夜勤介護マンの日記

介護現場で感じたことを、体験ベースで書いています

「止めたら怒る、放っといたら転ぶ」──介護現場の詰みゲー攻略法を20年プロが本音で語るで。

この記事は、やきんかいごが介護現場で実際に体験・見聞きした出来事をもとに書いています。個人が特定されないよう、一部内容を変更・再構成しています。介護の実態をリアルにお伝えすることを目的としており、特定の施設・個人を批判する意図はありません。

「何をしても危ない」──それが介護の本音や



止めたら怒る。放っといたら転ぶ。20年この仕事やってきて、ワイが一番しんどいと思う状況はこれや。教科書には書いてない、マニュアルにも載ってない、でも現場には毎日ある「詰み」の局面。今日はその話を、包み隠さず書く。きれいごとは一切なし。現場の泥の中から拾い上げた、本物の話だけをここに置いておく。介護の仕事を20年続けてきたワイが、今この瞬間に書けることを全部出す。読んで損はさせへん。

その人のことを、まず話させてほしい

車椅子を使っている利用者さんがいた。仮にAさんと呼ぶ。80代の男性で、若い頃は肉体労働をしていたという話をよく聞かせてくれた。体は細くなっていたけど、目の奥にはまだ火が残っていた。自分のことは自分でやる、というプライドが、骨の髄まで染みついているような人やった。 問題は、そのプライドが身体の状態と完全にずれていたことや。 両下肢の筋力低下があって、立ち上がりの際に膝がふらつく。バランス感覚も落ちていた。それでも本人は「まだ自分で動ける」と信じていた。いや、信じているというより、そもそも自分の身体が変わったことを認知の面から受け入れられていなかった、という方が正確かもしれない。 昼間は食堂から自室に戻ろうとする。車椅子のブレーキを自分でかけて、立ち上がろうとする。ちょっと目を離した隙にフットレストに足を引っかけて、前のめりになる。何度ヒヤリハットを書いたかわからない。夜は夜で眠れない。ナースコールを何度も押す。押さない日はベッドから自分で降りようとする。 そしてオムツを外す。 これが一番困った。なぜ外すのかを本人に聞いても「こんなもん要らん」の一点張り。羞恥心からくる行動なのか、不快感なのか、それとも単純に取り除きたいという衝動なのか、正直なところ判然としなかった。ただ結果として、夜中に汚れがシーツや柵に広がっていることが何度もあった。 Aさんだけが特別やったわけやない。こういう利用者さんは、どの施設にも必ずいる。「止めても怒る、離れたら動く」というパターンは、介護現場では珍しくない日常や。ただAさんの場合は、その強度が特に高かった。体力がまだ残っていて、意志も強い。その組み合わせが、現場スタッフを毎日消耗させた。

「止める」という行為の残酷さ

Aさんが動こうとするたびに、スタッフは止めた。当然や。転倒したら骨折リスクがある。骨折したら入院になる。入院すれば廃用が進む。最悪の場合、そのまま寝たきりになる。そういうシナリオが見えているから、止める。 でも止めたとき、Aさんは怒った。 「なんで触る」「放っといてくれ」「俺はまだ動けるんや」 その言葉の裏にある感情を、ワイは今でも忘れられへん。あれは単なる怒りやなかった。プライドを踏みにじられた人間の、最後の抵抗やった。自分でトイレに行けた、自分で歩けた、自分で飯を食えた。そういう「自分でできた記憶」がまだ体の中に生きていて、それが今の状況と激しくぶつかっている。 止めるたびに、ワイはその記憶を踏んでいた。 これが介護の仕事の一番しんどい部分や。安全を守るために人の尊厳を削る。そのトレードオフを、何の説明書もなく毎日判断し続けなければならない。 ベテランになればなるほど、この矛盾の重さがわかる。新人のころは「転ばせたらあかん」という一点だけを見ていた。でも20年やってきて今思うのは、「転ばせないために何かを奪い続けた結果、その人は何を失うのか」という問いを、同時に持たなあかんということや。 安全と尊厳は、多くの場合トレードオフや。どちらかを取れば、どちらかが削れる。その削れた部分を、ワイらスタッフは毎日目撃している。慣れてしまえば楽になる。でも慣れてしまったとき、その仕事はケアやなくなっていくとワイは思っている。だから慣れたくない。しんどくても、この葛藤を持ち続けることが、プロとしての誠実さやとワイは考えている。

