夜勤介護マンの日記

介護現場で感じたことを、体験ベースで書いています

自分でお茶を入れて火傷した利用者さん|「痛いわ、そーっとしてくれ」と言われても、オムツ交換は続く

夜勤介護マンの日記

この記事は、夜勤介護マンが実際の介護現場で経験した出来事をもとに書いています。個人や施設が特定されないよう配慮しており、確認できていないことは書いていません。特定の利用者さんや職員を批判したり、事故の責任の所在を断定する目的の記事ではありません。
現場エピソード

自分でお茶を入れて火傷した利用者さん|「痛いわ、そーっとしてくれ」と言われても、オムツ交換は続く

事故が終わったのは、火傷したその瞬間だけ。介護はその翌日から普通に続いていった

夜勤介護マン

介護施設で起きた事故というのは、たいてい「起きた瞬間」で語られる。転倒した、誤嚥した、火傷した。報告も記録も、その一点を中心に組み立てられていく。

以前勤めていた介護施設で、こんなことがあった。

厨房のカウンターに、お湯を入れたばかりのヤカンが置かれていた。車椅子に座っていた男性利用者さんが、自分でそのヤカンからコップへお茶を入れようとして、足にお湯がかかった。火傷をした。

事故としては、それで一区切りに見える。本人が自分でやろうとして、うまくいかんかった。そういう整理の仕方は、たぶん一番よくある。

けれど、この話はそこで終わらんかった。

その男性利用者さんはオムツを使っていた。当然、火傷したあともオムツ交換は続く。そしてズボンを上げ下げするたびに、火傷したところが痛む。

「痛いわ」

「そーっとしてくれ」

オムツ交換のたび、毎回のようにそう言われた。

正直に書くと、ワイの中には引っ掛かるものがあった。その火傷、こっちがしたんちゃうんやけどな、と。自分でやったことで起きた火傷やのに、そのあと言われ続けるのは介護する側なんか、と。

ただ、そう思ったところで、本人が痛いことは変わらん。原因が誰の行動やったとしても、痛いもんは痛い。だからズボンを雑に扱うことも、必要なオムツ交換を飛ばすこともできんかった。

この記事は、誰が悪かったのかを決める記事やない。事故が起きた瞬間と、その後に続く介護は別の問題やった、という話です。

この記事で分かること

  • 車椅子の男性利用者さんが自分でお茶を入れようとして火傷した、実際の場面
  • 火傷したあとのオムツ交換で、繰り返し起きていたこと
  • 「こっちがした火傷ではない」という、介護職の割り切れない本音
  • それでも介助を雑にできなかった理由と、その判断の分け方
  • 事故が起きた瞬間ではなく、その後の日常まで含めて考えるという視点
  • ヤカンが手の届く場所にあったという事実から見える、環境面の話

厨房のカウンターに置かれていた、お湯を入れたばかりのヤカン

お湯を入れたばかりのヤカンが、そこにあった

以前勤めていた介護施設での話です。施設名は書きません。

厨房のカウンターに、お湯を入れたばかりのヤカンが置かれていた。ワイが確認できるのは、そこまでです。

誰がそこへ置いたのかは分かりません。厨房の職員なのか、介護職なのか、そもそもいつから置かれていたのか。当時の記憶としてはっきり残っているのは、置かれていたという状態のほうで、置いた人ではない。だから、ここで誰かを名指しすることはできんし、するつもりもない。

お湯の温度も、量も、確認していません。沸かしたてやったのか、少し時間が経っていたのか。ヤカンが満杯やったのか、半分やったのか。そこも分からんまま置いておきます。

介護施設では、熱いお湯を扱う場面が普通にある

ここからは一般的な話になりますが、介護施設で熱いお湯を扱うこと自体は、特別なことではありません。

お茶を出す。食事のときに汁物を出す。とろみをつけた飲み物を作る。おやつの時間に温かい物を用意する。どれも日常の業務で、そのたびにポットやヤカン、給湯設備が使われる。

