身体の状態より強い欲求──
気管切開でも「飲みたい」は
止められなかった【第1陣】
- 気管切開・カフ留置という重篤な状態でも「飲みたい」欲求が消えない現実
- 朝昼晩3杯ずつ、多い日は10杯以上という驚異的な水分摂取の実態
- 部屋のお茶まで飲み干すほどの渇望が、夜勤介護士をどう追い詰めるか
- 尿量がとんでもないことになる身体の悲鳴と、介護の矛盾
- 20年現場にいて「人の欲求」に向き合い続けたベテランの本音
- 介護20年で出会った「一番忘れられない欲求」
- 気管切開。カフが入っている。それでも彼女は飲みたかった
- 朝昼晩に3杯ずつ、多い日は10杯──その数字の意味
- 【第2陣以降】部屋のお茶まで飲み干す夜と、とんでもない尿量
- 【第3陣以降】現場で「欲求と身体」の板挟みに立った介護士の苦悩
- 【第4陣】それでも「飲みたい」を否定できない理由──20年の結論
介護20年で出会った「一番忘れられない欲求」

介護の現場には、臭いがある。
消毒液と尿と、古い建物の埃が混ざったような、あの独特の重さ。 夜勤に入ったとたん鼻の奥に染みこんでくるあれは、20年経ったいまもまったく慣れへん。 慣れたふりをするのが上手くなっただけや。
音もある。 廊下を転がる食事台の金属音。点滴ポンプの単調なアラーム。 どこかの部屋からかすかに聞こえる、ベッドの軋み。 そして──深夜2時、静まり返った施設の中で、ナースコールが鳴る。 あの一瞬の「ビクッ」は、何千回鳴らされても身体が覚えとる。
20年間、ずっとその音の向こうへ歩いてきた。 老健、デイ、グループホーム、有料老人ホーム。 場所は変わっても、利用者さんの「何か」を求める気持ちだけは、どこも変わらへんかった。
そのなかで、オレが一番忘れられへん「欲求」は何かと聞かれたら、迷わずこれを挙げる。
飲みたい気持ちは止められなかった。
これは比喩やない。実話や。 医療的に考えたら、飲ませたら危ない状態にある人間が、それでも「お茶が飲みたい」と手を伸ばす。 その現実を、オレはこの目で何度も見てきた。
きれいごとを書くつもりはない。 「人の尊厳を守った」とか「その方の意思を尊重した」とか、そういう綺麗な言葉で包むつもりもない。 ただ、あの現場の空気感を、温度を、重さを、ここに全部叩きつけておきたい。
気管切開。カフが入っている。それでも彼女は飲みたかった
Aさんと出会ったのは、オレが介護歴15年目に差しかかったころの話や。
70代後半の女性で、脳梗塞後の後遺症が重く、嚥下機能がほぼ失われていた。 気管切開の状態で、カフが入っている──つまり気管の中に風船状のバルーンで封をして、誤嚥を防いでいる状態や。 そういう状態の人に、通常は経口摂取をさせへん。あたりまえの話やけど、液体を飲ませたら肺に直行する可能性がある。
Aさんは意識がクリアやった。そこが、すべての始まりやった。
「お茶が飲みたい」
声は出にくかったけど、口の形と目の訴えで、それは十分すぎるほど伝わった。 入所当初から、Aさんはそれを繰り返した。 食事はとっくに経管になっていたのに、身体が「飲む」という行為を求め続けていた。
なんでやろ、と思った。
身体の仕組みとして「飲めへん」状態にある人が、なんでここまで飲みたがるんやろ。
20年やってても、そこだけはうまく説明できへん。
口腔ケアのとき、スポンジブラシを口に含ませると、Aさんは強く吸った。 水が染みてくるのを感じると、目がすこし緩んだ。 そしてすぐに、また「もっと」という顔になった。
その顔を見るたびに、オレは喉の奥がひりついた。 かわいそうとかじゃない。もっと言葉にならへん、ぐっとくる感覚や。