見守りという名の「正解のない賭け」

じゃあ止めなければいいのか。 そう単純でもない。 見守りにもレベルがある。すぐに手が届く距離で目を離さない「直接見守り」から、ある程度距離を置いて動向を把握する「間接見守り」まで、現場では状況によって使い分ける。でもAさんの場合、直接見守りをしていても転倒が起きた。 ある日の夕方、ワイが2メートル横にいた状態で、Aさんが立ち上がりを試みた。ブレーキはかかっていた。でも立ち上がる際の重心移動で、車椅子がわずかにずれた。それだけで体のバランスが崩れた。ワイが手を伸ばした瞬間、Aさんはすでに前傾になっていた。なんとか支えられたけど、あと0.5秒遅かったら間違いなく転んでいた。 2メートルの距離で、0.5秒の差。 これが現場の現実や。見守りは万能じゃない。人間の反応速度には限界がある。それでも「転ばせないために見守る」しか手段がないという状況で、ワイらは毎日賭けをしている。 夜勤なんて特にそうや。ひとつの夜勤帯で、スタッフ一人が担当する利用者さんの数は施設によって違うけど、多い夜は十数人を一人で見ることもある。その中でAさんのようなリスクの高い人が複数いたとき、全員を同時に直接見守りすることは物理的に不可能や。 これを外の人に言うと、「それは施設の問題や」と言われる。たしかにそうかもしれん。人員配置の問題、制度の問題。でもその「問題」の中で、今夜も誰かが一人で判断を下している。それが現場という場所や。 見守りをしながらワイが一番怖いのは、「自分が別の利用者さんのケアをしている隙に、Aさんが動いた」という瞬間や。トイレ介助に入っている5分間、Aさんの部屋から目が離れる。その5分の間に何かが起きたとき、ワイは何と向き合えばいいのか。正解はない。でも現場では毎晩、その問いと向き合いながら仕事をしている。

夜勤明けに妻と話したこと

ワイの妻も介護職や。同じ業界で働いている。だからこそ、互いの話が深いところまで通じる。 Aさんのことを夜勤明けに話したとき、妻は黙って聞いていた。ひと通り話し終えると、「うちの施設にも同じような人いる」と言った。 「止めたら怒る、離れたら動く、もうどうしたらええかわからんって、みんな言ってる」 それだけで、ワイはずいぶん楽になった。自分だけが追い詰められているわけやない、という確認ができたから。この仕事を続けていられるのは、たぶんそういう「わかってくれる人間が横にいる」という事実のおかげや。 妻との会話で気づかされることがある。同じ「詰み」の局面でも、施設によって対応の文化が違う。ある施設はリスク管理を最優先にして、動きをとにかく制限する方向に走る。別の施設は本人の意志を尊重しようとして、転倒覚悟で見守りを続ける。どちらが正解かは一概に言えないけど、その文化の違いがスタッフの疲弊度にも大きく影響する、とワイらはよく話す。 妻が最近「これがないと夜勤乗り越えられへん」と言っているのが、サポートタイプのインソールや。立ち仕事で足の疲労が蓄積する中で、足底のアーチをしっかり支えてくれるタイプのもの。ワイも去年から使い始めた。夜勤明けの足の重さがだいぶ違う。同じ靴でもインソール一枚で体への負担がこんなに変わるとは思わんかった。体が資本の仕事やからこそ、こういう細かいところに投資することをワイらは大事にしている。 仕事の悩みを共有できる相手がいて、同じ疲れを体で知っている相手がいる。それがワイにとっては一番の「夜勤サバイバルグッズ」かもしれん。