逆に言うと、熱い物がフロアや厨房の周辺に存在している時間は、それなりに長いということでもあります。特別な日にだけ登場する道具ではない。

「置き場所」は、立っている人と座っている人で意味が変わる

もうひとつ、一般論として書いておきたいことがあります。

物の置き場所というのは、誰の目線から見るかで意味が変わります。

立って動いている職員から見れば、カウンターの上というのはごく普通の作業スペースです。手を伸ばしやすくて、置きやすくて、見やすい。仕事の効率としては、そこへ置くのが自然な場面も多い。

けれど、車椅子に座っている人から見た同じカウンターは、まったく違う高さと距離になります。届くか届かないか、どの角度で手が入るか、腕をどこまで伸ばせるか。座位の姿勢によっても変わってくる。

職員にとって「作業台の上」であるものが、車椅子の利用者さんにとっては「ちょうど手が届く場所」になっていることがある。この二つの見え方は、同じ場所を指していても一致しません。

ここまでが、事故が起きる前の状態です。ヤカンがあって、車椅子の男性利用者さんがいた。まだ何も起きていません。

車椅子に座ったまま、自分でお茶を入れようとした

本人が、自分でやろうとした

その男性利用者さんは、車椅子に座ったまま、自分でヤカンからコップへお茶を入れようとしました。

確定しているのは、この一文だけです。

なぜそうしたのかは、ワイには分かりません。喉が渇いていたのか、いつもそうしていたのか、たまたまその日だけやったのか。職員に頼もうとして頼めなかったのか、そもそも頼むという発想がなかったのか。何も確認していません。

本人の表情も、そのときの様子も、細かくは覚えていない。だから、ここで「自分でできると思ったんやろう」とか「職員を呼ぶのが面倒やったんやろう」といった理由を後づけすることはしません。書けば話は分かりやすくなりますが、それは作り話になる。

「自分でやりたい」を、どう扱うかという難しさ

ここも一般論として書きます。今回の男性利用者さんがそうやったという意味ではありません。

介護の現場では、利用者さんが自分でやろうとすることと、安全を確保することが、きれいに両立しない場面があります。

できることは自分でしてもらう、というのは介護の基本的な考え方のひとつです。全部を職員がやってしまえば早いけれど、それを続けると本人ができることまで減っていく。だから、手を出しすぎないようにする。

一方で、危ないことは危ない。熱い物、刃物、段差、車椅子のブレーキ。安全のために止めなあかん場面もある。

この二つは、どちらかを選べば済む話ではありません。人によって、その日の状態によって、物の種類によって、答えが変わる。現場で毎回判断していることでもあります。

ただし、繰り返しますが、今回の男性利用者さんについて、その人がどれくらい自分でできる方やったのか、日頃どう過ごしていたのかを、ワイは確認していません。自立を尊重した結果の事故やった、という書き方もできません。分からんものは分からん。

言えるのは、車椅子に座ったままヤカンへ手が届き、実際にお茶を入れようとした、という事実だけです。

一般論として、安全のために職員が先回りしすぎる危険と、自分でできることを残す考え方は、過介護の原因と自立支援との関係で整理しています。

足にお湯がかかり、火傷をした

お湯が足にかかった

ヤカンからコップへお茶を入れようとした際、足にお湯がかかりました。そして火傷をしました。

ここも、書けるのはこれだけです。

ヤカンを落としたのか、傾けすぎたのか、手が滑ったのか。どういう動きでお湯がかかったのかは分かりません。こぼれた量も、足のどこにかかったのかも、左右どちらやったのかも確認していない。

火傷の範囲、深さ、重症度についても同じです。皮膚がどうなったのか、水ぶくれができたのか、そういった症状の話は書けません。受診したのか、どんな処置がされたのか、誰が何をしたのかも、ワイの記憶としては残っていない。