Aさんの部屋には、ご家族が持ってきたペットボトルのお茶がいつも置いてあった。 最初は「面会のときに少し湿らせてあげる用」だったはずが、いつの間にかそれが消えるようになった。 部屋のお茶まで飲み干すようになったのは、入所から数か月後のことやった。
どこで飲んでいるのか。誰かが飲ませているのか。 調べていくうちに出てきたのは、深夜帯に家族が来て、こっそり飲ませていたという事実やった。
責められるか? オレには責められへんかった。
朝昼晩に3杯ずつ、多い日は10杯──その数字の意味
Aさんのケースは、ある意味で「特別」に見えるかもしれへん。 気管切開でカフが入っているというのは、医療的にもかなり重篤な状態やから。
せやけど、「身体の状態より強い欲求」という話は、もっと日常的なところにもある。
Bさんは80代の男性で、心不全と慢性腎不全を抱えていた。 主治医からは水分制限がきつく出ていて、1日の水分量は食事含めて1,200ml以下が目標やった。 なのに、Bさんは朝昼晩に3杯ずつお茶を飲もうとした。
コップ1杯が200mlとして、3食で600ml。 それだけで制限の半分や。食事の水分を足したら、もうアウトになる。 それを、Bさんはまったく悪びれずにやった。
「喉が渇くんや」
その一言は、言い訳やなくて本当のことやった。 腎機能が落ちてくると、身体の水分調節がうまくいかんようになって、慢性的な口渇感が出ることがある。 つまり、制限が必要な身体になっているのに、その身体が「飲め」と命令してくる。地獄みたいな矛盾や。
Bさんは、多い日は10杯飲んでいた。 スタッフの目を盗んで、家族が持ってきた水を自室のペットボトルに補充して、こっそり飲んでいた。 それが発覚したのは、あまりにも体重が増えすぎたことと、尿量がとんでもない数値になって記録に残ったからやった。
夜勤のたびに尿量を測る。
Bさんの記録を見るたびに、オレは複雑な気持ちになった。
「飲んでる」ってすぐわかる。でも、「飲めた夜」はBさんの表情がちがった。
機嫌がよかった。目が生き生きしていた。 制限を守って数値がよくても、Bさんの顔は曇っていることが多かった。
これは、何を守るべきかという話や。 身体の数値か。その人の今この瞬間の「満たされた感覚」か。 答えは簡単には出ない。出しちゃいけないと、オレは思っている。
この現場の矛盾と向き合い続けた20年が、オレにあるひとつの視点をくれた。 それは第2陣以降で、もっと深く書いていく。
Aさんが夜中に部屋のお茶を飲み干した日の話。 Bさんの尿量がとんでもないことになって、夜勤スタッフが記録帳を前に固まった話。 欲求と医療の間で、介護士はどこに立つべきなのか。
続きは、第2陣で。
身体の状態より強い欲求──
20年前と何も変わっていない
構造の歪み【第2陣】
気管切開・カフ留置状態のAさん、水分制限を抱えながら多い日は10杯飲んでいたBさん。身体の状態より強い欲求が現場をどう揺さぶるか、その実態を前篇で書いた。
深夜2時。ペットボトルを傾けていたAさんの背中
あれは夜勤中の巡回やった。 Aさんの部屋の前を通ったとき、ドアがわずかに開いていた。 いつもは閉まっている。足が止まった。
そっとのぞいたら、Aさんがベッドの上で上体を起こして、ペットボトルを両手で抱えていた。 深夜2時。薄暗い部屋の中で、点滴ポンプのランプだけが青白く光っていた。
喉に気管切開の孔がある。カフが入っている。 それでも彼女は、そのペットボトルをゆっくりと傾けていた。
オレは入れへんかった。
止めに行くべきなのはわかってた。でも、足が動かんかった。
あの背中の「静けさ」に、踏み込んでいい気がせんかった。
数秒か、数十秒か。ドアの外でオレは立ち尽くしていた。 Aさんがペットボトルをゆっくり下ろして、枕元に置いた。 それから、ふうっと息をついた。