「何もしない」という選択肢はあるのか

Aさんの件で、カンファレンスが開かれた。担当者、相談員、ナース、管理職が集まって、対応方針を話し合った。 出た意見はだいたいこういうものやった。 「センサーマットを設置する」「ベッド周りの環境整備を見直す」「本人に繰り返し説明する」「家族への情報共有を密にする」 どれも間違ってない。現場でできる手段を積み上げていく、それは正しいアプローチや。でもカンファレンスが終わって、ワイは一つのことを考え続けた。 「本人が動きたいという意思を、ワイらはどこまで尊重できるのか」 センサーマットは転倒の「前」を教えてくれるわけじゃない。動いた「後」を知らせてくれるだけや。制止しても怒る。センサーが鳴ってもすでに立ち上がっている。その繰り返しの中で、Aさんの「動きたい」という意志を完全に封じることは、施設という場所ではできない。 そして、これが重要な点やけど、「完全に封じてはいけない」とワイは思っている。 動こうとすること、それ自体はAさんの「生きようとする力」の表れやから。その力を全部抑え込んだとき、人は急速に衰える。ワイはそれを何人もの利用者さんで見てきた。安全のために動きを制限した結果、その人が別の意味で「死んでいく」のを見てきた。 だから答えは「何もしない」でも「全部止める」でもなく、「最大限の安全を確保しながら、本人の意志をできる限り生かす」という、非常に難しいバランスの上に立ち続けることしかない。 これが20年やってきたワイの結論や。美しくないし、スッキリもしない。でも現場の真実はこういうものや。

家族との面談で、ワイは何度も壁にぶつかった

Aさんには、頻繁に面会に来る息子さんがいた。熱心な家族や。それ自体はありがたいことやけど、面談のたびにぶつかることがあった。 「なぜ転倒が続くのですか」「もっとしっかり見ていてくれないのですか」 その言葉を聞くたびに、ワイは言葉を選んだ。責めてるんじゃなくて、心配しているんや、というのはわかる。大切な親が傷つくのが怖い、という感情は当然や。でもその裏にある「施設が悪い」という文脈に、ワイは静かに抵抗した。 「お父様は、自分で動こうとされます。その意志を止めることは、今の状態では難しいんです」 こう伝えたとき、息子さんは少し黙った。そして「父らしいですね」と言った。 その一言で、場の空気が変わった。父親の「動きたい」という意志は、息子さんにとっても見知ったものやったんや。若い頃から自分でなんでもやる人やったと、息子さんは話してくれた。 家族との面談は、責任の押し付け合いになりやすい場面や。でもそこで「この人はどういう人だったのか」という話ができると、ケアの方向性が家族と一緒に作れるようになる。ワイが20年で学んだ面談の技術の中で、これが一番大事なことやと思っている。 情報を伝えるだけの面談は簡単や。でもその人の「生きてきた文脈」を家族と共有することで、ケアは全然違う深さになる。Aさんの息子さんとの面談は、そのことをワイに改めて教えてくれた。

認知症ケアの「正解」が存在しない理由

Aさんのケースは、認知症の周辺症状と身体機能の低下が組み合わさったパターンやった。こういうケースは介護現場では珍しくない。むしろ増えている。 日本の高齢化が進む中で、複合的な課題を抱えた利用者さんへの対応は、現場スタッフに以前とは比べ物にならないレベルの判断力を要求するようになっている。 20年前と今とで、何が一番変わったか。 ワイが思うのは「利用者さんの状態の複雑さ」や。 ワイが介護を始めた頃、施設には比較的ADL(日常生活動作)が保たれている人が多かった。もちろん介助は必要やったけど、今の現場と比べると、全体的な重症度は今の方が高い。医療技術の進歩で、以前なら施設に来る前に亡くなっていたような状態の方が、今は施設で長く生活されるようになった。それ自体はいいことや。でも現場への負荷は確実に上がっている。 そのうえ、スタッフの人手は増えていない。 この矛盾の中で、「正解」を求めても出てくるわけがない。状況は複雑になり続けているのに、対応するリソースは追いつかない。だから現場では毎日、不完全な選択の中から「一番マシなもの」を選び続けるしかない。 これを「プロとして許せない」と感じる人もいるかもしれん。でもワイはこれが現場のリアルやと思っている。不完全なシステムの中で、できる限り誠実に動き続けることが、今の介護職に求められていることや。 認知症のケアで難しいのは、「その人の行動の意味」を読み解く作業が、毎回ゼロから始まることや。同じ行動でも、昨日と今日では意味が違うことがある。体の状態、その日の気分、環境の変化、さまざまな要因が絡み合っている。それを「また同じパターンや」と流してしまうと、ケアの質は確実に落ちる。 ワイが現場で大事にしているのは、「なぜ今それをしているのか」を毎回問い直すことや。答えが出なくても、問い続けることに意味がある。その問いが積み重なって、その人への理解が少しずつ深まっていく。