火傷という言葉が出ると、読む側はどうしても最悪の状態を想像すると思います。ただ、この記事で「ひどい火傷やった」と書いてしまうと、それは確認していないことを事実にしてしまう。逆に「軽かった」と書くのも同じです。分からんものを、どちらの方向にも動かさないでおきます。

座った姿勢では、こぼれた物は下へ向かう

これも一般的な話です。

熱い飲み物を扱う場所では、容器そのものだけでなく、その周りやその下にいる人への影響も考える必要があります。

立っている人が熱い物をこぼした場合と、座っている人がこぼした場合では、液体の向かう先が違ってきます。車椅子に座った姿勢だと、膝から下の範囲が、こぼれた物の進む先と重なりやすい。厚手のズボンを履いているか、素足に近い状態かによっても変わってくる。

今回、実際にどう流れたのかは分かりません。ただ、足にお湯がかかったという結果だけは残っています。

事故としては、ここで一区切りに見える

ここまでを並べると、ひとつの出来事として形になります。

ヤカンがあった。本人が自分でお茶を入れようとした。お湯が足にかかった。火傷した。

事故の記録としても、たぶんこの流れで整理されると思います。発生場所、発生時の状況、事故の内容。原因を書く欄があるなら、そこに何かが書かれる。

けれど、現場にいる側からすると、この整理には抜けているものがあります。次のH2で書くのは、そこです。

事故は、火傷をした瞬間だけでは終わらなかった

その人はオムツを使っていた

この男性利用者さんは、オムツを使用していました。

つまり、火傷をしたあとも、職員によるオムツ交換が必要やったということです。当たり前の話に聞こえるかもしれませんが、ここが今回の話の分かれ目でした。

火傷の処置そのものは、たとえば看護職の仕事の範囲に入ります。ワイら介護職が直接そこへ関わる部分は限られている。

けれど、オムツ交換は違う。これは介護職の日常業務です。そして交換するときには、ズボンを下ろして、また上げる。この動作が、必ず入ってきます。

ズボンを上げ下げすると、そこが痛む

火傷したのは足でした。オムツ交換では、ズボンを足に沿って動かします。

ここが重なりました。

普段なら、何も考えずにやっている動作です。ズボンを下ろして、パッドやオムツを替えて、ズボンを上げる。手順としては決まっていて、身体が覚えている。

その動作が、火傷したところに触れる。触れると痛む。

だから、オムツ交換のたびに、そこを気にしながらズボンを扱うことになりました。

事故の影響は、処置ではなく普段の動作に残った

一般的な話として、事故が起きたあとも、その人の生活は止まりません。

排泄はある。着替えもある。移動もするし、身体を清潔に保つ必要もある。事故があったからといって、そこが一日休みになるわけやない。翌日も、その次の日も、同じように続いていきます。

そして、事故の影響というのは、治療や処置の場面だけに出るとは限りません。むしろ、普段なら意識もしていなかった日常の動作のほうに残ることがある。衣類が傷のあるところへ触れる、というだけで、それまで数分で終わっていた介助の性質が変わってしまう。

今回はそれがオムツ交換でした。移動や入浴など、ほかの生活場面へどう影響したのかは確認していないので、ここではオムツ交換の話に限ります。

ここから先が、本題です

事故報告の紙の上では、この出来事は「火傷」で一区切りになるかもしれません。

けれど現場では、そこからが始まりでした。オムツ交換のたびに、職員は火傷の影響と向き合うことになった。何度も、繰り返し。

そして、その繰り返しの中で、ワイの側にも整理のつかない気持ちが出てきます。

ここから先は、実際にオムツ交換の場面で何が起きていたのか、そのときワイが何を思っていたのか、そしてそれをどう扱うべきやったのかを書いていきます。介護職として一番書きにくいところでもあり、書いておきたかったところでもあります。

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