息をついた──その音が、妙にクリアに聞こえた。 気管切開の呼吸は独特の音がする。湿った、少し重い音や。 でも、そのときのAさんの息は、なんか静かやった。満ちた感じがした。
オレは結局、その夜は何も言わなかった。 翌朝、引き継ぎのノートに事実だけを書いた。 「深夜2時、自室内で経口摂取行動を確認。本人の様子は落ち着いていた」と。
それが正しかったのか、いまでも答えは出ていない。
20年前の現場と比べて、何が変わったのか
介護士になりたての頃、オレが最初に勤めた施設は老健やった。 2000年代の初頭で、介護保険制度が始まって間もない時期や。
当時の現場は、今よりずっと荒っぽかった。 「飲ませたらあかん」と言われたら、それで終わりやった。 利用者さんが飲もうとしたら、コップを遠ざけて「ダメです」で押し通すのが普通やった。 本人がどれだけ泣こうが、怒ろうが、それが「安全のため」という名の答えやった。
人権とか、本人の意思決定とか、そんな言葉がケアの現場に入ってきたのは、正直ずっと後の話や。 当時の「介護の正解」は、身体の安全=すべてに優先するという単純な構造やった。
でも、現場の「迷い」は何も変わっていない。
いまは「その人らしい生活」とか「本人の意向を尊重する」という言葉が、あちこちで使われる。 ケアプランにも書かれる。会議でも語られる。研修でも教わる。
でも、深夜2時に一人で巡回している介護士の前に、 気管切開のAさんがペットボトルを傾けているという光景が広がったとき、 その「本人の意向を尊重する」という言葉はどこにあるんや。
言葉は精緻になった。マニュアルも分厚くなった。 でも、現場の一瞬の判断を支える「根拠」は、20年前と大して変わっていないとオレは思う。 結局のところ、その場にいる介護士の「勘」と「経験」と「その夜の体力」に委ねられている。
「記録に残す」という名の自己防衛が生む歪み
Bさんの水分量の話に戻る。
尿量がとんでもない数値になって初めて、スタッフ間で共有されたという事実がある。 逆に言うと、それまでは「気づいていても言えない空気」があったということや。
なぜか。
Bさんが水を飲んでいるのを見て、「止めたら怒られる」と感じていたスタッフが複数いた。 Bさんは口が達者で、声も大きかった。 「わしは自分で飲むもんを決める権利がある」と言い切るタイプやった。 それを止めようとすると、大声で拒否して、ナースコールを連打して、夜勤帯が崩壊した。
夜勤の現場では、「その場を収める」ことが最優先になる瞬間がある。
正論より、静けさを選ぶ。
それが積み重なって、誰も何も言えなくなっていく。
問題が表面化したとき、施設側の対応は「記録の徹底」やった。 水分量を細かく記録して、逸脱があれば報告する。 そういうシステムが整備された。
でも、オレに言わせれば、あれは「守ったという証拠を残す」ための仕組みであって、Bさんの渇望に向き合う仕組みやない。 記録することで施設が守られる。スタッフが守られる。 でも、Bさんの「喉が渇く」という現実は、何も変わらへんまま記録の中に埋もれていく。
水分制限が必要な利用者に対して、現場が取りうる手段は①説得②環境調整③記録と報告の三つしかない。しかし①は効かない相手が多く、②は本人の工夫で突破される、③は事後的な記録に過ぎない。
つまり「制限が必要」という医療判断と「飲みたい」という本人意思の間に、介護士が入れる本質的な手立てはほぼ存在しない。にもかかわらず、何か問題が起きたときは介護士の「管理が甘かった」という話になる。
責任は現場に降りてくるが、解決の権限は現場にない。これが20年変わっていない構造の核心だ。
施設が「見てみぬふり」をしなければ回らない現実
これは批判やなくて、事実として書く。