オムツを外すという行為の意味を考え続けた

Aさんがオムツを外す問題について、ワイはずっと考えていた。 対処療法的な解決策はある。つなぎ服にする。テープの位置を変える。素材を変える。こういった工夫で物理的に外しにくくする方法は複数あって、実際に試した。 でも根本的な問いは残り続けた。 「なぜ外すのか」 羞恥心、不快感、違和感、あるいは何か別の感覚──本人に明確な言語化が難しい部分があった。認知の面で理由を説明してもらうことに限界があった。それでも、Aさんが外すたびに「いらん」と言う表情には、明確な意思があった。 ワイが出した一つの仮説は、「身体の自律感覚とのズレ」や。 若い頃から自分でトイレに行けた人が、オムツを装着された状態で過ごすことは、自分の身体イメージと現実の間に大きなギャップを生む。そのギャップへの反応として、「これは自分の身体に必要ないものだ」という感覚が出てくるのではないか。 だとすれば、対応の方向性は「外せなくする」より「外したいという気持ちを和らげる関わり方」を探ることになる。排泄ケアのタイミングを本人の感覚に合わせること、声かけの言葉を変えること、プライバシーへの配慮を徹底すること。 これは一朝一夕では解決しない。チームで継続的に取り組んで、少しずつAさんの「いやだ」が和らいでいく変化を、数ヶ月かけて積み重ねていく仕事や。 地味や。数字に出ない。でもそれがケアの本質やとワイは思っている。 夜勤中にAさんの部屋の前を通るたびに、ワイは一瞬足を止めて耳を澄ませる習慣がついていた。物音がすれば様子を見に行く。静かなら、そっとそのまま通り過ぎる。この「聴く」という行為が、早期発見につながったことは何度もある。技術や道具だけがケアやない。体の感覚を研ぎ澄ませることも、20年積み上げてきた現場の力やとワイは思っている。

40代の体でこの仕事を続けるということ

正直に言う。体はしんどい。 20代のころは夜勤明けでも翌日には回復していた。30代で少し陰りが出てきた。40代になった今は、夜勤が続くと3日くらいかけて元に戻る感じがある。 腰は慢性的に張っている。足の疲労は翌日に持ち越す。睡眠の質も若いころより落ちた。夜勤で昼夜逆転したリズムを戻すのに時間がかかる。 それでもワイがこの仕事を続けている理由は何か。 一つは、20年積み上げてきた「現場の感覚」を捨てたくないという気持ちや。Aさんのような複雑なケースで、瞬時に状況を読んで動ける判断力は、1年や2年では身につかない。積み重ねてきた経験が、今の自分の「武器」になっている。それを手放すのがもったいないと思う。 もう一つは、利用者さんの変化を時間をかけて見られることや。 Aさんの転倒リスクへの対応も、3ヶ月かけてチームで取り組んでいく中で、少しずつAさんが「止められること」に対する反応が和らいでいった瞬間があった。全部が解決したわけじゃない。でも関わり方が積み重なって、信頼関係みたいなものが少しずつできていった。 その変化を見たとき、ワイはこの仕事をやっていてよかったと思う。 体のしんどさと、やりがいの重さを天秤にかけながら、今日もワイは施設に向かっている。 40代でこの仕事を続けることを、周りに話すと「よく続けられるね」と言われることがある。でもワイにとっては「続けている」という感覚より、「まだやることがある」という感覚の方が近い。Aさんのような利用者さんが、また明日も施設にいる。その人への関わりが、昨日より少しだけうまくできるかもしれない。その積み重ねが、ワイをまだこの仕事に引き留めている。

