専門学校編
専門学校時代、学祭には毎年芸能人が来ていましたが、記憶に残っているのは2年生の時に着たクラスTシャツでした。担任や全員の名前が入ったオリジナルTシャツを着て長縄跳びをした思い出を、介護現場歴20年の筆者が振り返ります。
専門学校の球技大会でソフトボールを選んだ筆者。担任から「活躍したらテストで加算する」と言われ目の色が変わる。ウィンドミル投法の投手からランニングホームランを放ち、赤点寸前のテストを回避した約20年前の体験を振り返ります。
中学の部活で出会った後輩と高校で一緒になり、一度就職した後に進学した専門学校で再会。最後の泊まり込み実習も同じ施設で、面接先を聞くと自分が決定していた就職先と同じだった体験談です。中学から就職先まで続いた不思議な腐れ縁を筆者が振り返ります。
専門学校時代、本館で見かけたスーツ姿で迫力のあるリハビリの先生2人に身構えていた体験談。交流がないまま見た目で怖そうと思っていた筆者が、後から優しい先生だと聞いて感じた「見た目と中身の違い」と当時の自身の受け止めを振り返ります。
20年以上前、専門学校最後の筆記試験で1点足りず不合格に。実技は合格していたものの「もっと勉強すればよかった」と後悔しながら本館事務所で追試代千円を支払い、再びテキストを開いて追試に合格して無事に卒業した、現役介護士の筆者の体験談です。
専門学校時代、黒板を消すのが早すぎた白髪のおじいちゃん先生の思い出。書く場所が散らばり写す前に消されるためノートはスカスカ。一度指摘するもすぐ元に戻り、20年経った今も授業内容より板書が消える速さだけが記憶に残るエピソードです。
専門学校時代、両下肢麻痺のため電動車椅子で教壇に立っていた担任の先生。字を書くのも困難な状態でありながら、いつも穏やかにクラス全員と向き合っていた姿を、20年の介護現場経験を持つ筆者が振り返ります。
専門学校時代の就職説明会で先生に勧められ、老健施設のブースで「挨拶を大事にしている」と聞いた筆者。持ち帰って考えた末に受験を決め、入社試験を経て最初の就職先に決まりました。先生の一言から始まった縁を介護現場歴20年の筆者が振り返ります。
専門学校1年の頃、聴診器での血圧測定が苦手で悩んでいた筆者。祖母が頼んでくれた町の小さな病院で何度も練習させてもらい、先生から「出世払いでええよ」と言われた体験を振り返ります。何年か後に訪れた再会とともに、今も心に残る言葉の意味を辿ります。
専門学校2年の実習で老健を訪れた筆者。病院実習の経験から入浴は週2回程度が普通だと思っていたが、その施設では土日以外毎日入浴介助が行われていた。一般浴・座位式・臥床式の特浴が同時に動く現場で着替え介助を担当し、現場の凄さを実感した体験を振り…
20年以上前の専門学校時代、泊まり込み実習で同じ部屋の同級生が寝たまま遅刻。担任の説教では部屋の使い方まで注意され、早出で業務に出ていた自分まで巻き添えに。泣いて謝る同級生を責められず、24時間過ごした濃い時間として今も胸に残る体験談。
20年以上前の泊まり込み介護実習で、早く記録を書き終えて寝たかった夜。同級生が部屋でカップラーメンやお菓子を食べ始め集中できなくなった筆者は、夜勤中の職員に事情を話して場所を借りて記録を完成させました。今でも覚えている当時の体験談です
介護実習2年目で始まったケアプラン作成。介護業務や夜勤をこなしながら本音を聞き取り、作成・実施・評価まで行う重圧やジレンマを、20年の現場経験を持つ筆者が振り返ります。泊まり込み実習で感じた難しさと、当時の素直な葛藤を綴った体験談です。
専門学校1年の見学で、老健の玄関にあったウォーターベッド。当時は褥瘡予防のためという説明に半信半疑でしたが、後から調べることで体圧分散の意味や現場を見る大切さがつながった体験を振り返ります。
専門学校の実習で老健へ入った筆者が、制度上の役割である在宅復帰と現場での長期間生活などの実情を振り返ります。老健と特養の目的の違いや、制度の説明だけでは分からない一人ひとりの事情について、介護現場歴20年の筆者の実体験をもとに整理します。
介護の専門学校時代に現場叩き上げの先生から掛けられた「遅刻はプロとして失格」という言葉。紙パンツを自ら試した体験談や講義での教えを振り返りつつ、プロ意識の根底にある教訓を、現場歴20年の筆者が今なお心に残る言葉として振り返ります。
病院就職から約1年、準夜勤明けに身近な人の死を知らされた筆者。心に穴が空いたまま働きながら自身のこれからを考え、介護を学び直すために学校へ進む決断をする。退職の選択や当時の心境、現場経験がその後の学びにどう繋がったかを振り返ります。