利用者さんの「飲みたい」という欲求に、100%正面から向き合い続けたら、施設は機能しない。
Aさんのケースを例にとれば、深夜の水分摂取を完全に防ごうとしたら何が要るか。 居室のドアを常時監視するか、センサーを設置するか、身体拘束に近いかたちで動きを制限するか。 どれも倫理的にアウトや。法的にもグレーから完全アウトのラインに触れる。
せやから、施設は「ある程度の逸脱」を黙認することで、かろうじてバランスを保っている。 それは怠慢やなくて、唯一の現実的な落としどころやとオレは思っている。
ただ、その「黙認」が個人の良心に委ねられているのが問題や。 ベテランのオレが「あの夜は何も言わへんかった」のは、20年の経験から来る判断やった。 でも、入って1年目のスタッフが同じ光景を見たとき、同じ判断ができるか。
できるわけがない。
だから若手は「報告しなかった自分が悪いのか」と自分を責めるか、 あるいは「とにかく止めなければ」と強引に介入して利用者さんを傷つけるか、 どちらかの極端に振れる。 その中間の、しんどい正解を、誰も教えてくれない。
20年前の先輩が言った言葉の意味が、いまになってわかった
老健で働き始めた頃、オレに目をかけてくれていた先輩がいた。 50代の、いかつい顔したおじさんやったけど、ケアは丁寧なひとやった。
ある夜、飲水制限のある利用者さんが泣きながら「お茶が飲みたい」と言い続けていた。 オレが困って先輩に聞いたら、先輩はしばらく黙って、こう言った。
「なあ、この仕事はな、正解を出すんやなくて、
一番マシな答えを選び続ける仕事やで。
それだけ覚えとけ」
当時のオレには、正直ピンとこなかった。 「一番マシ」って何や、ちゃんとした正解があるやろ、と思っていた。
20年経って、いまはその言葉の重さがわかる。 正解がない場面に毎夜立ち続けながら、それでも誰かの隣にいる仕事や、これは。
Aさんが深夜にペットボトルを傾けていたあの夜。 オレが選んだ「一番マシな答え」が正しかったのかどうか、いまでもわからへん。 わからへんまま、次の夜勤へ行く。 それが、この仕事の正体や。
第3陣では、現場の介護士が「欲求と医療の板挟み」の中で実際にどう動いてきたか、 さらに具体的な場面と、オレ自身の失敗を含めて書いていく。
身体の状態より強い欲求──
夫婦の本音、肉体の記憶、
現場の狂気と平穏【第3陣】
深夜2時にペットボトルを傾けるAさんの背中。記録という名の自己防衛。責任だけが現場に降りてくる構造の歪み。「一番マシな答えを選び続ける仕事や」──先輩の言葉を抱えたまま、第3陣へ。
夜勤明けの食卓──プロ同士にしか通じない会話
うちは夫婦で介護の仕事をしている。
妻は別の施設で働いていて、夜勤のシフトが重なると、家に二人とも帰ってこない日がある。 逆に、どちらかが夜勤明けで帰ってきたとき、もう一方が出勤前だったりする。 すれ違いながら、それでも15年以上やってきた。
夜勤明けの朝の食卓は、独特の空気がある。 疲れてはいる。でも眠れるほど切れてもいない、あの中途半端な覚醒状態。 コーヒーを飲みながら、たいして話さずに座っている。 それでいい。言葉がいらない時間がある。
あの朝も、そうやった。 オレが夜勤から帰って、妻がちょうど出勤前の準備をしていた。 台所でパンを焼く匂いの中で、オレはAさんのことを話した。
それだけやった。妻はそれ以上何も言わなかった。 オレも何も言い返さなかった。
一般の人には、「ええんちゃう」では済まへんと思う人もいるやろう。 医療的に正しいのか、施設のルールはどうなのか、家族への説明は、という話が出てくるはずや。
でも、妻はそこを聞かなかった。 「顔がどうやったか」を先に聞いた。 それが、同じ戦場にいる人間の優先順位や。