新人スタッフに伝えたいこと──「詰み」から逃げるな

Aさんの件が続いていたある日、入って半年の若いスタッフが休憩中に泣いていた。 「どうしたらいいかわからなくて」 Aさんに何度も怒鳴られて、でも離れたら転ぶかもしれなくて、どうしたらいいのかわからなくなったと言った。 ワイはそのとき、「わからなくて当然や」と伝えた。 20年やってるワイでもわからへん。だからわからないことを責める必要はない。でも「わからないから終わり」にしてはいけない。わからないまま、次の手を考え続けることが、この仕事に必要な力やと。 新人が追い詰められる場面の多くは、「正解を出さなければいけない」というプレッシャーからくる。でも介護に一つの正解はない。その場その場で、今できる最善を選ぶことを繰り返すしかない。 ワイが新人のころに先輩から言われた言葉がある。「転ばせることより、転ばせた後にどうするかを考える人間になれ」という言葉や。最初は意味がわからんかった。でも今はわかる。完璧に防ぐことはできない。でも起きた後の対応で、その人への信頼は変わる。チームへの信頼も変わる。そのことを、今度はワイが若いスタッフに伝える番になった。 「詰み」の局面を経験した人間だけが持てる力がある。それは「詰まっても動き続けられる」という力や。その力を、現場で積み上げてほしいと思っている。

同業者へ、そして家族へ──「詰み」の局面での心の持ち方

「何をしても危ない」という状況に追い詰められたとき、ワイが自分に言い聞かせていることがある。 「完璧なケアはない。でも誠実なケアはできる」 転ばせないことが絶対の正解ではない。止め続けることが正解でもない。でも、その人のことを考え、チームで話し合い、毎日少しずつ関わり方を修正し続けること。それが「誠実なケア」やとワイは思っている。 家族の立場から見ると、施設に預けた親が転んだとき、それを「施設の失敗」と捉える気持ちはわかる。でもその転倒が、本人の「動きたい」という意志の結果だとしたら、そこには「悪者」はいない。リスクと尊厳のどちらを取るか、という問いの答えは、家族とスタッフが一緒に考えるべきものや。 そのためにカンファレンスがある。そのために家族との情報共有がある。「なぜ止めなかったのか」という問いの前に、「どんな状況だったのか」を一緒に見てほしい。 同業者に伝えたいのは、「詰み」の局面で自分を責めすぎるなということや。 あなたが悩んでいること自体が、すでに誠実さの証明や。何も感じなくなった人間は悩まない。悩めるうちは、まだケアの質を上げようとしている人間や。 その悩みを、チームで共有してほしい。一人で抱えるには重すぎる問いが、この仕事には多すぎる。

現場が「答えを持たない問い」と共存するために

Aさんは、ある時期から少しずつ変化した。 変化のきっかけははっきりしない。スタッフ全員が関わり方を少しずつ変えていった積み重ねが、どこかで臨界点を超えたのかもしれない。 制止するときの言葉を変えた。「危ないから止めてください」ではなく、「一緒に行きましょか」という声かけに変えたスタッフがいた。Aさんの若い頃の話をもっと聞くようにしたスタッフがいた。排泄ケアのタイミングをAさんのペースに合わせて見直したスタッフがいた。 一つひとつは小さな変化や。でも積み重なると、Aさんが施設の中で過ごすテンションが少し変わった。怒る頻度が減った。夜のナースコールの回数が減った。 全部解決したわけやない。転倒リスクはずっとあった。でも「何をしても危ない」という状況の中で、「何かが少し良くなった」という手応えはあった。 それで十分や、とワイは思う。 介護の仕事に「完全解決」はほとんどない。あるのは「少しずつマシになっていく過程」だけや。その過程を信じて、今日も現場に立ち続けること。それがワイの20年の結論であり、今日もワイが施設のドアを開ける理由や。 「何をしても危ない」状況に答えはないかもしれん。でも関わり続ける限り、何かは変わっていく。ワイはそれを信じている。

この続きには、まだ書けていない話がある

Aさんのケースには、実はまだ話していない部分がある。 カンファレンスで出た意見の裏側で、スタッフ間に生まれた温度差のこと。ある夜勤の夜に起きたことで、チームの空気が一変したこと。そしてAさんが最後にワイに言った、忘れられない一言のこと。 現場の「詰み」は、転倒リスクだけの話やない。人間関係、組織の問題、そして命に直結する判断の話が、全部絡み合っている。その絡み合いの中に、この仕事の本当の深さがある。 書きたいことはまだある。読んでくれる人がいる限り、ワイは書き続ける。