一度も書けていません。
事実だけを並べると、報告としては物足りなく感じるかもしれません。それでも、あとから確認できるのはこの部分だけです。人の意識の中身は、後日誰にも検証できません。
観察した事実と後からの解釈を分け、必要な相手へ情報を届ける考え方は、介護で「記録に書いたから大丈夫」が危険な理由で詳しく整理しています。
その場では利用者さんの介助を安全な状態へ戻す
報告より先に、その場でやることがあります。食事を安全な形に戻すことです。
介助者の眠気が強くて介助を続けられない状態に見えるなら、声をかける、別の職員が代わる、いったん食事を中断して様子を見る。どれを選べるかは、そのときの人数や状況によります。
今回のケースで実際に交代が行われたかどうかを、ワイは確認していません。だからここは、あくまで一般的な考え方として書いています。
順番として言えるのは、本人と話し合うより先に、食べている人の側を安全にするほうが早い、ということです。話し合いは食事が終わってからでもできますが、食事介助はその場でしか進みません。
繰り返すなら口頭注意だけで終わらせない
一回きりの出来事なら、声かけと体調の確認で足りることもあると思います。
ただ、今回のように繰り返されるなら、同じ注意を積み上げても結果は変わりにくい。
検討できるのは、いつ、どの場面で、どういう状態が出ているのかを管理する側で共有すること。そのあと再発しているかどうかを一定期間見ておくこと。食事介助のような場面で、担当の組み方を調整すること。そして、健康面の確認へどうつなぐかを考えることです。
ここで、法律上こうしなければならない、と断定することはしません。ワイは法律の専門家やないし、施設ごとに手順も違います。実際の対応は、勤務先で決められた手順と、管理者の判断に沿って進めることになります。
職員本人にも医療的な支援が必要な場合がある
強い眠気が続く背景に、体の問題がある場合もあります。睡眠時無呼吸はそのひとつで、日本呼吸器学会の案内でも、疑いがある場合は呼吸器科や耳鼻科などへの相談が示されています。
ただし、これを同僚が判定してはいけません。「あの人は睡眠時無呼吸やと思う」と職場で言い合うのは、診断の真似事です。ワイが今回の記事で原因を断定できないのと、理由は同じになります。
できるのは、状態を正確に伝えることと、健康面の相談につながる道があると示すところまでです。受診するかどうかは本人が決めることで、そこを他人が代われるわけでもありません。
それでも、叱って終わらせる形をとると、この道は最初から出てきません。注意する場面と、支援につなぐ場面が、同じ人の同じ状態に対して両方必要になることがある、ということやと思います。
利用者さんの安全と職員への配慮は両立できる
この手の話は、「病気なら仕方がない」と「危ないから辞めてもらうしかない」の二択になりがちです。
どちらも、片側しか見ていません。
考える順番としては、まず今の状態で安全に担当できる業務かどうかを確認する。難しいなら、その場面の担当を調整する。そのうえで、本人が必要な相談や受診につながる形を残しておく。この三つは、同時に成り立ちます。
利用者さんを守ることと、職員を守ることは、対立する話やないと思っています。対立するように見えるのは、たいてい、どちらかを我慢させる形しか選択肢に上がっていないときです。
まとめ|「寝てない」で介助中の状態まで消えるわけではない
この記事は、あの職員が本当に眠っていたのかどうかを医学的に判定するものではありません。ワイにはできませんし、やるべきことでもない。
書けたのは、確認できた範囲だけです。食事介助中、椅子に座って目を閉じ、頭が下がってはまた上がる動きを繰り返していた。スプーンを持った手も止まり、利用者さんは次の一口を待つ状態になっていた。それを一度や二度やなく、数え切れないほど見た。注意されても返ってきたのは「寝てない」で、注意のあとも同じ状態は続いた。
その状態が原因になった事故は、ワイが確認している範囲では起きていません。ただ、事故が起きなかったことは、この先も同じように何も起きない保証にはならない。
介護側の副主任からは、その人が睡眠時無呼吸やと聞いていました。診断の内容までは確認していないので、断定はできません。日中の眠気が出る病気があるのは事実ですが、目の前の眠気の原因を同僚が決めることはできない。
だからこそ、個人への注意だけで終わらせる形には無理があったと思っています。利用者さんの食事を安全な状態に戻すことと、職員本人の健康を確かめる道をつくること。この二つは、どちらかを選ぶ話やない。
「寝ていたかどうか」より、「介助中に何が止まっていたか」を見る。今回の話から持ち帰れるのは、たぶんそこです。
この記事、もし「読んでよかった」と思ってもらえたなら——
夜勤明けのワイに、コーヒー一杯だけ奢ってもらえませんか。
それだけで、次の記事を書く燃料になります。
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