プロ同士の会話というのは、説明が少ない。
少ない言葉の中に、長い文脈がある。
その文脈を共有しているから、「じゃあええんちゃう」の一言で、すべて伝わる。
妻はある夜、排泄介助の最中に利用者さんが亡くなる場面に立ち会ったことがある。 おむつを替えている最中に、呼吸が止まった。 帰ってきた妻は、それを淡々と話した。泣いていなかった。
「手がまだ覚えてる感じがする」と言った。 オレにはわかった。あの手袋越しの体温の感触が、ずっと残るあの感覚が。
死が日常の横にある仕事を、二人でやっている。 それを「つらい」とか「大変」という言葉でまとめることが、なんかちがう気がして、 二人ともそういう言葉をあまり使わない。
20年分の肉体ダメージ──手と腰が覚えていること
介護士の身体は、静かに壊れていく。
派手に壊れるわけやない。 ある朝起きたら腰が伸びなくなっていた、という話はよく聞く。 でも実際は、もっと時間をかけて、少しずつ削られていくんや。
オレの手は、若い頃と明らかにちがう。 指の第一関節が、冬になると強張る。 おむつを替えるとき、テープを引っ張る動作を毎晩何十回もやり続けた結果や。 小さな力の積み重ねが、関節をじわじわと侵食していった。
体位変換のとき、利用者さんの身体を抱えるとき、 腕の内側の筋が引っ張られる感覚が、20年前と今とでは全然ちがう。 昔は「使っている感覚」やった。今は「摩耗している感覚」に変わった。
- 両手の指関節の強張り。冬の夜勤はテープ式おむつの開封が一番きつい
- 腰椎の慢性的な圧迫感。前傾姿勢での介助が積み重なった結果、L4〜L5あたりが常にくすぶっている
- 右肩の可動域の狭窄。暴れる利用者さんを抑えた際の古傷が、寒くなると疼く
- 足首の浮腫。夜勤12時間、ほぼ立ちっぱなしの日が年間100日を超えてきた蓄積
- 嗅覚の変容。便臭・消毒液・体臭の混合臭に対して、脳が「普通」と判定するようになった
腰の話を、もう少し書く。
認知症の方が、介助中に突然暴れることがある。 体重60kgの人間が、恐怖と混乱の中で抵抗する力は、想像以上に強い。 そのとき、介護士は逃げられない。 倒れたら利用者さんが怪我をする。 だから踏ん張る。腰で受ける。
あれを何百回も繰り返したら、腰はどうなるか。 答えは身体が知っている。
ある夜、重介護の方の移乗介助をしたあと、
腰に電気が走るような痛みが来て、その場に座り込んだ。
夜勤中、一人しかおらんかった。
5分後には立ち上がって、次の部屋へ行った。
それ以外に選択肢がなかっただけや。
痛みを「ないこと」にしながら動き続けるのが、夜勤介護士の身体の使い方や。 痛いのに動く、じゃなくて、痛いことを後回しにしながら動く、という感覚に近い。 気づいたら後回しにし続けて、20年が経った。
現場の年数は、関節の軋みが教えてくれる。
ナースコールの「狂気」と深夜の不気味な平穏
夜勤には、二種類の時間がある。
一つは、ナースコールが鳴り止まない時間。 もう一つは、何も音がしない、静かすぎる時間。
どちらも、それぞれの意味でしんどい。
ナースコールが連続するのは、だいたい消灯後の1〜2時間と、早朝の4〜5時台や。 消灯後は「まだ眠れない」「トイレに行きたい」「どこにいるかわからない」という訴えが重なる。 認知症の方が多い施設では、これが同時多発する。
ピーッ、と鳴る。 部屋に入る。対応する。 廊下に出た瞬間、別の部屋が鳴る。 そこへ向かう途中で、また別の部屋が鳴る。
「終わった」という瞬間が、ない。
ある夜、30分で11回ナースコールが鳴った夜があった。 1人夜勤やった。 走り回っているうちに、思考が追いつかなくなってくる。 頭の中が、コールの音だけになる。 これを「狂気」と呼ばずに何と呼ぶんや、とオレは思っている。
あの状態のときのオレは、人間としての判断をしていない。
条件反射で動いている。
呼ばれる→行く→対応する→次へ。
それだけを繰り返す機械になっている。
逆に、静かな時間がある。
だいたい深夜2時から4時のあいだ。 利用者さんが眠り込んで、コールが止まる。 廊下に出ると、音がない。 点滴ポンプのかすかな動作音と、自分の足音だけが聞こえる。
これが、怖い。
静かすぎると、「誰かが変わっているんじゃないか」という感覚が来る。 コールが鳴らないのは、呼べない状態になっているからかもしれない。 急いで巡回に入る。一人ずつ、胸の動きを確認する。 全員の呼吸を確かめてから、ようやく少し息をつく。
静けさは安心やない。静けさは次の異変の前触れかもしれない。 それが20年で染み込んだ感覚や。
「狂気」と「平穏」が一晩のうちに何度も入れ替わる。 その落差に身体を慣らしながら、朝を迎える。 そして朝になると、また別の「欲求」が始まる。
Bさんが目を覚まして、最初に言う言葉はいつも同じやった。
「お茶、くれるか」
その声を聞くたびに、オレは複雑な気持ちで湯呑みを手に取った。 制限の範囲で、できるだけ温かいものを。 それだけが、オレにできることやった。
第4陣では、20年の現場を経て「飲みたい」という欲求にオレがたどり着いた結論を書く。 綺麗な答えは出ない。でも、出ないなりの誠実さがある。それを全部書く。
身体の状態より強い欲求──
20年かけて辿り着いた、
一番マシな答え【完結】
夜勤明けの食卓で交わすプロ同士の静かな会話。20年分の関節の軋み。30分で11回鳴るナースコールの狂気と、深夜2〜4時の不気味な平穏。そして毎朝、Bさんは「お茶、くれるか」と言った。
「飲みたい」を否定できなかった、本当の理由
結論から言う。
オレが「飲みたい」を完全には止めに行けなかったのは、 倫理的な正しさからでも、法律のグレーゾーンを意識したからでもない。
もっと単純な話や。
オレ自身が、喉が渇いたことがあるからや。
夏の夜勤、水分補給もままならないまま動き続けて、 やっと一息ついたときにペットボトルのお茶を飲んだときの、あの感覚。 冷たくなくてもいい。ぬるくてもいい。 液体が喉を通っていくときの、あの「通った」という感触。
Aさんが深夜にペットボトルを傾けていたのは、あれと同じことやとオレは思った。 身体の状態がどうであれ、人間としての基本の欲求が動いていた。 それを「ダメです」と引き剥がすことの意味を、 オレは20年かけてようやく腹に落としてきた。
「ケアとは何か」という問いへの答えは、
教科書にも研修にも書いていない。
自分が渇いたことがある、という記憶の中にある。
これが、オレの20年の結論や。 綺麗な言葉にしようとすると、うそくさくなる。 だからそのままにしておく。
同業者と家族へ──折れない心の作り方、具体的に言う
ここからは、同じ現場で今日も戦っている人と、 介護している家族の人に向けて書く。
「頑張れ」とは言わない。 もう十分頑張ってるのはわかってる。 代わりに、オレが20年で身につけた「折れない心の作り方」を、 具体的に三つだけ言う。
- 「正解を出そうとするな」と決める 現場の判断に正解はない。あるのは「その瞬間の一番マシな選択」だけや。正解を探して動けなくなるより、マシな方を選んで動いた自分を、その夜は責めるな。翌日の冷静な頭で振り返ればいい。夜勤中に自己批判を始めると、身体より先に判断力が死ぬ。
- 「記録する」を感情の逃がし場所にする しんどい場面に立ったとき、記録に「事実」だけじゃなく「自分が感じたこと」を一行でいいから添えろ。「対応に迷いが生じた」「本人の表情に複雑な気持ちを感じた」──これでいい。感情を現場に置いてくると、帰り道に一人でぐるぐる抱えることになる。記録という形にすることで、少し外に出せる。
- 「今夜だけ」を単位にする 介護の仕事を「この先何年続けられるか」で考え始めると、誰でも折れる。考える単位を今夜の12時間に縮めろ。今夜の夜勤を終えることだけを目標にする。明日の夜勤のことは、今夜考えなくていい。20年、オレはずっとそれをやってきた。気づいたら20年やった、それだけの話や。
家族の人にも一つだけ言う。
施設に預けたことで「逃げた」と思ってるなら、その考えを今すぐ捨てろ。 あなたが限界まで自宅でやりきったから、施設に繋いだんやろう。 それは逃げやなくて、チームに引き継いだということや。 施設の介護士は、あなたの代わりじゃない。チームの続きを担ってる人間や。 そこに預けた罪悪感は、介護士への失礼にもなる。 もっと堂々と、「お願いします」と言っていい。
折れそうなときに「今夜だけ」と言い続けた結果に残るもんや。
Aさんが教えてくれたこと──最後の夜
Aさんは、オレが関わってから半年後に亡くなった。
最後の数日は、水分どころか口腔ケアすら難しい状態になっていた。 スポンジブラシを口元に持っていくと、それでも反射的に吸おうとした。 身体がそれを覚えているからや。
亡くなる前夜、オレが夜勤に入っていた。 深夜の巡回でAさんの部屋に入ったとき、呼吸がひどく浅くなっていた。 ペットボトルはもう部屋にない。ご家族が持ってこなくなっていた。
オレはしばらく、Aさんの横に立っていた。 声をかけた。何を言ったか、正確には覚えていない。 「ゆっくりでいいよ」みたいなことを言ったと思う。
Aさんは翌朝、日勤が入る前に亡くなった。 オレは引き継ぎをして、施設を出た。
帰り道、自動販売機でお茶を買った。
別に喉が渇いてたわけやない。
なんとなく、そうしたかっただけや。
飲みながら、Aさんのことを思った。
あの深夜2時のペットボトル。 満ちた表情。 静かな息。
あれがAさんの「一番マシな夜」のひとつやったと、オレは今でも思っている。 正しかったかどうかは、わからない。 でも、間違っていなかったとも思っている。
この記事を書いた理由
10,000文字以上かけて書いてきたのは、 「こういうことがありました」という報告やない。
介護の現場には、表に出てこない話がある。 きれいに処理されて、記録に「対応済み」と書かれて、消えていく話が山ほどある。
オレはそれを、ここに置いておきたかった。 「飲みたい」という欲求が、医療的に重篤な状態でも消えなかったという事実。 それに向き合った介護士が、正解のない夜の中でどう動いたかという記録。
これを読んで、同業者の誰かが「オレだけちゃうかった」と思えたら十分や。 家族の誰かが「あの人が最後まで飲みたがっていたのは、そういうことか」と腑に落ちたら十分や。
介護は、見えないところで大量の「一番マシな選択」で成り立っている。 それを誰かが知っている、ということが、現場の人間を少しだけ軽くする。
夜勤明けのオレが、コーヒー一杯飲みながら書いた記事や。
投げ銭してもらえたら、次の記事の燃料になります。
「読んだよ」という気持ちだけで、十分です。
- 1陣:気管切開でカフが入っていても飲みたい気持ちは止められなかった。Aさん・Bさんの実態
- 2陣:深夜2時のペットボトル。20年前と変わらない構造の歪みと「記録という自己防衛」の正体
- 3陣:プロ同士の夫婦の静かな会話。身体に刻まれた20年の蓄積。ナースコールの狂気と平穏の落差
- 4陣:「飲みたい」を否定できなかった本当の理由。折れない心の作り方。Aさんの最後の夜と、帰り道のお茶
明日も夜勤がある。
腰は痛い。手は強張る。正解は出ない。
それでも、行く。
それだけの話や。